2024年4月19日金曜日

共産福岡県委の原点回帰 党内統制、総括!… 日本に不必要な共産党

■【<独自>「ご飯論法」神谷氏にブログ削除要求 
     共産福岡県委 言論封殺の懸念も】:

https://www.sankei.com/article/20240418-OPT6PKCMMZJTFHHPKL

TREUYTCY/?utm_source=newsletter&utm_medium=morning&utm_

campaign=20240419&utm_content=news


         神谷貴行氏=平成30年10月


共産党福岡県委員会が2月に開いた県党会議で、流行語大賞で入賞した「ご飯論法」の発案者の党員で漫画評論家の神谷貴行氏に対し、党側が規約違反と認定したブログの削除を求めていたことが18日までに分かった。産経新聞が関係者から入手したメモでは「ブログを削除し、自己批判すべきだ」などと幹部が迫っており、言論封殺と批判される可能性がある。産経新聞は党側に事実関係の確認などを求めたが、同日までに回答はなかった。

神谷氏は党首公選制を訴えて除名されたジャーナリストの松竹伸幸氏の処分見直しを県委員会内で主張。その議事内容をブログで公表したことが規約違反に当たるとして、2月の県党会議で神谷氏を役員である県委員に再任しなかった。

県党会議では、内田裕県委員長による活動報告後に討論が行われ、神谷氏にも発言機会が与えられた。神谷氏は、ブログへの投稿を規約違反とした党側の決定は「虚偽決定」と反論。内田氏ら県党三役から「除名」をほのめかす文書を示されながら「自己批判を強要された」などと主張した。自らへの調査が(2月時点で)8カ月にも及ぶにもかかわらず、「調査の結論が出ていないのは証拠がなく規約違反ではないためだ」とも述べ、その不当性を訴えた。

こうした神谷氏の主張に複数の幹部が反論。最初に発言した幹部は「神谷氏の規約違反の根拠はブログにあるが、いまだに削除されていない。規約違反を認めて素直に自己批判した方がいい」と要求。別の幹部は「神谷氏の行為を喜ぶのは支配勢力や、共産党の解体を願う勢力である。ブログを削除し、自己批判すべきだ」と非難した。

一連のやりとりを引き取った内田氏は「神谷氏は党内議論を勝手にブログで公表し、党会合で彼を批判した県委員の発言も勝手に公表した」と指摘し、「規約違反」との決定を変えなかった。
一方、神谷氏が討論の機会を与えられたことについて、内田氏は「少数意見でも議論した点で、民主集中制が発揮できた」と評価した。

                                            



ネット空間(ヤフーニュース)に寄せられた声を抜粋して紹介致します。
ご覧ください‼・・・


■ 自己批判って昔過激派組織が使った総括などと同義ですかね。
民主集中制も都合の良い言葉ですが、指導部の意にそぐわない発言や行動に対して自己批判を強いるのではとても「民主」とは言えないですね。新委員長の言動といい、本件といい、最近の日本共産党は原点回帰傾向が強まっていますね。
これは自由主義社会にとっては受け入れ難い思想だと思います。

■ 自己批判なら自己に任せればよいものを、何故幹部が強要するのか。 民主的と思っていないから、民主と冠せる中央集権体制の欺瞞。
 相変わらず、選ばれし目覚めし賢者が、愚かな労働者農民を導いてやるという上から目線の前衛論に立っておられるのであろうか。
私の方がお前より上という意識と体制が強権を産む怖さ。  誰もが人として尊重される民主的社会をつくることには賛成だが、どのようなものか判然としない共産主義社会には賛成しかねます。

■ 党首公選制をはじめとする様々な意見が 出てきて、党内議論が活発化になるどころか、強烈な締め付けにより多様な議論を抹殺しようと躍起になっている。
この流れを貫徹したい党中央は、このような報道ですらむしろその意向が地方組織にまで浸透していることを裏付けるものとして喜んでいるのかもしれない。 それくらい世間一般とこの政党との認識ギャップは大きいということだ。

■ 共産党に公選を求めるのもまた、的外れであって…。
そもそも、共産主義においては選挙という民主主義的手法自体が否定されているではないか。 あくまでも人民を率いるのは「優秀な指導部」であって、全てはその指導部が決めるのであり、「党首」もまた然り。 公選に何を以って選択しようとも、個人の感情が多分に含まれる事は避けられない。 人民が党員であろうと、衆愚政治を生み出すとされる選挙を行おうとする事自体、以って共産主義を否定するものであろう。 元より、共産党の掲げる「民主主義を尊重する」がどれほど矛盾を孕んでいるのか、今更述べるまでも…。 完全無欠たる「優秀な指導部」が存在する事を信じている時点で、ユートピア思想と何も変わらない。 どのような人選方法であろうと、現実には不可能としか…。

■ 内部でどの様な意見が出るか見たくてまだ離党していない共産党員です。 柔軟性のない思想かぶれの人たちが多いようです。
 学生の食料支援や弱者救済のボランティアくらいの感覚で入党をしましたが 大きな間違いでした。 ボランティア的な活動は思想拡大の道具に過ぎません。党規と言えば聞こえはいいかもしれませんが ヤクザが指を摘めさせるのと、、、どれだけ違うのかと思います。

■ 思想信条をある程度一つにする政党内部の議論を政党外に公開すべきかどうかは政党が決めることであり、外部の人間があれこれ言う筋合いではない(いやいうのは勝手だ(笑))。
 その政党に加入するかどうかは各人の自由意思に寄るのであり、その政党のやり方に合わなければ脱退すればよいだけのこと。
自民党も公明党もれいわ新鮮組も参政党も、党員を統制している。
ただこの党に関しては、もう少し公開性を高めたほうが支持者は増えるだろうなとは思う。 あと、小選挙区制のような現在の内部の選挙制度は改良したほうが良いと思う。党員同士の横のつながりを排除する仕組みと相まって、徹底的に少数意見を押さえつける仕組みになっている。
全党員投票と結果の公表などすれば面白いのではないか?

■ 日本共産党は戦前の弾圧の歴史があり、それに対抗しなくてはいけなかったので、やむを得ず純粋主義を取らないと政党として生きていけなかった。
戦前、天皇制廃止と言っただけで死刑になる世の中で、主義主張を貫くと殺される時代を経てきた政党なので、厳しい組織規律を維持しないといけないという体質を持っている事は理解する。 多分、その弾圧が未だにみずからを囲んでいる、という現状認識なのだろうし、破防法もまだ生きているので、あながち間違ってもいない、とも理解しよう。 マルクスは、帝国主義が極度に発達した社会から革命が生まれると喝破した。その社会が今、来ているのか、というと個人的には否定的である。 ただ、そうした時代から仮に来るとしたら、その時代にこそ共産党は必要なので、政治的選択肢の一つとしては残っててもらおうか(笑)

 自己批判と言論の自由は相反するもの?
悪かったと思っていない人に自己批判を強制するのはダメでしょう。 自分たちに都合の悪い意見を封殺することが共産党のやり方であることは、中国・ロシア・北朝鮮をみてもわかる。 自分たちは言論の自由に守られ敵対勢力を攻撃しつつ、内部では規制するなんて訳が分からん。

■ 発言機会は与えたがすでに結論ありき、という事ですかね。
共産党の発信には正論を感じ共感するところを多く感じていますが、反面こうした一党独裁の独善的なところが広く支持を得られない元凶だと思います。 排除の理論を党是とする限り明るい未来はないでしょう。




投稿されたコメントでも指摘されているように、殆ど、与野党は党員を統制しており、真の意味での民主主義などは絵に描いた餅!と言えるでしょう。
ただ党首選がないのは共産党だけです。

 嘗て総括として仲間を殺戮したおぞましい犯罪をなした共産党は、本来なら殺人を犯した時点で法的機関が解党させるべきでした。