韓国の「反日」は、とどまることを知らない暴走を続けている。それは韓国人が歴史を直視せず、反日妄想に現実逃避しているからである。この連載の最終回に、朝鮮を救った感動的な日本人の話を紹介しよう。
まず、35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)とは何だったのかを、如実に示す数字を見ておこう。
この間、朝鮮の人口は1300万人から2500万人にほぼ倍増した。コメの収穫量は1000万石から2000万石になり、平均寿命は25歳(10年)から45歳(44年)に伸びた。工業生産指数は100(13年)から550(38年)に大躍進し、公立小学校は約100校から約5000校に増え、ハングルを普及させた。鉄道はゼロから出発し、何と総延長6000キロを敷設したのだ。
日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼる。第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で計算すると、1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになるのだ。
朝鮮の発展に身をささげた日本人も数多い。
重松●(=高の右に昇)修(しげまつ・まさなお、1891~1975年)は農民を貧困から救うべく、私財を投じて朝鮮の農村振興を計り、「聖者」とまで呼ばれた人物である。彼はまず養鶏により卵を売り、その金を貯蓄して牛を買うという、自助努力の仕組みを農村に根付かせた。彼は三一暴動で被弾して右足が不自由になったが、終戦までの31年間、貧しい朝鮮農民の救済に無私の活動を続けた。
朝鮮農民の救済に尽力した農学者に、津田仙(つだ・せん、1837~1908年)がいる。津田塾大学の創立者、津田梅子の父親である。農学者の高橋昇(たかはし・のぼる、1892~1946年)は、朝鮮農業の近代的実態調査を行い、農業発展の基礎を造った。石塚俊(いしづか・たかし、1888~没年不詳)は朝鮮米穀倉庫会社社長として、品種や農法の改良、潅漑(かんがい)施設の改善などを通じて、農業生産の飛躍的向上に貢献した。
日韓併合前の朝鮮は禿山ばかりであり、総督府はひたすらに半島の緑化に努めた。
1918~42年、日本は何と6億622万4000本の植林を行っている。この植林事業に一生をささげたのが浅川巧(あさかわ・たくみ、1891~1931年)である。彼はまた白磁などの朝鮮の美術工芸の研究者であり、日本への紹介者でもあった。
朝鮮戦争で大量の孤児が発生したが、韓国孤児を133人も育てた偉大な日本女性がいた。望月カズ(もちづき・かず、1927~83年)がその人である。彼女自身も孤児だったが、反日機運の強い中であくまで日本女性としての生き方を貫いた。
朝鮮に幾つもの巨大水力発電所を建設して近代工業化に大貢献したのが、日本窒素肥料社長だった野口遵(のぐち・したがう、1873~1944年)である。野口は出力70万キロワットという当時、世界第2位の水豊ダムを1940年に完成させた。北朝鮮は今でもこのダムを使っている。
「感謝しろ」というつもりはない。ただ、韓国や北朝鮮の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきではないのか。 =おわり
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)
朝鮮農民の救済に尽力した農学者に、津田仙(つだ・せん、1837~1908年)がいる。津田塾大学の創立者、津田梅子の父親である。農学者の高橋昇(たかはし・のぼる、1892~1946年)は、朝鮮農業の近代的実態調査を行い、農業発展の基礎を造った。石塚俊(いしづか・たかし、1888~没年不詳)は朝鮮米穀倉庫会社社長として、品種や農法の改良、潅漑(かんがい)施設の改善などを通じて、農業生産の飛躍的向上に貢献した。
日韓併合前の朝鮮は禿山ばかりであり、総督府はひたすらに半島の緑化に努めた。
1918~42年、日本は何と6億622万4000本の植林を行っている。この植林事業に一生をささげたのが浅川巧(あさかわ・たくみ、1891~1931年)である。彼はまた白磁などの朝鮮の美術工芸の研究者であり、日本への紹介者でもあった。
朝鮮戦争で大量の孤児が発生したが、韓国孤児を133人も育てた偉大な日本女性がいた。望月カズ(もちづき・かず、1927~83年)がその人である。彼女自身も孤児だったが、反日機運の強い中であくまで日本女性としての生き方を貫いた。
朝鮮に幾つもの巨大水力発電所を建設して近代工業化に大貢献したのが、日本窒素肥料社長だった野口遵(のぐち・したがう、1873~1944年)である。野口は出力70万キロワットという当時、世界第2位の水豊ダムを1940年に完成させた。北朝鮮は今でもこのダムを使っている。
「感謝しろ」というつもりはない。ただ、韓国や北朝鮮の人々は、こうした歴史的事実を直視すべきではないのか。 =おわり
■藤井厳喜(ふじい・げんき) 国際政治学者。1952年、東京都生まれ。早大政経学部卒業後、米ハーバード大学大学院で政治学博士課程を修了。ハーバード大学国際問題研究所・日米関係プログラム研究員などを経て帰国。テレビやラジオで活躍する一方、銀行や証券会社の顧問、明治大学などで教鞭をとる。現在、拓殖大学客員教授。近著に「米中新冷戦、どうする日本」(PHP研究所)、「アングラマネー タックスヘイブンから見た世界経済入門」(幻冬舎新書)
ZakZaK(2014.03.02)
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140301/frn1403011731006-n1.htm
筆者考:
【35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)とは何だったのかを、如実に示す数字】:
✦ 朝鮮の人口推移 ・・・ 1300万人 ⇒ 2500万人
✦ 米穀の収穫量 ・・・ 1000万石 ⇒ 2000万石
✦ 平均寿命 ・・・ 25歳(10年) ⇒ 45歳(44年)
✦ 工業生産指数 ・・・ 100(13年) ⇒ 550(38年)
✦ 公立小学校 ・・・ 100校 ⇒ 5000校
✦ 鉄道 ・・・ 0キロ ⇒ 6000キロ
これらの数字を達成する為には日本政府は累計約21億円を朝鮮に注ぎ込んだが、・・・これは現在の貨幣価値で63兆円にのぼる。第3次日韓協約が締結された07年からの38年間で計算すると、なんと!、1日45億円の血税を朝鮮に援助したことになる。
これらに加えて殆ど使われていなかったハングル文字を普及させた。
併合と侵略を同一視する近視眼と植民地と自治権を持つ統治の違いを、まったく理解できず南北朝鮮人は薄ら阿呆の一つ覚えで “日帝は朝鮮を侵略し殖民地にした!”と百年一日の如く口角泡を飛ばして狂った様に喚いては謝罪と賠償を強要しているは何とも異様である。
事ある毎に安倍首相に日本国民に、不遜にも無知蒙昧の衣装を纏い、 “歴史を見つめろ、向き合え!” との妄言を投げつけている『火病の国の醜い大統領・朴 槿惠』こそが【35年間の日本による朝鮮半島統治(1910~45年)】の朝鮮近代化の歴史に真摯な眼差しを向けるべきでしょう。
とはいっても生来のDNAが欠陥遺伝子(出来損ない!)を含有しており、思考回路がヒトモドキ・蛆虫と同様では、・・・学習能力も、加えて恩を受けた事は当然!との乞食根性に侵されて、感謝の念などは脳細胞には組み込まれてはいない、朴・槿惠及び南朝鮮人どもには、歴史を見つめる事は不可能です。
己等の妄想の産物である「ファンタジー・ウリナラ歴史」が唯一の歴史と狂信的に信じており、加えて欠陥脳を有している朝鮮半島人に正常な思考力は永劫に培われず!、・・・1000年間の歳月を経ても欠陥脳が齎す精神疾患を治す事は不可能!と断言できるでしょう。
朝鮮人の醜悪さとは対照的に朝鮮統治時代に半島を思い心血を注ぎ、近代化に大きく寄与した日本人の爽やかさ、偉大さは心打つものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント有難う御座いました!!!・・・