2017年2月25日土曜日

文科省が率先して日本の歴史、文科、伝統を抹殺する!・・・

周到な「聖徳太子抹殺計画」 次期指導要領案は看過できない 拓殖大学客員教授・藤岡信勝
産経ニュース(2017.2.23)




拓殖大学客員教授・藤岡信勝氏

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≪国民に「厩戸王」の定着を狙う≫

 文部科学省は2月14日、次期学習指導要領の改訂案を公表した。その中に、国民として決して看過できない問題がある。日本史上重要な人物で、日本国家自立の精神的よりどころとなった聖徳太子の名を歴史教育から抹殺し、「厩戸王(うまやどのおう)」という呼称に置き換える案が含まれているのである。

 聖徳太子(574~622)は、冠位十二階と十七条憲法によって国家の仕組みを整備し、天皇を中心とする国づくりへ前進させた指導者だった。中国大陸との外交では、「日出づる処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す」という文言で知られる自立外交を展開し、日本が支那の皇帝に服属する華夷秩序に組み込まれるのではなく、独立した国家として発展する理念を示した。

 こうして聖徳太子はその後1世紀にわたる日本の古代国家建設の大きな方向付けをした。

 そこで当然のことながら、現行の学習指導要領(平成20年)では「聖徳太子の政治」を学習すべき一項目として設け、日本の古代律令国家確立の出発点に位置づける次のような指示が書かれている。

【「律令国家の確立に至るまでの過程」については、『聖徳太子』の政治、大化の改新から律令国家の確立に至るまでの過程を、小学校での学習内容を活用して大きくとらえさせるようにすること】(中学社会歴史的分野「内容の取扱い」の項。二重カギは引用者)

 この一文は改訂案でもそのまま踏襲されているのだが、ただ1カ所、右の「聖徳太子」が「厩戸王(聖徳太子)」に突如として置き換えられたのである。

以下:要約/編集!〜

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青天の霹靂!〜、
❮❮聖徳太子❯❯ が ❮❮厩戸王(聖徳太子)❯❯ に唐突に突如として置き換えられた!・・・

❮❮聖徳太子❯❯
推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った他、仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた。


❮❮厩戸王(聖徳太子)❯❯!〜、

 括弧を使ったこの書き方の意味するところは、『厩戸王』が正式な歴史用語であるが、すぐには誰のことかわからない者もいるので、それは一般には聖徳太子と呼ばれてきた人物のことだ、と注記をしたというものである。

取ってつけた様な注釈ですね、❮❮聖徳太子(厩戸王)❯❯とすればよい、わざわざ『厩戸王』を全面に押し出す必要はありません。
う厩戸王が国民の間に定着してしまえば聖徳太子は忘れ去られて仕舞う事でしょう。


❝❝反日左翼!❞❞に利用される恐れは非常に高い!〜、

➤ ❮❮改訂案は、小学校ではこの表記の前後を入れ替えて「聖徳太子(厩戸王)」と教えることにするという。学校段階に応じて「厩戸王」という呼称に順次慣れさせ、「聖徳太子」の呼称をフェイド・アウトさせる。周到な「聖徳太子抹殺計画」といえるだろう。
なぜこんなことになったのか。その根拠は、今から20年近く前に、日本史学界の一部で唱えられた「聖徳太子虚構説」と呼ばれる学説だ❯❯・・・

歴史の教科書においては長く『聖徳太子(厩戸皇子)』とされてきたが、・・・存命中の呼称ではないという理由により、山川出版社の『詳説日本史』では『聖徳太子虚構説』を基にして、2002年(平成14年)度検定版から『厩戸王(聖徳太子)』に変更されたが、この方針に対して尊皇派が反発し批判を展開している。
 2013年(平成25年)3月27日付朝日新聞[によれば清水書院の高校日本史教科書では2014年(平成26年)度版から『聖徳太子虚構説』を記載。

『聖徳太子虚構説』!〜、
王族の一人として厩戸王という人物が実在したことは確かであるが、『日本書紀』や法隆寺の史料は、厩戸王(聖徳太子)の死後一世紀ものちの奈良時代に作られたものである。それ故、〈聖徳太子〉は架空の人物である」(大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』平成11年)と主張。
 しかし、この説には根拠が乏しい。「聖徳太子」は100年以上たってから使われた称号だが、核となる「聖徳」という美称は、『日本書紀』以前に出現しているからだ。この学説が公表されたあとも、「聖徳太子」の名を冠した書物はたくさん出版されている。

 戦後の日本史学界では、さまざまな奇説・珍説が登場した。騎馬民族征服王朝説、大化改新否定論、三王朝交替説などが典型例である。それらはしばらくもてはやされても、やがてうたかたのように消え去った。
『聖徳太子虚構説』もそのような一過性の話題として消え去る運命にあったが、・・・
不可解なことには、文科省は、この珍説が『歴史学界の通説である!』と捉え仕舞った。
この説は日本国家を否定する反日左翼の運動に利用されているのであり、その触手が中央教育行政にまで及んでいる事は否定できない、

❮❮日本を精神的に解体させるのか!?❯❯〜、

➤ ❮❮死後付けられたということを理由にその呼称が使えないとすれば、歴代の天皇はすべて諡号(しごう)(没後のおくり名)であるから、いちいち、大和言葉の長い名称を書かなければならず、歴史教育の用語体系は大混乱となる。そもそも歴史教育は歴史学のコピーではない。歴史教育には国民の歴史意識を育てる独自の役目がある❯❯・・・



➤ ❮❮聖徳太子抹殺の影響は古代史のみにとどまらない。明治以降発行された紙幣の人物像として最も多く登場したのは聖徳太子である。このことが象徴するように、聖徳太子は日本人の精神の支えとなる人物だったのだ!❯❯・・・



始めに聖徳太子の紙幣を抹殺して!〜、
次は、日本人が聖徳太子の没後(622年4月8日)100年後から、親しんで来た尊称を抹殺しようとする文科科学省!・・・
ここまで反日分子に侵食されていたのか!?、は信じれれません。

文科省が率先して日本の伝統、文科の破壊に『逝かれ・パヨク』とともに邁進している観を呈しており、呆れ果て言葉がありません!。


さて!〜、文科省を動かしている上層部は!〜、

✦ 文部科学大臣  : 松野 博一 1962年9月13日(54歳)

✦ 文部科学副大臣 :水落 敏栄1 943年2月24日(73歳)

✦ 文部科学副大臣 : 義家 弘介 1971年3月31日(45歳)

✦ 文部科学大臣政務官: 樋口 尚也 1971年4月11日 (45歳)

✦ 文部科学大臣政務官  : 田野瀬 太道 1974年7月4日(42歳)  


文部科学副大臣の水落 敏栄 (73歳)を除けば40〜50歳代で政治家としては若さに漲っており、・・・政治的信条は保守主流の憲法改正、核保有は時勢に合わせて検討などを主張しています。

 何故に年齢も若く将来に期待が持てる議員が、然も文部科学省という重要な政府機関で教育を正して行く職務が有りながら、聖徳太子を厩戸王として定着させたいのか?、不可解です。

聖徳太子の尊称抹殺は!〜、
❝❝日本国体の破壊の第一歩である!❞❞と言っても決して過言では無い筈です。
❝❝日本国を取り戻す!❞❞と標榜して生まれた安倍政権下で、奸計(国体破壊)が文科文部省で画策されて居る事は絶対に許せません!。

未だ遅くはありません!〜、
 文科省は学習指導要領の改訂案について、3月15日まで国民の意見をパブリック・コメントとして募集しています!・・・

❝❝聖徳太子の呼称を厩戸王に変えるな!❞❞と、明確なメッセージを文科省に届けて、日本の歴史教育を守護しなければならない!と思います。

拙ブログの常連の方々!〜、
地元の自民党の衆参議員に『日本の歴史教育を守れ!』の声を届けて頂ければ幸いです!。
宜しくお願い致します。


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