先日、日本である判決がニュースとなり、波紋を呼んだ。それは、2017年9月、大分市の歩道を歩いていた女子中学生が高齢者女性とぶつかって、転倒させた。高齢者の女性は大けがを負い、後遺症が残ったということで、女子中学生に約790万円の賠償命令が下されたというものだ(3月15日、大分地裁)。
このニュースを知った人々がSNSやニュースの掲示板などに書き込んだコメントを読むと…
「ぶつかって、けがをさせたのは、女子中学生の前方不注意であるから当然だ」
などと、女子中学生の不注意を指摘する見方がある一方、
「私も怖くてお年寄りは避けます、近づかない。関わったらこちらが損する」
などという、『今後はもうお年寄りに関わらない方がよい』という消極的な意見も多く見られた。
筆者はこのニュースとこれらのコメントを読んで、「将来、日本も現在の中国と同じような状況になるのではないか」との懸念が頭をよぎった。
実は、支那では、お年寄りが道で転倒したら、「助けるべきか、見て見ぬふりをするか」という議論がずっと続いており、社会問題にまでなっているのだ。
■ 支那で倒れている高齢者をすぐには助けない理由:
もし、目の前でお年寄りが転倒したら、どうするか――。
日本なら、迷う人はいない。「大丈夫ですか」と声をかけて迅速に手を差しのべ、お年寄りの体を助け起こすであろう。しかし、現在の支那支那はそうではない。大半の人が助けるべきかどうか、逡巡(しゅんじゅん)してしまうのである。
なぜ支那の人々は、こんな「単純なこと」で、悩んでしまうのか。
ことの発端は、2006年にさかのぼらなければならない。以下は支那・南京で起こったことだ。
この案件は通称「南京・彭宇案」と言われる。2006年11月、彭宇という20代の男性がバス停でバスから降りたところ、そのバスに乗ろうとしていた60代の女性が転んで骨折した。彼は、女性の体を起こし病院に連れていったのだが、その後、女性は「男性にぶつけられて転んだ」と主張。なんと賠償金を要求し、裁判所に提訴したのだ。
争点はぶつかったかどうかであり、双方の主張は食い違った。結局、裁判所は男性に4万元(約64万円)の支払いを命じた。この判決は当時支那全土に大きな波紋を広げて、嵐のような議論をまき起こした。
「助けてあげて、病院にまで連れていってあげたのに、結局悪者にされるのか?信じられない!」というのが、ほとんどの人の感想であり、多くの人が男性の味方になっていた。
また賠償の金額があまりに大きい(当時の一般人の年収に相当する)こともあり、人々は憤慨した。その怒りは担当の裁判官にまで向けられた。特に、裁判官が判決の中で「男性が悪くなかったら、病院に連れていくわけがない」と述べたことで、世論から強く批判された。
ちなみに、その後、その裁判官は南京中心地から遠く離れたごく小さな出張所に実質的に左遷されて、出世の道が閉ざされた(※筆者注:実際、その後、男性は女性と和解した。そして、本当は男性がぶつかったという説も濃厚ではないか、とも言われている)。
■ スマホで証拠を残してから助ける人々:
この一件があって以来、支那では、道端で転んだり、具合の悪そうなお年寄りがいても、助けようとはしない人々が増えている。
まず、周りの人が助けにいくかどうか様子を見るなど、躊躇(ちゅうちょ)するケースが多い。中には、助けに行こうとしている人に対して、別の人が「やめたほうがいいよ」と止めるケースさえある。
助けに行く場合も、まずスマホで写真や動画を撮って「自分が潔白である」証拠を残してから、という方法が普及している。
「この事件は、支那の道徳モラルを50年ぐらい後退させた」と、多くの専門家が指摘している。
いずれにしても、先の判決の社会的影響は非常に大きかった。人々の間に不信感が生まれ、信用や社会道徳に危機をもたらした。同じケースに出合った場合、「関わらない、まず自分の身を守る」という行動が最優先となってしまったのだ。
とはいえ、世の中には「善意の人」は、まだまだたくさんいる。助けてあげてお年寄り本人や家族から感謝されるという「感動的な話」もある。そのたびにマスコミは躍起になって、助けた人を「英雄扱い」で大々的に報道するのだ。
世間やマスコミも、現在の支那の風潮には危機感を持っており、少しでもこうした思いやりのない、排他的で利己的な世の中を改善したいのである。
■ 倒れて自転車の下敷きになった高齢者
すぐには助けずに警察を呼ぶ:
数年前、支那の蘇州で起きた事件は衝撃的であった。
60代の女性が雨の中、自転車に乗っていて転んだ。体が自転車の下敷きになり、足が痛くて動けない状態だった。そのとき、周りに二十数人の歩行者がいたにもかかわらず、だれも助けようとしなかった。
雨の中、女性は泣きながら大声で周りの人に「私の不注意だった、あなたたちのせいにしないから、助けてください!」と助けを求めた。このような発言して、約10分間がたっても、状況は変わらなかった。
■ 身の潔白を証明するために
自殺してしまった農村の40代男性:
死をもって自分の潔白を証明したのだ。
一人のお母さんが子どもを載せて自転車を押していたが、バランスを崩して倒れてしまった。子どもが自転車から落ちて泣き叫んでいる上、自転車のかごに入っていた食材が道いっぱいに転がった。そのとき、周りにいた歩行者5〜6人が一斉に駆け寄り、自転車を起こし、食材を拾ってかごに戻して、「大丈夫ですか?」と声をかけていた。この光景を遠くから見て、筆者の心には込み上げてくるものがあった。
『日本人はモラルが高い。人を助ける精神がある』
こうしたイメージは支那にも浸透している。このため、支那では現在の風潮を憂慮し、「日本のように他人を思いやる成熟した社会を目指さなくてはならない」と考える人も多い。
そのイメージを守るためにも、日本は今後もお年寄りや子ども、身体障害者といった「社会的弱者」に優しい社会であってほしいと切に願う。
現在の支那みたいに、高齢者を助けるときに、「まず音声、映像を記録し、警察に連絡」という手順を踏む社会はあまりに悲しい。
因みに大分地裁が下した判決の詳細は!〜、
歩道を歩いて人とぶつかった女子中学生に、約790万円の賠償命令──そんな判決が3月15日、大分地裁で下された。
2017年9月、大分市の歩道で登校中の女子中学生とぶつかって転倒した怪我で後遺症が残ったとして、同市の80歳代女性が約1150万円の損害賠償を求めていた。
すぐには助けずに警察を呼ぶ:
数年前、支那の蘇州で起きた事件は衝撃的であった。
60代の女性が雨の中、自転車に乗っていて転んだ。体が自転車の下敷きになり、足が痛くて動けない状態だった。そのとき、周りに二十数人の歩行者がいたにもかかわらず、だれも助けようとしなかった。
雨の中、女性は泣きながら大声で周りの人に「私の不注意だった、あなたたちのせいにしないから、助けてください!」と助けを求めた。このような発言して、約10分間がたっても、状況は変わらなかった。
ようやく、一人の若い男性が現れ、自転車を引き起こし、警察に通報した。その後、警察の人と一緒に女性を起こして病院まで送った。女性は、取材にきたマスコミに「このようなことをよく耳にしていたが、まさか自分の身に起こるとは思いもしなかった。本当に感謝する」と感慨深く話した。
日本人からすれば、わざわざ警察を呼んで女性を起こすことに違和感を持つであろう。
助けた男性は地元新聞にも報道され、たたえられた。そして、「もし、助けてなかったら、自分の良心が許さなかった」と語った。
しかしその一方で、相変わらずこのような「いい人」が裏切られる、残念なケースが後を絶たないという現実もある。
最近、支那のある地方都市では、一人の少年が転倒したお年寄りを助けて、病院まで送った。助けられた高齢者が少年に「助けてくれてありがとう!転倒したのは、決してあなたのせいではないから」と言ったのにもかかわらず、お年寄りの家族はその後、少年を訴え、医療費などの賠償金を求めた。
結局、少年の親がお金を払って和解したのだが、このような事例は枚挙にいとまがない。
日本人からすれば、わざわざ警察を呼んで女性を起こすことに違和感を持つであろう。
助けた男性は地元新聞にも報道され、たたえられた。そして、「もし、助けてなかったら、自分の良心が許さなかった」と語った。
しかしその一方で、相変わらずこのような「いい人」が裏切られる、残念なケースが後を絶たないという現実もある。
最近、支那のある地方都市では、一人の少年が転倒したお年寄りを助けて、病院まで送った。助けられた高齢者が少年に「助けてくれてありがとう!転倒したのは、決してあなたのせいではないから」と言ったのにもかかわらず、お年寄りの家族はその後、少年を訴え、医療費などの賠償金を求めた。
結局、少年の親がお金を払って和解したのだが、このような事例は枚挙にいとまがない。
自殺してしまった農村の40代男性:
2019年には、支那広東省のある農村で痛ましい事件が起こった。
40代の男性がバイクに乗っていたら、近くにいた90代のお年寄りの男性が転んだのが見えたため、バイクから降りて助けた。さらに、病院まで連れていった上、診察費も立て替えてから自宅に帰った。
ところが、その後、お年寄りの家族から「バイクでぶつかった」と主張され、入院費と治療費合計20万元(約360万円)を請求された。
捜査した警察も証人などの証拠が見つけられず、真実はあやふやとなった。その後、高齢者の家族から執拗に電話などで抗議、詰問を受けた男性は追い詰められ、数日後、川に身を投じて自殺してしまった。
40代の男性がバイクに乗っていたら、近くにいた90代のお年寄りの男性が転んだのが見えたため、バイクから降りて助けた。さらに、病院まで連れていった上、診察費も立て替えてから自宅に帰った。
ところが、その後、お年寄りの家族から「バイクでぶつかった」と主張され、入院費と治療費合計20万元(約360万円)を請求された。
捜査した警察も証人などの証拠が見つけられず、真実はあやふやとなった。その後、高齢者の家族から執拗に電話などで抗議、詰問を受けた男性は追い詰められ、数日後、川に身を投じて自殺してしまった。
死をもって自分の潔白を証明したのだ。
この事件も、支那で大きな話題となり、SNSでは、ほぼ以下のような助けた男性を擁護するコメントで埋め尽くされた。
「今後、一切助けない!助けたら人生が変わるから」
「助けるなら、まずお金持ちでないと無理だ」
「法律はどこだ?このような理不尽な恐喝をまず取り締まらないといけないだろう」
「南京・彭宇案」からもうすでに15年がたつが、いまだにその「後遺症」が残っていて、支那の人々は自分の良心に「どうすべきか」と問い続けている。
日本は世界で類をみない超高齢社会だ。支那も少子高齢化が急速に進んでいる。今後、「高齢者の不慮の事故」に遭遇する確率が高くなるのは間違いない。そうした事態に直面した際、どういう社会であるべきか、一人一人が問われる時代となるだろう。
今、世界中の人々がコロナ禍で精神的に追い詰められており、社会がギスギスとしている。「若者が暮らしやすい社会」「寛容性のある社会」の構築は、法律だけで誘導するには限界があると考える。
「今後、一切助けない!助けたら人生が変わるから」
「助けるなら、まずお金持ちでないと無理だ」
「法律はどこだ?このような理不尽な恐喝をまず取り締まらないといけないだろう」
「南京・彭宇案」からもうすでに15年がたつが、いまだにその「後遺症」が残っていて、支那の人々は自分の良心に「どうすべきか」と問い続けている。
日本は世界で類をみない超高齢社会だ。支那も少子高齢化が急速に進んでいる。今後、「高齢者の不慮の事故」に遭遇する確率が高くなるのは間違いない。そうした事態に直面した際、どういう社会であるべきか、一人一人が問われる時代となるだろう。
今、世界中の人々がコロナ禍で精神的に追い詰められており、社会がギスギスとしている。「若者が暮らしやすい社会」「寛容性のある社会」の構築は、法律だけで誘導するには限界があると考える。
■ 筆者が地元の商店街で見た
「感動的な情景」は将来も見られるか:
「感動的な情景」は将来も見られるか:
筆者が以前、地元の商店街で見た一幕がとても感動的だった。
一人のお母さんが子どもを載せて自転車を押していたが、バランスを崩して倒れてしまった。子どもが自転車から落ちて泣き叫んでいる上、自転車のかごに入っていた食材が道いっぱいに転がった。そのとき、周りにいた歩行者5〜6人が一斉に駆け寄り、自転車を起こし、食材を拾ってかごに戻して、「大丈夫ですか?」と声をかけていた。この光景を遠くから見て、筆者の心には込み上げてくるものがあった。
『日本人はモラルが高い。人を助ける精神がある』
こうしたイメージは支那にも浸透している。このため、支那では現在の風潮を憂慮し、「日本のように他人を思いやる成熟した社会を目指さなくてはならない」と考える人も多い。
そのイメージを守るためにも、日本は今後もお年寄りや子ども、身体障害者といった「社会的弱者」に優しい社会であってほしいと切に願う。
現在の支那みたいに、高齢者を助けるときに、「まず音声、映像を記録し、警察に連絡」という手順を踏む社会はあまりに悲しい。
因みに大分地裁が下した判決の詳細は!〜、
■【高齢女性に徒歩でぶつかった女子中学生「賠償金790万円」の理由】:
歩道を歩いて人とぶつかった女子中学生に、約790万円の賠償命令──そんな判決が3月15日、大分地裁で下された。
2017年9月、大分市の歩道で登校中の女子中学生とぶつかって転倒した怪我で後遺症が残ったとして、同市の80歳代女性が約1150万円の損害賠償を求めていた。
「中学生は前を歩いていた4人の生徒を追い抜こうとした際、対向の高齢女性と衝突。両手に野菜を持っていた女性は転んで腰の骨を折り、腰が曲がりにくくなるなどの障害が残った。 中学生側は『いきなり歩く速度を上げたり進路を変える危険な行為はしていない』と主張しましたが、歩道の幅は2.2メートルしかなく歩行者同士が衝突する危険があったとして、地裁は『追い抜く際に安全に配慮して歩く注意義務を怠った過失がある』と判断。
女性の骨折は骨粗しょう症の影響もあるとして賠償額は減額されました」(全国紙司法担当記者) 中学生側の代理人弁護士は「今後の対応を協議する」としたが、歩道を歩いていただけの中学生には重すぎる賠償にも思える。
弁護士の深澤諭史氏はこう解説する。 「損害賠償請求では、発生した損害が認められれば、それが故意か、不注意による過失かは基本的には関係がない。
賠償額が790万円になったのは、後遺症が残り、治療費が高額だった可能性が高いと思われます。
事故の賠償額には年5%の利息が付きます(2020年施行の民法改正で原則3%に)。2017年に事故が起きているため790万円が元本であれば、実際には約948万円の損害賠償額になります」 日常生活で思わぬ損害を与えてしまうケースは少なくない。
「あまり報道されていないだけで、偶然の不幸が重なって事故になってしまい、損害賠償請求されるケースはよくあります。今回は中学生に損害賠償が請求されたように、損害を与えたのが未成年でも賠償金の支払いが命じられることはあります。
民法ではだいたい12~13歳程度から責任能力が認められています」(同前) 法律的には“子供のやったことだから”では済まない世の中になっている。
※週刊ポスト2021年4月9日号
週刊ポストが配信した記事に触れて、何か違和感を覚えませんか?
✦ 民法では12〜13歳程度から責任能力が認められている!・・・
✦ 法律的には“子供のやったことだから”では
済まない世の中になっている!・・・
此の下りです。
これは弁護士の深澤諭史で、民法に明記されている!と言っている。
刑法は民法と異なり少年法で凶悪な殺人事件を犯しても刑務所送りとならず少年院送りで厚生を目指す。
歩道を歩いて人とぶつかった女子中学生に、約790万円の賠償命令は、厳しすぎるのでは思えます。
此の判決は女子中学生の心の傷となり、生涯引き摺って行く事になるでしょう。
凶悪な殺人事件は犯人を少年法で守り配慮し、かたや女子中学生の高年者との衝突事件には高額な罰金を課す。
これは犯罪を犯した!と司法が断定した事になる。
訴訟社会に、米国の様に訴訟社会に日本が突入してから久しいが、支那も訴訟社会と恐れ入る。
まぁ!、支那人は物欲、特に金銭欲は並外れて強く、裁判官が原告の訴えに応える様な判決を下すは、裏がありそうです。
いずれにしても、日本が支那人のように振る舞うのは、時間の問題かも知れません。
嫌な世の中になりました。
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