中国ドリームには幻滅したと語った英国人実業家マーク・キットー氏(ネット写真)
中国に17年間移住し、「中国通」として知られた英国人作家マーク・キットー氏がこのほど、中国からの引き上げを決意した。「中国への愛はすでに消え、中国ドリームには幻滅した」と氏は語っている。
英国の大学で中国語を専攻した後、1986年に北京に留学した同氏は1996年から中国に移住し、後に中国人女性と結婚した。そして2人の子ども(8歳と10歳)にも恵まれ、上海市から約200キロ離れた浙江省莫干山の村に棲家を構えた。
そんなキットー氏は昨年8月、英誌プロスペクトで「あなたは永遠に中国人になれない(You’ll never be Chinese)」という文章を発表し、「私の愛はすでに消え、わが中国ドリームから醒めた」と中国を離れる考えをはじめて口にした。
同氏のこれらの発言は思わぬ波紋をよんだ。外国人投資家にマイナスの影響をもたらすと心配する浙江省当局は、彼の妻に嫌がらせを繰り返し、同氏に対しても、発言の真意を執拗に問い詰めた。
キットー氏が中国に絶望した理由の一つは、社会全体に浸透する拝金主義だという。
「周り近所は私の健康とか、私の家族のことを労うことはまずない。彼らがいつも聞いてくるのは、私は商売でどのぐらい儲かったのか、我が家の車はいくらなのか、ペットの犬はいくらで買ったのか、だ。多くの中国人の眼中には金しかなく、それは何より大事なもの。政府は国民をいかにコントロールすることしか考えていない」
それだけでない。キットー氏のビジネスの道のりも波乱万丈だった。
中国に移住してからの同氏は「That’s Shanghai(それは上海だ)」「That’s Beijing(それは北京だ)」「That’s Guangzhou(それは広州だ)」などの英文雑誌を発行し、成功を収めていた。しかし、2004年に、これらの雑誌が当局に出版禁止され、「数百万ドルに値する価値を失った」と同氏は言う。その後、一家は浙江省莫干山に隠居し、喫茶店と小さな旅館を営んで生計を立ててきた。
「それでも、商売がまただれかに奪われるのではないか、今日食べた物は安全なのか、空気は大丈夫なのか、と常に不安だらけだ」
子どもの教育問題もキットー氏の大きな悩みである。
「テスト三昧で、虚偽なイデオロギー宣伝で固められている教育環境でわが子を育てたくない」と語った同氏。子どもたちは小学校入学の初日に、解放軍を讃えるプロパガンダ映画を観賞させられ、その後も共産党精神を唱えるため、革命の英雄「雷鋒」の物語を日常的に聞かされる。「その異様な圧力の中で、子どもたちの心は間違いなく徐々に歪んでいく」
同氏は、中国の教育システムは「人間を育成しない、ただ教材の中の内容を生徒の頭に詰め込むだけ」と懸念している。「結局、2種類の人間しか育てない。負け組と勝ち組だ。勝ち組は大学で経営を勉強し、負け組は田舎に帰って農民になるか、工場の労働者になる」
『チャイナカッコウ』などの著書で自身のチャイナドリームを描いていたかつての中国ファンのキットー氏の気持ちは冷め切った。
「私にとって、もはや中国は長期的に事業を展開する地でも、定住に適する地でもなくなった」「中国の社会は激変を遂げている。共産党政権に残された時間はもう長くない、不動産バブルの崩壊と同時に、この国は突然に崩れるでしょう」と同氏は中国に対する複雑な感情を語った。
【大紀元日本6月19日】 (翻訳編集・叶子)
筆者考:
✦17年間を費やしてやっと、支那人の特性が分かったとは!・・・北京で留学していた期間を入れると約27年間の貴重な人生を無駄に費やした事になる。マーク・キットー氏は支那大陸で過ごした自分の人生の半分以上を清算して傷心の思いを引き摺って本国英国に戻る。
✦【Kitto has a passion for languages, and a fascination with the Far East. This love for the Oriental led Mark to study Chinese at theSOAS, University of London (originally short for School of Oriental and African Studies ) and for the second year of his Chinese degree course Mark went to Beijing in 1986】・・・英語版ウイキペディア
『支那語に対する熱情は恋となり、・・・此の熱情はマーク(Mark Kitto)を支那語を本格的に学ぶ為にロンドンに在するSOAS大学へと導いた』・・・此のようにマーク・キットー氏の支那語及文化に若い頃から大きく傾斜(恋と言える)していた事は想像に難くない。
どうも欧米人はマルコポーロの浪漫的な冒険心に心が騒ぐのか・・・未だに脈々と支那大陸への思い込みが強いようです。此れは近代米国人の心中にもあるようで、先の大戦では日本軍の大陸進出を警戒して侵略と定義つけて正当性を誇示しては、フライング・タイガー作戦で事実上日本国に宣戦布告なしの戦争を仕掛けていた事で実証されている。
✦『中国に移住してからの同氏は「That’s Shanghai(それは上海だ)」「That’s Beijing(それは北京だ)」「That’s Guangzhou(それは広州だ)」などの英文雑誌を発行し、成功を収めていた。しかし、2004年に、これらの雑誌が当局に出版禁止され、「数百万ドルに値する価値を失った」と同氏は言う』・・・That’s Beijing, with a circulation of 20,000, That’s Shanghai (then 45,000) and That’s Guangzhou (15,000).
※「That’s Beijing(それは北京だ)」 ・・・発行部数は20,000
※「That’s Shanghai(それは上海だ)」 ・・・発行部数は45,000
※「That’s Guangzhou(それは広州だ)」・・・発行部数は15,000
小規模で家族経営のミニ出版社としては大成功であり、此れが支那ではなくて自由主義陣営の国だったら発刊禁止などにならずに、例え事業を売却したとしてもそれ相当の益を手にする事ができる。支那政府の発刊禁止はかなりの痛手になったでしょう。
✦『「テスト三昧で、虚偽なイデオロギー宣伝で固められている教育環境でわが子を育てたくない」』・・・これは当然で我が子の行く末を思うは世界中どこでも同じ。キットー氏は流石は英国人で支那人と大きく異なり、判断力も分析力の備わっており、“虚偽なイデオロギー支那の教育環境”と喝破している。おろらく此れが支那を去る最大の理由だったのでは?と筆者は推測している。勿論、公害や食の安全も平行して。
本国の戻り安心して今後の人生を、子供の将来を心配する事無く穏やかな人生を送る事を祈ります。
因み先に述べた「フライング・タイガース」の概要を以下に記します。
✦【フライングタイガース(Flying Tigers)】・・・
日中戦争時に中国国民党軍を支援したアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group; AVG)の愛称であるが、戦闘機(100機)やパイロットは米国政府が用意しており、実質、義勇軍の名を借りた米国の対日戦闘部隊であった。
ルイジアナ州出身の陸軍航空隊大尉であったクレア・L・シェンノートは蒋介石の妻で国民党航空委員会秘書長であった宋美齢の呼びかけにより中華民国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられた。
クレア・L・シェンノートはルーズベルト大統領の後ろ盾を受け100機の戦闘機と100名のパイロット、そして200名の地上要員をアメリカ軍内から集める権利を与えられ、アメリカ軍隊内で早速パイロットの募集を募った。シェンノートの理想は当然、メンバーは戦闘機乗りであること、飛行錬度は高いことが条件であった。採用されたパイロット達全員は義勇の名目からアメリカ軍を一旦退役する必要があった。またAVGとしての活動中、パイロット達には下記の条件が与えられた。
※ 軍退役後は全メンバーに一時金500ドルを支給
※ 中国での軍務の終了後、元の階級での空軍復帰を約束
※ 毎月600ドルを全てのパイロットに支給
※ 月支給プラス敵機を1機撃墜するごとに500ドルを支給
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