米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに
米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。
米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。
調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。
日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。
報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。
IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。
ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)
産経ニュース(2014.11.27 )
http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html
筆者考:
此の調査結果は当然であり、格別には驚くには値せず、常々心ある良識者の方々が長年に亘り唱えて居た事が、粛々と実証された事と言えるでしょう。
➤❮報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した❯:
スティーブン・ガーフィンケル氏は何故の此の結果が残念だったのか?・・・失望の表現はまるで初めから慰安婦問題の虚構をあったとして調査を開始した事の証であり、取りも直さず支那や南朝鮮のロビー活動で籠絡されていた事になる。此の言葉で馬脚を現した様です。
➤ ❮IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した❯:
特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した!・・・往生際が悪い!とは此の事であり、慰安婦の奴隷化で余程に期待して居た事が発見できずで、口惜しいかったのか?。己等の感情が滲み出ている語句です。
Michael Yon:
➤ ❮米国人ジャーナリストのマイケル・ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った❯:
全文は以下に記されています!・・・
http://phoenix1945.blogspot.ca/search?q=%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8
http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html
筆者考:
此の調査結果は当然であり、格別には驚くには値せず、常々心ある良識者の方々が長年に亘り唱えて居た事が、粛々と実証された事と言えるでしょう。
➤❮報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した❯:
スティーブン・ガーフィンケル氏は何故の此の結果が残念だったのか?・・・失望の表現はまるで初めから慰安婦問題の虚構をあったとして調査を開始した事の証であり、取りも直さず支那や南朝鮮のロビー活動で籠絡されていた事になる。此の言葉で馬脚を現した様です。
➤ ❮IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した❯:
特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した!・・・往生際が悪い!とは此の事であり、慰安婦の奴隷化で余程に期待して居た事が発見できずで、口惜しいかったのか?。己等の感情が滲み出ている語句です。
Michael Yon:
➤ ❮米国人ジャーナリストのマイケル・ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った❯:
ヨン氏は依然から、『米欧大手メディアの『日本軍が組織的に女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張は作り話としか思えない』と主張していた。
『Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group (IWG)』の調査結果で何も発見出来なかった事は慰安婦問題は虚構であった氏の主張が証明された事になる。更に自分自身のホームページでは『慰安婦問題での日本糾弾は特定の政治勢力の日本叩(たた)きだ」として、日本政府は河野談話を見直すべきである!』とまで言い切っている。
日本側に取っては心強い援軍となるでしょう。
公開された米軍公文書と今回の調査結果の報告と合わせると日本側に取っては強力な武器となり特亞のプロパガンダに対抗出来るでしょう。日本政府は河野談話を見直す事を逡巡するなかれ!と筆者は言いたいものです。
公開された米軍公文書と今回の調査結果の報告と合わせると日本側に取っては強力な武器となり特亞のプロパガンダに対抗出来るでしょう。日本政府は河野談話を見直す事を逡巡するなかれ!と筆者は言いたいものです。
拙ブログの記事で全文和訳した米軍公文書を取り上げましたが、改めて添付いたします。長文なので一部だけを記載い致しました。、悪しからず!・・・
【報告書49: 日本人の戦争捕虜捕・売春婦の尋問】:
米国戦争情報局:
米陸軍部隊所属・心理作戦班
インド-ビルマ戦域 APO 689(インドアッサム州のレド)
日本人戦争捕虜尋問 レポート第 49 号。
尋問の場所 : レド
尋問日付 : 8 月20日 ~9 月10日 1944
報告書の日付 : 1944 年 10 月 1 日
報告書作成者: T Alex Yorichi(アレックス・ヨリチ)
囚人 : 朝鮮人慰安婦 20名
捕囚日付 : 1944 年 8 月 10 日
到着日 : 1944 年 8 月 15 日
序文:
この報告書は、8月10日にビルマ・ミイトキーナ陥落後の掃討作戦に依って捉えられた20人の朝鮮人慰安婦と2人の日本人民間人に対しての尋問で得られた情報に基づいている。
報告書は如何に日本人が生活や労働条件、日本兵との関係、軍事情勢を説明した上で朝鮮人慰安婦を募集したかを明らかにしている。
“慰安婦”は日本軍を追従して日本兵の為に成る売春婦または『プロフェッショナル・キャンプ・フォローア(野営追軍プロ)』以外の何者でなく、・・・慰安婦の言葉は日本人独特のものである。
他の報告書にも『“慰安婦”は必要とされて、日本軍が戦う至る所で散見出来た!』と記されているが!、・・・此の報告書はビルマで日本軍に追随していた日本人に依って募集された『朝鮮人慰安婦』だけを対象としたものである。
1942年には703人が日本人に依ってビルマに送られた事が報告されている。
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募集:
1942年4月初旬、東南アジアを制圧して日本統治と成った地域で、慰安奉仕に携わる朝鮮人婦女子を徴募する為に日本人仲介者達が朝鮮に到着した。
如何なる奉仕なのか?は特定されなかったが、・・病院で訪れ『傷を癒している負傷者の包帯を巻く』、『一般的に兵士を喜ばせる!』など仕事に関連している!思われていた。
此れ等の仲介者に依って為され勧誘は!、・・・高収入で家族の借金返済可能、簡単な仕事、新しい土地のシンガポールで希望に満ちた生活への期待などだった。
此れ等の誤解に基づいた描写で多くの婦女子が海外任務の徴募に応じ、数百円の前払いで報われた。
婦女子の大半は無知と無教育であり、中には以前に地球最古の女性の職業(売春)の経歴がある者が数多散見できて、契約書に署名した婦女子達は家族の負債の為に前渡しされた金額に応じて6ヶ月~1年間の期間を軍規と戦争と『ハウスマスター(売春宿主人)』に従う事を余儀なくされた。
此れ等の手法で約800名の婦女子達が勧誘され、・・・日本人の売春宿主人と共にラングーンに1942年8月20日頃に上陸し、8人から22人の集団で勧誘された婦女子達は、ビルマの通常日本軍駐屯地の近くの中都市の彼方此方に派遣されて、最終的には4団に編成されて、ミイトキーナに達した。
売春宿は共栄、金水、ばくしん楼閣、桃屋であったが、・・・4団がミイトキーナに達した時に共栄は丸山と呼ばれていたが、名称がミイトキーナ駐屯隊司令官の丸山との類似が有るとの理由で変更された。
人格:
尋問で朝鮮人娼婦は約25歳程で無教育で子供っぽく、利己的で!、・・・標準的なコケイジャン(白人)や日本人の標準より醜い事が明らかになった。
娼婦達の態度は自己中心的で自分自身の事ばかりを語りがたる傾向があるが、見知らぬ人の前では寡黙で控えめな態度を示す反面、客の気を引く擬態には長けている。
自分の職業を嫌悪しており、職業や家族の話をする事は好まなかった。
娼婦達はミイトキーナとレドゥーで連合軍からから受けた仕打ち、・・・囚人として扱われた事に依って米軍兵士は日本軍兵士より遥かに感情的で粗暴である事を悟り、加えて支那人やインド人の兵士を極度に恐れた。
生活・労働条件:
ミイトキーナでは、娼婦達は4等分された大きな2階建(通常は学校)ての家に個別の部屋に充てがわれ、其々に住み、就寝して商行為(売春)を行い!、・・・娼婦達の食事は用意された物を売春宿の主人から買い、軍からの定期的な配給は受け取らなかった。
娼婦達は近隣のビルマや他の場所と比較して高級と言える場所に住み、快適な生活をしており、加えて食料や必要な物資などは厳しい配給とは無縁で、充分なお金を所有して望む物を買う余裕があり、更に・・・衣類、靴、タバコ及び兵卒に与えられた訪問袋の多くを補う化粧品を購入する事が出来た。
此れ等はビルマに2年目の生活の紛れも無い事実であった;
ビルマでは娼婦達は士官や兵卒達とのスポーツ行事に参加、更にピクニックや社交夕食会、娯楽などを楽しみ、・・・蓄音機を所有し、そして町まで買い物にいく自由があった。
以前の制度:
軍は密集地域で其々に特定区で営業している売春宿の利用客の優先順位、価格、日程は必要であると認識し、・・・軍に依って調整される条件で商行為(売春)は許され、・・・密集市街地では厳密な規制を遵守させられた。
尋問書に依ると、標準的な制度は以下の通りであろ。
1) 兵卒 : 10 AM to~5 PM 料金=1.50 円 所要時間= 20~30 分間
2)下士官: 5 PM to~9 PM 料金=3.00 円 所要時間= 30 ~40 分間
3)士官 : 9 PM to~12 PM 料金=5.00 円 所要時間= 30 ~40 分間
これらは中央ビルマの平均的な代価だった。士官は 20 円で一晩を過ごす事が許されました。ミイトキーナでは大佐丸山が平均価格のほぼ半分に価格を引き下げた。
日程表:
兵士達はしばしば売春宿の余りの混雑ぶりに不平を言った。厳しい軍規に依って彼らは時間超過は許されず目的を果たさずに去らねばならぬ事が度々あった。
此の問題を改善する為に軍は限定された部隊に特定日を設け、・・・通常、兵卒を識別する為に部隊の兵卒2二人を売春宿に駐留させ、・・・巡回する憲兵も秩序を維持するのに手を貸した。
18師団の其々の部隊がNaymyo(メイミョー)に駐屯していた時に共栄楼で告示されていた日程表を以下に示します。
日曜日 : 18th 師団参謀将校
月曜日 : 装甲機動部隊
火曜日 : 工兵
水曜日 : 休日、 定期検診
木曜日 : 従軍医師
金曜日 : 山砲兵
土曜日 : 兵站部隊
将校達は一週間七日、売春宿に来る事が許されていた。
娼婦達が日程表に従っても混雑振りは限界を超えて、客の全てに応える事ができずに、それが多くの兵卒の気分を害する事に不満を抱いていた。
兵士達は代価を支払い2インチ四方の厚紙、・・・左側には順番と右側には売春宿の名が書かれている整理券を貰い、列に並び各兵卒の身分、階級は順番が来た時に認識された。
娼婦達は兵卒が酩酊している場合には拒否する特権を与えられており、此の特権は往々にして行使された。
報酬と生活環境:
売春宿の主人は娼婦達が契約の際に前借りした債務の金額に応じて、総収入の50~60%を受け取った。総収入は月1500円にも達して、750円が売春宿の主人の手に渡った。
数多の売春宿の主人は娼婦達に高い食料品や他の必需品を売りつけ、生活を困難にさせた。
1943年には、軍は特定の娼婦、・・・債務の支払いが完了した特定の娼婦に母国への帰国命令を下した結果、数多の婦女子が朝鮮に戻った。
尋問が進むに連れて娼婦達の健康状態が良好で有る事が明らかになった。彼女達は如何なる種類の避妊具を豊富に供給され、更に兵卒は度々、軍から支給された避妊具を持参してきた。娼婦達は良く訓練されており、自分たちと客の衛生面にはよく気を配っていた。
正規の軍属医師が売春宿に一週間に一度は検診に訪れて、羅病が発見された時は治療を施して、隔離、ゆくゆくは病院に送られた。此の処置は階級に応じて軍事自体に取られ、…興味深い事は病床に臥している兵士達には給料が支払われていた事は注目に値する。
全文は以下に記されています!・・・
http://phoenix1945.blogspot.ca/search?q=%E5%85%AC%E9%96%8B%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E5%85%AC%E6%96%87%E6%9B%B8
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