2015年10月25日日曜日

❝日本国を思う心情が足りぬ!❞⇒外務大臣・岸田文雄がポスト安倍をあらかさまに狙い始めた!・・・

先ずはメープル街道「ケベック州ローレンシャン山脈の紅葉をお届け致します!・・・

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写真は記事とは全く関係がありません!・・・


「池田元首相は未来見通す政策持ち実行」 自民・岸田氏
朝日新聞デジタル(2015年10月24日)

■岸田文雄・自民党岸田派(宏池会)会長

 池田勇人元首相は首相就任前、1960年代は日本にとって黄金時代になると明言されていたそうです。安保闘争の嵐が吹き荒れ、日本が真っ二つに割れた激動の時代に、60年代は黄金時代になると見通すことは簡単ではなかったのではないか。その後、内閣総理大臣の座を勝ち取り、戦後の最も大切な局面転換と言われる、政治の時代から経済の時代へという大転換を実現して、所得倍増計画を実行し、東京オリンピック、高度経済成長へと突き進んでいったわけです。

 政治において大切なものが二つある、一つは政策であり、もう一つは政局であると言われています。まさに池田元首相は未来を見通す政策と、それを実行するための力を持った、偉大な政治家でした。足跡を振り返り、今の政治において我々は、また日本の政治はどうあるべきか、思いを巡らせなければならないと思っています。(広島県竹原市で開かれた池田勇人元首相没後50周年記念式典で)

                                                 

ブログ主考:

宏池会(こうちかい):通称は岸田派

1957年に池田勇人を中心に結成された。
流れは!〜池田派→前尾派→大平派→鈴木派→宮沢派→加藤派→(二派閥分裂※)→古賀派→岸田派。
 創設者の池田勇人以来、大平正芳・鈴木善幸・宮沢喜一と4人の総理・総裁を輩出、野党時代にも河野洋平、谷垣禎一と2人の総裁を出しており、自他共に保守本流の名門派閥と見なされてきた。元来、池田を取り巻く官僚出身の議員やスタッフを中心に形成されたという沿革もあり、今日に至るまで政策に通じた議員が多く在籍する。しかし政策に明るいが政争に暗いと評され、「公家集団」と揶揄されることも屡々みられる。

宏池会・会長の岸田文雄:



自民党左派!〜、リベラルの冠がよく似合う!・・・
近来は、ポスト安倍を狙った心情があらかさまになり、抑え切れずに、時折舌が滑り安倍総理を暗に批判する言動が目立つ!・・・

宏池会は❝公家集団!❞と揶揄され、・・・軟弱さ目立つが、どうして、どうして!〜、岸田文雄や谷垣禎一などは表面上の公家風の印象とは大違いで安倍総理を暗に非難する言動を億面もなく取る腹黒さがある。尤も、腹黒さは公家の専売特許と平安朝の時代から実証されてはいるが。
 此の点で『宏池会は公家集団!』は蓋し正鵠を射ているようです。
なにせ、腹黒さと売国度数では天下一品で並ぶものなし!〜、彼の古賀誠が今で陰に陽に影響力を発揮しているのでは宏池会派の議員は信用は出来ない。


❝池田元首相は未来見通す政策持ち実行!❞:
➤  ❮❮政治において大切なものが二つある、一つは政策であり、もう一つは政局であると言われています。まさに池田元首相は未来を見通す政策と、それを実行するための力を持った、偉大な政治家でした。足跡を振り返り、今の政治において我々は、また日本の政治はどうあるべきか、思いを巡らせなければならないと思っています。(広島県竹原市で開かれた池田勇人元首相没後50周年記念式典で)❯❯・・・

宏池会の創始者で昭和の名宰相といわれた池田勇人の没後50週年記念式典に託けて、・・・己が属し現在会長である岸田文雄外相が池田勇人を持ち上がると同時に宏池会派(岸田派)のステルス宣伝をするのは当然と言るが、朝日新聞が記事にするのは明確な意図がある筈!と捉えるべきだと思います。

岸田外相の疑問符が付く発言!〜。
✦ 派閥の研修会で『憲法9条の改正を考えていない』と発言!・・・
此れは党の方針に真っ向から逆らうもので、日本国の安全保障に外交が重きを置き、外務大臣がこんな発言をするとは、驚愕の一語に尽きる。
今後は朝日新聞は岸田外相に照準をあてて自民党を分断させる手段を画策して、それが今回に記事となったのでしょう。

自民党幹事長の谷垣禎一の腰砕けは見苦しい!〜
同じく宏池会はの谷垣禎一は自民党執行部の長にありながら、本来は先の安保法案国会で民主党が成した暴力を、特に、特に!・・・ 『17日の参院特別委員会の採決の時、自民党の大沼瑞穂参院議員が、民主党の津田弥太郎議員に後から羽交い絞めにして引き倒され、右指に怪我をした』、これは民主党を叩き潰す絶好の機会でだったのに、なぜか手打ちにして仕舞った。天が与えてくれた天佑とも言え民主党を完膚なきまでも壊滅させる機会をみすみす見逃した罪は大きい!。
幹事長ならば党内に意識を高めて民主党と一戦を交えるべきでした。

宏池会派の議員は国家観がなく、親支那派が数多散見できる!。

宏池会派議員で最後に首相となったのは、無能で支那の忠犬だった宮沢喜一!〜
遠い、遠い昔の事在任期間 :1991年11月5日 - 1993年8月9日)で然も、宮沢内閣の時に河野洋平は官房長官であって、河野談話が出され大きな、大きな禍根を残した。

宏池会(岸田派)の領袖として、安倍総理の後釜に座ろう!との身の丈に合わず(国家観、愛国心の欠如)の野心を抱いている岸田外相は、宏池会の創始者である池田勇人の名声を利用して己の野心を完結させよう❢との意識が安倍総理を暗に批判する言『政治において大切なものが二つある、一つは政策であり、もう一つは政局であると言われている⇒今の政治において我々は、また日本の政治はどうあるべきか、思いを巡らせなければならないと思っています』を発している。

己が外務大臣としては失態続き!〜、
ポスト安倍などは烏滸がましいも程がある!・・・。
当分は野心を捨て去り、余計な、朝日新聞が喜ぶような発言を控えて、外務大臣として日本国の国益を全面に押し出し、支那の特アの横暴さに対する気迫ある外交を展開しろ!と言いたいものです。


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