2015年4月19日日曜日

【朗報】⟹ カナダ・BC州…バーナビー市で計画されていた慰安婦像設置が見送り!・・・

慰安婦像設置は「当面保留」 カナダ西部バーナビー市 日系住民の反対奏功

【ロサンゼルス=中村将】カナダ西部のブリティッシュコロンビア州バーナビー市に、韓国の姉妹都市や現地の韓国系住民らが慰安婦像の設置を提案していた問題で、同市のコーリガン市長が像設置の判断を当面保留する決断をしたことが分かった。地元日系住民らの反対が奏功した形だ。

 コーリガン市長は15日に発表した声明で、「(韓国側からの)提案を検討する初期段階で、情報収集したり、住民らの意見を聞いたりした結果、地元の日系カナダ人社会などにおいて懸念が生じる可能性があることに気づいた」とし、現状のままでは設置計画を進めないことを表明した。今後については、「日系と韓国系の双方が納得する提案がなされれば、そのとき検討する」と含みを持たせた。

 韓国側からの提案が表面化して以降、日系住民側は直筆の反対署名を少なくとも500人分以上集め、市に提出。このほか、インターネットで1万3千人分以上の反対署名が集まった。市や公園管理当局に現地の日系人らが反対理由を直接説明したほか、米国の日系人らも反対の手紙を送るなどしていた。

韓国側の提案は、バンクーバー市との境にある森林公園「セントラルパーク」内にある朝鮮戦争戦没者記念像の近くに慰安婦像を設置するもの。2月には除幕式を行い姉妹都市の華城市の市長も参加する計画だったとされる。碑文に「韓国の女性が日本軍に強制連行され、性奴隷にされた」などと記されることも提案されていたという。保留になったことで韓国側の働きかけが強まる可能性もある。

 一方、声明には「最近、日系社会と韓国系社会が和解と協力を促進するための対話への意思を示している」とし、双方が納得する提案があれば、改めて検討するとしている。ただ実際にそうした動きは見られないため、「懐柔策」との疑念を持つ日系住民もいる。

 カナダで慰安婦像設置の動きが浮上したのはバーナビー市が初めて。自民党の「日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会」でも取り上げられた。

産経ニュース (2015.4.18 )


                                        



筆者考:

    BC州・バーナビー市(City of Burnaby)


   カナダ
  ブリティッシュコロンビア州
行政区   メトロバンクーバー
都市名   バーナビー
英語名   City of Burnaby
創設日   1892年
1992年  (市制)
面積   89.12 km²
標高  海抜 0~370 m
人口 (2006年):
 - 市域 202,799 人(国内22位)
 - 人口密度 2,275.6 人/km²


概要:
カナダのブリティッシュコロンビア州南西部に位置する都市。メトロバンクーバーに属し、その行政府が置かれている。西はバンクーバーと接しており、人口規模は、バンクーバーとサレーに続く州内第3位。
人口は同地域の10%を占める。また州内第3位の人口規模をもつ都市でもある。メトロバンクーバーに見られるように市内も大きな民族グループと移民が存在する。例えば市内北部には多くのイタリア系レストランが建ち並び、メトロタウンの南部周辺にある高層コンドミニアムのタワーには台湾、香港、マカオからの移民を含めた中華系と、韓国系、旧ユーゴスラビア系が多く含まれる。

カナダ・BC州・バーナビー市で計画されていた慰安婦像の設置が、地元日系住民らの反対運動が功を奏していちじ見送り(保留)が決定した!・・・

地元の日系人の反対運動とScarlet Ewald(スカーレット・イオールド)さんが主導して署名サイトを立ち上げて広く署名を集めた事が今回の慰安婦の設置の当分保留の決定に繋がりました!・・・感謝してもし切れません!・

今回の決定は飽く迄もいちじ的(保留)の曖昧な決定であり、糠喜び!になる可能性は否めず、今後も慰安婦の設置計画が完全に撤回されるまで、安心は出来ません。
南鮮人の執拗さは世界一で、此ればかり侮れず!・・・
今後は、以前にも況して設置計画を熾烈にするのは、容易に想像が出来、予断は許せず今後も引き続き署名運動を続ける必要が有ります。

バーナビー市長・コーリガン市長は『日系と韓国系の双方が納得する提案がなされれば、そのとき検討する』と含みを持たせており、・・・矢張り政治家独特の姑息は払拭は出来ずに、選挙の際の南鮮系の票の欲しさが垣間見える。
日系と南鮮系の双方が納得する提案など絶対にある筈がない!・・・。

南鮮人は母国を捨てて海外に移住しても、本来の執拗さや宿痾である火病を、母国に残して新しい土地で生活できず、徒党を組んでは政治な活動に走る。
 南鮮人の愛国心は度が外れており、・・・此れは劣等感の裏返しでもある。故に狂気じみた特性を持ち、他人を、他国を口撃する時の一致団結力は目を見張る物がある。
尤も団結力の強さは劣等感の強さに比例しているのが欠点であり、素直に評価はできません!。

翻って日本人は政治的な活動は興味を示さず、南鮮人のように一箇所に住み事は好まずに彼方此方と点在して周辺と融和する特性を備えている。
南鮮人と比較して日系人は愛国心が希薄であり、日本国などはどうなろう!と知った事では無い!との心情が垣間見る事が往往にしてあるのは悲しい事です。
2世3世は日系と言うだけで、日本人では無くて、可といって誇りを持ってカナダ人と言い切れぬで、欧州系の移民とは異なり、アイデンティティを見失っている観があります。

 1960年代後半〜1970年代、一時的にカナダ政府が良質な労働力を確保する為に、日本人の移民を呼び込もう!と移民規制を大幅に緩和した時期(1970年代前半、申請さえすれば永住権授与)が有り、其の時に多数の日本人がカナダに移民して、後に帰化した経緯が有ります。
 この時期に移民した日本人の殆どは今はバンクーバー周辺に住んでいます。
勿論戦後の歪んだ教育を受けており、日本人としての誇り、挟持は学校では教わらず、日本国への愛着心は希薄で、中には西洋カブレをした者が数多散見出来ます。

バーナビー市の慰安婦像設計画が頓挫、例え一時的な見送りとは言え、設置の工事が保留されて事は欣快事です。勿論これは、現地の日系人の尽力もありますが!、・・・最大の功労者は署名サイトを立ち上げて、多数の署名を集めたScarlet Ewald(スカーレット・イオールド)さんだ!と、筆者は思います。

Scarlet Ewald(スカーレット・イオールド)さんから先日、私の署名に対してのお礼と中間報告のメールがありましたので、以下に記載致します。
☟  ☟  ☟

◼︎【“Visas for Life” 6,000 Jews saved by a Japanese Diplomat】:
Scarlet Ewald Canada

Mar 20, 2015 — We greatly thank you all who signed our petition “Not a statue of peace, a magnet for conflicts.” It has reached over 10,000! Please continue support us and spread this petition to the world. 

I would like to share a heartbreaking true story of a Japanese diplomat named Chiune Sugihara Who issued later called “Visas for Life” to save thousands of Jews from Nazi during the WW2. A friend of mine recently came to know her friend’s grandparents were saved by Visas for life. It was the City of Burnaby where her grandparents first arrived and settled.

By some estimates, more than 40,000 people alive today have him to thank for their very existence.

Holocust Hero


慰安婦像設置反対の署名頂いた皆様10,000を突破致しました事をご報告とお礼を申し上げます。どうぞこれからも署名数拡大にご協力お願い致します。
本日は感動の『ツルー・ストーリー(実話)』を皆様と分かちたい思います。日本人外交官、杉原千畝は大二次世界大戦中に何千ものユダヤ人をナチスの手から救いました。後に「命のビザ」と呼ばれます。私の友人の友人の祖父祖母はこの命のビザにより命を救われた事を最近知る機会を得ました。

その友人の祖父母が「命のビザ」のお陰でカナダにたどり着き、最初に居を得たのが、バーナビー市であったのです。

現在わたって計算するとおよそ40,000もの人々は杉原千畝の「命のビザ」により助けられた事になります。

Scarlet Ewald(スカーレット・イオールド)さんが友人の祖父母が第二次世界大戦中にナチス・ドイツの毒牙に掛かる寸前に日本外交官・杉原千畝に救われた事に感謝して・・・日本人が根拠なき不当な南鮮人の反日プロパガンダい対抗し慰安婦像設置を阻止する為に署名サイトを立ち上げました。

戦前の偉大なる日本の先人である『外交官・杉原千畝』が残してくれた大きな遺産です。

戦後の『政・官』は遺産を残す処か戦後、国民が汗水垂らして働き、営々として築いた国富を湯水の如く特亜にばら撒き負の遺産だけを残して、将来の日本人に暗い影を落としている。
戦前と戦後の教育の対比が見事に浮き彫りにされています。





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