1922年9月8日、希土戦争(ギリシャ/トルコ間)の終盤、ギリシャ系とアルメニア系の難民は!~、
政府からの救助がなく、トルコ軍によりトルコ西部の都市、イズミルへ追いやられていた!・・・
※ 希土戦争(きとせんそう):1919年 - 1922年 、第一次世界大戦後にギリシャ王国とトルコの間に生じた戦争。
戦争末期の混乱下とあって他国の船は、難民を顧みる余裕はなく自国民を中心に救出する中、… 当時イズミルに寄港していた日本の商船の船長だけは、難民の救出の為に商船を出動させた。
当時船には絹やレースなど貴重な商品が積まれていたが!~、
船長は船員と共に積み荷の大部分を海に投げ捨て、
難民を乗せるスペースを確保!・・・
その後難民を船に乗せ、ギリシャの海岸まで無事輸送し、…船長の勇気ある決断により、800人の難民が命を救われた。
なお、商船で有りながら、荷主に断りもなしに、独断で積荷を海中に投げ捨てる胆力を持ち、敢然として難民救済に尽力したその日本人船長の名前は、残念ながらいまだに不明のままである。
100年近く前の出来事ながら!~
この歴史の秘話はギリシャで今も語り継がれている!・・・
2016年7月には、ギリシャ難民の団体【エスティア】により、
敬意を示すプレートが西林駐ギリシャ日本大使(当時)に授与されている。
この歴史秘話を、最近になって主にアルメニアのサイトが取り上げており、
アルメニア人とギリシャ人の間で大きな反響を呼んでいます。
関連投稿に寄せられた反応をまとめましたので、御覧ください!。
此の関連記事は複数のメデイア(新聞、フェースブック、ツイッター)の取り上げられ!〜。
大きな反響を呼んでいる!・・・
関連記事を閲覧したい方は!〜、
クリックしていただければ幸いです!・・・
922年9月8日に日本の旗を掲げてスマーナで船を撮影した写真
■ この物語は全てのアルメニア人が知るべきだ。ありがとう日本。
■ こんな秘話があったなんて……。知ることが出来て本当に良かった。 +1
■ 私が聞いた話だとフランスとイギリスの船員たちは、
難民を船に乗り込ませないように手で追っ払ってたらしい。
日本人だけが助けてくれたって。残念な話だけどね……。 ギリシャ
■ この話を知ってたから、私はずっと日本と日本人を敬愛していたんです。
日本に心から感謝しています。
■ 僕の中で日本が世界最高の国である理由はいくつもあるけど、
今日また新たな理由がリストに加わったよ。
日本とアルメニアの友好関係がより強固な物になりますように! +3
■ まだあまり世に知られていない、隠れたヒーローの物語……。 +1
■ ベネチア留学中に、ボストン交響楽団の主任オルガン奏者に会ったんだ。
彼の父親がイズミルでどうやって日本人に救われたのかを話してくれたよ。
■ 衝撃的な情報だった。本や文書には書かれてない内容だったから……。
僕らの先祖を救ってくれた日本に感謝します。
⬆︎ ⬆︎ ⬆︎
■ うん、俺も日本人が救出に動いてくれてたのは知らなかった。
知らないままにならなくて本当に良かった。
日本人に対する見方が変わったよ。
■ 日本人は一般的に、気高く謙虚な人たちだ。
大戦中を除いて、日本は常に経済的・人道的支援をしてくれた。
■ 何でヨーロッパの国はどこも難民を救ってくれなかったの? +4
■ 素晴らしい記事でした。本当に興味深い。
そのあと救出されたアルメニア人はどこに行ったんだろう? +3
■ 僕の父とその家族も当時トルコに迫害されたんだ。
そしてなんとかフランスまで渡ることが出来た。
きっと日本人の寛大な措置のおかげなのかもしれないね。
僕には日本人の友人がいるし、日本人が大好きだ。
■ 素晴らしい記事をありがとう。
日本との間にこんな素敵な歴史秘話があったんだね😍 +1 ギリシャ
■ 名誉を重んじる日本の人々に感謝いたします。 +27 ギリシャ
■ この重大なニュースを聞いても俺は驚かなかったよ。
日本人の精神性の素晴らしさを知っていたから。
■ ちなみにアルメニアの駐日本大使だったダイアナ・アプカー女史は、
世界で初めて誕生した女性の大使だったんだ。
■ 日本はイズミルのアルメニア人を助けてくれた唯一の国。 +1
■ ありがとう日本。ドウモ。
トウキョウでの暮らしが大好きだった。
日本は美しい人たちが暮らす、美しい国だ。 +4
■ 実際に僕の父親が日本の船員たちによって命を救われたんだ。
■ 一方でイギリス海軍は傍観して何もしてくれなかった!
俺の祖父がその現場を実際に見てる! +23
⬆︎ ⬆︎ ⬆︎
■ 僕の大叔父は日本人に助けられたんだって。
日本以外の船の船員たちは難民が船に乗ってこないように、
熱いお湯を船の上から撒いてたらしいよ。
■ 前にどこかで関連記事を読んだことがあった……。
日本への恩を絶対に忘れない。私が親日家なのも当然なのよ🙂 +1
■ その日本の船長は素晴らしく高貴な精神を持っていたんだね。
■ こういうあまり知られていない歴史秘話が大好きだ。ありがとう、日本。
■ アルメニア人への迫害は、イギリスにこそ責任があると思うけどね。
彼らは小アジアでギリシャ軍を支援しなかったから。
■ 難しい状況で適切な判断をした日本人船長は素晴らしい。
高邁な精神を持った人だったんだろう!!!
■ 初めてこの件を知ってから色々な文献を探して読んだよ。
ようやく世に知られることになって嬉しい。 +6
■ だからこそ、俺たちは日本のことが大好きなんだ。 +1
⬆︎ ⬆︎ ⬆︎
■ この話は前にどこかで読んだことがあった!
とあるギリシャ人の船長は日本の船でアテネに逃げたんだけど、
乗り遅れた船員たちが命を落とした事をそこで知ったらしい。 +1
■ 日本は世界一優秀な民族だと思ってた
俺のその感覚はどうやら間違ってはいなかったようだ。 +10 ギリシャ
■ 全てのアルメニア人が日本に感謝してる。いくら賞賛してもしきれないよ。
■ 状況的に、かなり勇気が求められる行動だったでしょうね。
……名もなき英雄の行動を、私たちは絶対に忘れません! +12 ギリシャ
参考記事:
【ありがとう、日本】エーゲ海で800人の難民を救った日本人の歴史秘話が話題に
外務省がギリシャメディアの関連記事を紹介しているだけで、
日本のネット上にはほとんど情報がない。
なお、当時ニューヨーク・タイムズ紙もこの件を記事にしている。
✦ 22年9月18日付のニューヨーク・タイムズには日本船がギリシャ人を助けたという記事がある。欧米各国の船が自国民を優先する中で、救助にあたったという。
✦ ギリシャの主要紙であるエスティアやエンブロス、クレタ島の新聞は『Tokeimaru』が船長の指示で積み荷を降ろし、約800人を助けたと報じた。
✦ 英国のデイリー・テレグラフなどにも日本船の記述がある。
日本の新聞には一切見当たらないが!〜、
これだけ各紙に出ているということは、
救出したのは事実だと思われる!・・・
■【伝説の船長を語り継げ ギリシャで映画化の動き】:
(2019.5.16.毎日新聞 大阪夕刊)
『この船に乗った難民の、たとえ髪の毛一本にでも触れれば日本への侮辱と見なす』、・・・ 当時のギリシャ紙や米紙ニューヨーク・タイムズの記事を総合すると、1922年9月、ギリシャ人が多く住んでいた現在のトルコ西部イズミル(当時スミルナ)の港で、日本船の船長はこう言ってトルコ軍を威嚇し、女性や子どもを含むギリシャ人、アルメニア人を救助したという。
ただ歴史的事実とするには不明な点も多い。長年情報収集を続ける村田奈々子東洋大教授(ギリシャ史)は『日本側から史料がほとんど出てこないのが不思議だ』と指摘する。新聞の「TOKEIMARU」の表記を手掛かりに船名録を調べ、当時スミルナに出入りしていた『東慶丸』という船が実在したことを突き止め、神戸に住む関係者にも会ったが決定的な証言は得られなかった。
一方、救出された難民の子孫であるヤニス・イトスさん(70歳)は!~、
『祖父から日本人に助けられたと繰り返し聞いた』と明かす!・・・
33歳だった祖父は料理人として出稼ぎ中にスミルナの大火に遭遇、着の身着のままで港に逃げ救助された。
乗組員らが船上で箸と茶わんを使って米を食べていたのが珍しく、印象的だったと話していたという。『この素晴らしい話が歴史に残らないのはさみしい』、イトスさんは生きている限り証言を続け、後世に伝えていくと語った。
■【TOKEI MARU TEASER 01】:
ザチョス・サモラダス監督によるアニメーション短編アニメーション『とけい丸』の予告編予告編!〜、
何よりも人間の命を優先する日本の船長を人道的な行為を武士道に
みたて、アニメ化した動画です!・・・
何故、当時ニューヨーク紙や地元紙で報道された難民救出の美談が!〜、
日本では全く記録に残っていないのか?、
摩訶不思議である!・・・
当時新聞で記された、救助活動をした日本商船、…『TOKEIMARU』は当時実在したことは判明しているが、関係者から決定的な証言は得られなかったとは残念である。
もし、映画化され、歴史的検証が始まれば、新しい事実が発掘され、船長の名前、子孫が判明する可能性があります。
日本の文科省は此のような歴史的な発掘に助成金を付与すべきだ!とブログ管理人は切望しています。
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