元寇、戦わず属国になれば日本はどうなっていたか…時宗の「戦争指導力」と「胆力」現代リーダーは見習え
強硬姿勢の裏に綿密な分析…国運かけた戦いへ
平安時代中期に中国東北部の女真族による海賊が九州北部へ侵攻した「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」から約250年後、新たな脅威が日本を襲う。日本人なら誰もが知っている蒙古襲来(元寇)だ。この戦いでは、鎌倉幕府の御家人や西日本の武士団の活躍が有名だが、幕府の執権、北条時宗のリーダーとしての胆力の強さも忘れてはならない。
中国・元の初代皇帝フビライ汗は日本を属国にしようと、朝貢を求める国使をたびたび送ってきた。これに対して時宗は、常に強硬な態度を示し続ける。
これには理由があった。元が日本に襲来するにしても、十数万以上の軍勢は一度に動員できない。しかも元軍は東シナ海や玄界灘を渡ってくるため、途中で難破する可能性もある。日本にたどり着いたとしても、軍勢は疲労しているに違いない-。後に元によって滅ぼされる宋から逃げてきた僧たちの情報をもとに、こうした情勢判断をしていたからだといわれている。
その後、文永11(1274)年の「文永の役」と弘安4(1281)年の「弘安の役」の二度にわたり、日本軍は襲来した元軍を撃退した。日本戦史の中で、日露戦争と並ぶぐらい大きな意味を持つ勝利であったことは、歴史が証明している通りだ。
上皇の力も借り〝オールジャパン〟実現
二度にわたり元軍を敗退させた最大の要因は暴風雨だったが、蒙古襲来に際し、時宗が日本全国の武士団を統一したことも、勝利につながる大きなポイントだろう。
というのも、この時代、鎌倉幕府が命令を下せるのは幕府の御家人だけだった。守護、地頭を全国に配置しているといっても、土着の国侍や地方の国司などの勢力は朝廷の命令でしか動かなかった。おまけに真っ先に蒙古襲来に備えなければならない西日本の武士団には、幕府の御家人はほとんどいなかった。
元軍の襲来が近づくなか、本来は後宇多天皇に詔勅を賜るべきところではあったが、天皇は幼少であったため、時宗は先の天皇である亀山上皇の力を借りる。上皇から時宗に対して、「全国の武士団への指揮命令権を与える」という宣旨が下りたことにより、全国の武士団は宣旨に従い、九州北部に出陣して行った。時宗は上皇の宣旨という非常に巧妙なやり方で、全国の武士団を統一したのである。
「文永の役」の後には、九州北部の沿岸部を警備する異国警固番役を強化するとともに、長門(現在の山口県)に長門探題を新たに設置。御家人のみならず非御家人も動員して、博多湾岸に今でも残る石塁を構築して防衛強化にも努めた。元の国使を二度までも処刑する行為にも出ている。これらの処刑には、元への示威行動の意図もあったに違いない。
歴史のif…富も文化もすべてが奪われていたはず
元からの朝貢の求めを受け入れて臣下の礼を取り、属国になっていれば、間違いなく日本には元の役人や軍隊が進駐してきただろう。そうなれば、元の軍人が守護や地頭に代わって全国に配置され、あらゆるものを搾取し、伝統も文化も完全に破壊されていたに違いない。それは、元に支配された国の歴史を見れば明らかである。
属国になることを拒否して世界最強といわれた元軍を撃退し、征服されずに済んだのは、時宗の世界観と戦略的思考による決断が大きかった。また、現在のように交通機関や通信手段が発達していなかった時代に、全国の武士団を動員し、短期間に兵力を集中できたのは、時宗に卓越した戦争指導力が備わっていたからだろう。
時宗は「弘安の役」からわずか3年後の弘安7(1284)年、34歳の若さでこの世を去る。元寇に立ち向かうために生まれ、それを成し遂げると、すべての精根を使い果たして死んでいったかのような人生であった。
軍事的資質は不可欠、危機のリーダー像
ひるがえって現在の日本のリーダーを見たとき、時宗のような人物はいるだろうか。
いまだに日本では、大東亜戦争での敗戦による後遺症から「軍事=悪」という空気が続いているが、「軍事的な資質」がなければ国際社会で通用するリーダーとして諸外国と対等に渡り合うことはできない。
時宗の生き方は、国家が危機に直面したときのリーダーのあるべき姿を教えてくれていると思う。
産経ニュース(2014.5.6 07:00 )
筆者考:
時宗の生き方は、国家が危機に直面したときのリーダーのあるべき姿を教えてくれている⇔時の政権鎌倉幕府の国運をかける戦いに勝利への道は!・・・
✦ 綿密な分析、諜報活動(蒙古人の迫害から逃げてきた宋の僧侶たちからの情報を収集)で情勢を把握して腹を括り(備えあれば憂いなし)強硬姿勢を貫く!・・・
✦ 土着の国侍や地方の国司などの勢力は朝廷の命令でしか動かなかったが、・・・幕府の執権、北条時宗は上皇の宣旨を戴き日本全国の武士団を統一して強固な一枚岩にして蒙古軍と対峙、自然の力(台風)も加わり壊滅させる・・・
✦《属国になることを拒否して世界最強といわれた元軍を撃退し、征服されずに済んだのは、時宗の世界観と戦略的思考による決断が大きかった。また、現在のように交通機関や通信手段が発達していなかった時代に、全国の武士団を動員し、短期間に兵力を集中できたのは、時宗に卓越した戦争指導力が備わっていたからだろう》・・・
時政の卓越した胆力や指導力の力である事も然る事ながら、日本国の国体が上皇、天皇陛下の一言で纏まり、各地に分散していた武士団の力が一極集中となり外敵にあたる事が可能な大和人独特な「資質・気質」が押し寄せてきた元軍を壊滅させた最大の要因と言える。
【歴史に“もし!”があれば!、・・・ 元からの朝貢の求めを受け入れて臣下の礼を取り、属国になっていれば、間違いなく日本には元の役人や軍隊が進駐してきただろう。そうなれば、元の軍人が守護や地頭に代わって全国に配置され、あらゆるものを搾取し、伝統も文化も完全に破壊されて、漢人や朝鮮人の如くの歪んだ性癖(妄想癖、夜郎自大、ヒトモドキ)ばかりが突出した世界に稀な陋醜な人種になっていたに違いない。それは、元に支配された国の歴史を見れば明らかである】・・・
日本の歴史は神のいたずらか(初めに試練を与える)!・・・時代(国難が降り懸かる)が必要とした時に必ず!と言える程に英傑を日本国に与えてくれる(降臨)。これは日本国の歴史を紐解けば刻まれているのが判明する!、・・・『神に祝福された国、日本!』と言っても決して筆者は過言ではないと思います。
時宗は「弘安の役」からわずか3年後の弘安7(1284)年、34歳の若さでこの世を去る。元寇に立ち向かうために生まれ、それを成し遂げると、すべての精根を使い果たして死んでいったかのような人生であった。
時代が必要な時に英傑を降臨させ使命を果たすと召し上げてしまう!、・・・“日本国の守護神はいたずら者!”と言っても決して過言ではない所以です。
軍事的資質は不可欠、危機のリーダー像:
✦《翻って現在の日本の指導者を眺めれば!、時宗のような人物は存在するだろうか?,・・・未だに日本では、大東亜戦争での敗戦による後遺症から「軍事⇔悪」との空気が包まれている。「軍事的な資質」がなければ国際社会で通用する指導者として諸外国と対等に渡り合うことは出来ぬは自明の理である。 時宗の生き方は、国家が危機に直面した時の真の指導者のあるべき姿を教えてくれていると思う》・・・
時代背景、国体(マッカーサー違法占領憲法の発布で国民主権が国家主権を凌駕して上に「戦うことを放棄している憲法9条が厳然!立ちはだかっている」現今の日本!・・・
日本国破壊を画策する特亜諸国の工作員が跳梁跋扈しており、加えて今では特亜のご用達機関となった大半のメディア(国営放送局といえるNHKを筆頭に)、・・・最大の悲劇は「政・官・財」には国を思う国家観、正しい歴史観(皇室)を備えてる人物が少ない事!・・・
鎌倉時代は武家が執政として全国各地を治め、治安維持は武士団が担っていて、・・・有事の際は武家棟梁の一声で民の意識を気にする事なく、武士団があたる事が可能だった。翻って現今の日本は有事の際(すでに水面下で支那侵略で国家存亡の危機!)は憲法を盾に特亜の工作機関のマスゴミに誘導された子羊たちが猛反対して対応することすら出来ぬ!。 こんな状況下では例え北条時宗のような人物が存在しても売国マスゴミや「政・官・財・民」の中の腐った林檎(反日分子)に依って潰されて仕舞うのが必至の日本国!・・・
現在の政治体制、憲法、国民意識の劣質さで安倍首相が北条時宗の如く日本国を纏め、日本国を特亜の魔手から守れたら、日本史上において最大の指導者として、誰よりも偉大な指導者として特筆されて何百、何千間に亘りキラキラ!と歴史上で輝き続けるでしょう。
これは実現する事のない夢物語の範疇にはいる!と言い切れて!、・・・現在の日本国は支柱が朽ちかけて倒壊寸前の有様です。保守革命で一時国民主権を凍結するなどの荒業以外は全ては無駄な努力となる!と言わざる得ないのは、筆者が悲観的過ぎるのか?。悲しい限りです。
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