語られないあの戦いの「理想」
産経ニュース (2015.5.9 13:00)
「17/8/05」
これは、ジャカルタの独立記念塔に収められたインドネシア独立宣言書の日付である。「05年8月17日」を意味する。
05年とは、日本紀元(皇紀)2605年のことだ。昭和20年、西暦1945年である。
宣言書に署名したのは独立運動のリーダーで、インドネシア共和国の初代大統領と副大統領になったスカルノとハッタの2人だ。
日本が大東亜戦争に敗れた翌日、スカルノら建国準備委員会はジャカルタ在勤の海軍武官、前田精(ただし)海軍少将の公邸に集まり、インドネシア人だけで17日未明までかけて宣言書を起草した。前田は後に、インドネシア共和国建国功労章を授与された。
スカルノらが、強制されていないのに、敗戦直後の日本の紀元を独立宣言書に用いた意味は重い。西暦は植民地支配への反発から避けたようで、辛亥革命後の中華民国暦のように建国を元年にすることもできたが、そうしなかったのである。
大東亜戦争で日本は、インドネシアを350年もの間、植民地支配してきたオランダを駆逐し、軍政を敷いた。愚民化政策をとったオランダとの違いは、日本が官吏育成学校、医科大学、師範学校、商業学校など、国づくりに必要な教育を推進したことだ。
特に、祖国(郷土)防衛義勇軍(略称PETA)をつくり、3万8千人ものインドネシアの青年に訓練を施した意義は大きかった。彼らが、植民地支配に戻ってきたオランダ軍や援軍となったイギリス軍との間で、独立戦争を戦う中心となった。80万人の犠牲を払って独立を勝ち取ったのである。
日本へ引き揚げず、インドネシア独立戦争に身を投じた日本軍将兵は1千人から2千人もいたとされる。相当数が戦死し、ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地に葬られた人もいる。
インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席した安倍晋三首相は先月22日、カリバタ英雄墓地を訪ね、祈りをささげた。その際、首相は英雄墓地に葬られた残留日本兵の墓前に献花した。
第1回バンドン会議(1955年)では、日本代表団は、アジア独立を掲げて戦ったことを感謝され、歓迎された経緯がある。
今回のバンドン会議での演説で、安倍首相は第1回会議の逸話にも、日本がアジア独立を掲げて大東亜戦争を戦ったことが有色人種の国々の独立につながったことにも触れてはいない。
そこには日本流の謙虚さがあるし、当時は敵国で今は盟邦となったアメリカや友好関係にある西欧諸国への外交上の配慮がある。
首相がカリバタ英雄墓地に詣でたことは、日本人がアジア独立に貢献したことを、言葉でなく行動で伝える機会だったが、日本ではほとんど報じられなかった。
いつの時代でも戦争は避けるべき悲劇だ。それでも、日本が国を挙げて戦った戦争に、当時の日本人がどんな理想や意義を見いだしていたのか。外交場裏では語れなくても、後進の私たちは覚えておきたい。それがバランスのとれた歴史観につながる。(榊原智 論説委員)
筆者考:
インドネシアの独立宣言の日付が日本紀元(皇紀)で記されていたとは、筆者は恥ずかしながら榊原智氏(論説委員)の記事を読むまでは知りませんでした。自分の無知を恥じるばかりです。
記事にして筆者を啓蒙してくれた榊原智氏には只々に感謝致します!・・・
記事にして筆者を啓蒙してくれた榊原智氏には只々に感謝致します!・・・
当時のインドネシア人の心意気(高揚感)がひしひしと伝わって来ます。
確かに敗戦直後の日本国の紀元を『インドネシア独立宣言書』に用いた意味は限りなく重く、・・・学校では絶対の教えない歴史で、此れもGHQのWGIPで隠蔽された、日本が誇るべき物と言えるでしょう。
350年間!・・・気の遠くなる程の長期間に亘り、オランダの植民地下で搾取、弾圧されたインドネシア人の若者たちは日本軍に依って訓練を受けて、戦後日本軍が残した武器を手に取り、植民地の奪回を目論んだオランダ軍と交戦して、80万人もの多大な犠牲を払って、見事にオランダの野望を蹴散らして独立を勝ち取った事は賞賛に値します!。
翻って日本はたった一度の敗戦で負け犬根性が萌芽して、此れが戦後70年間に亘り日本人の心底に淀み精神的な宿痾となって、・・・現今の日本国の諸悪(惨憺たる有様=精神的な荒廃)の根源となっている。
戦後自らの意思でインドネシアに残りインドネシア軍として対オランダ戦に獅子奮迅の活躍をして独立に多大に寄与し、今ではカリバタ英雄墓地に眠る旧日本軍の将兵の方々に追悼の念を捧げます。
戦後自らの意思でインドネシアに残りインドネシア軍として対オランダ戦に獅子奮迅の活躍をして独立に多大に寄与し、今ではカリバタ英雄墓地に眠る旧日本軍の将兵の方々に追悼の念を捧げます。
日本国の破壊を目的としたマッカーサー違法占領憲法を押し付けられて、其の上で進駐米軍はWGIPを推し進めては日本国の歴史、文化、伝統を粉々に砕いて仕舞った。
日本国はマッカーサーの思惑通りに、日本人は自らの手で、・・・日本国の全て、アジア植民地解放戦争(大東亜戦争)含めて全ては悪!との刻印を刻み、・・・米国の精神的な奴隷となるマゾ的(自虐)な地位に甘んじて今日に至っている。
『逝かれ・ブサヨ』は反米が嵩じて特亜の精神的な奴隷!。
➤❮インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席した安倍晋三首相は先月22日、カリバタ英雄墓地を訪ね、祈りをささげた。その際、首相は英雄墓地に葬られた残留日本兵の墓前に献花した❯・・・墓地に眠る残留日本軍の将兵の方々には最大の供養になったことでしょう!。
願わくば易く靖国神社に眠る英霊の方々への祈り、内外の反日破壊勢力の非難は無視して心置きなく参拝して貰いたい!と筆者は願わずにはいられません!!!・・・。
日本国はマッカーサーの思惑通りに、日本人は自らの手で、・・・日本国の全て、アジア植民地解放戦争(大東亜戦争)含めて全ては悪!との刻印を刻み、・・・米国の精神的な奴隷となるマゾ的(自虐)な地位に甘んじて今日に至っている。
『逝かれ・ブサヨ』は反米が嵩じて特亜の精神的な奴隷!。
➤❮インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議に出席した安倍晋三首相は先月22日、カリバタ英雄墓地を訪ね、祈りをささげた。その際、首相は英雄墓地に葬られた残留日本兵の墓前に献花した❯・・・墓地に眠る残留日本軍の将兵の方々には最大の供養になったことでしょう!。
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