2015年3月28日土曜日

❝南鮮は日本に取っては兄!❞⇒今世紀最大の世迷い事を発信した売国新聞・朝日前社長・・・


韓国は“兄の国” 朝日・木村前社長と韓国・鄭前首相の恐るべき現状認

「兄事」という言葉を知る日本人がいま、どれほど存在するだろうか。ヤフーの辞書で検索すると「兄に対するように、敬意と親愛の気持ちをもって仕えること」とあった。「兄事」の「事」は、「事大」の「事」と同じ用法、「つかえる」ことだ。

 親しい人間の間に「兄事」があってもよい。しかし、国と国との間となると、いかがか。私のような進歩的な人間は「兄事すべき国」などという発言を聞くと、気持ち悪くなるだけなのだが…。

 朝日新聞の木村伊量前社長は在職当時の2014年10月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに「朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ」と語ったという(韓国・中央日報、14年10月20日)。まさに「兄事すべき国=韓国」を語っているのだ。

 それに呼応するかのように、韓国の鄭●(=火へんに共)原(チョン・ホンウォン)首相は吹いた。

 「法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている」(韓国・国民日報、15年1月10日)

 念のため、鄭氏は今年2月に首相を辞任したが、この発言があったときは現職の首相だった。

 この発言が「日本に先んじていた」と過去形であったなら、それなりに理解の仕方もある。「あぁ、彼の国では、現職の首相まで《大韓ナチズム》のファンタジー古代史観の虜(とりこ)になっているのだ」と。しかし、この首相発言は現在形なのだ。

素直に読めば読むほどに、今でも韓国は多方面で日本に先んじている“兄の国”だと言っているのだから、恐ろしい現状認識だ。

 鄭氏の現状認識に従えば、われわれ倭奴(=日本人に対する蔑称)は、今日も当然のこととして、韓国に「兄事」すべきなのだ。ところが「兄事」しないから、「けしからん」となるのだろう。

 翻って、木村氏を見よう。

 きっと、(1)マルクス史観(資本主義→社会主義→共産主義)の正しさ(2)朝鮮民族の文化的優位性-を強調した「戦後(歴史)教育」の優等生だったのだろう(誤解がないよう。褒めているのです)。

 私のような進歩派から見ると、彼はいまだに「戦後(歴史)教育」の呪縛から抜け出せない「超保守派」に見えてくる。

 先日、私の自宅近くで「戦争反対」を叫ぶデモ隊に遭遇した。なぜか若者がいなかった。私のような、あるいは木村氏のような「戦後教育」を受けた爺さん、婆さんばかりの集団だった。

 そういえば、朝鮮日報も書いていた。韓国の左翼について「年老いた従北主義者たちの時代遅れな闘争」(15年3月7日)と…。 (ジャーナリスト・室谷克実)

 ZakZak(2015.03.26)


                                                                                                                                                                   

筆者考:

驚愕!!!〜、平成最大の世迷い言 ❝ 南鮮は日本国に取っては兄!❞が『ウルトラ売国奴!/特亜の宣伝塔・工作機関新聞!』異名を取るチョウニチ新聞(朝日)_前社長の木村伊量(ただかず)から発せられていた事が発覚!・・・



捻れた人格!・・・

自虐思考の権化!・・・

己を育んでくれた母なる国・日本への愛着心は一欠片もなし!・・・

国家観を!、国の尊厳を!、歴史を!、伝統文化を!、土足で足蹴にする特亜の工作機関の朝日新聞の前社長の木村伊量!・・・

社長が『反日・売国奴』だからか?、朝日が『反日・売国』
の権化だからか?、木村伊量前社長の唾棄すべき、蛇蝎の如きの人格が形成されたのか!、正視に耐えない醜悪な言動は突出している!・・・


◼︎【朝日新聞の木村伊量前社長は在職当時の2014年10月、日韓言論人フォーラムに出席した韓国人記者たちに朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかったと考える!』と語った】:

何故に、このような歪な歴史観をもつのか?、脳細胞の回線が断線しているのか?、異常!としか言いような思考の虜になり、聞くに耐えない言葉を木村伊量社長(当時)発したのか?。
無学な人物が発するなら言葉ならまだしも、仮にも日本人の知識階層の必需品と嘗て持て囃された朝日新聞の社長とあるものが、事実でない歴史を盲信して南鮮人記者の前で語るとは!・・・。
先ず、一言!〜、文化の豊かさとはなにか?、・・・此れを端から理解しては居ない、亦は理解できない欠陥人間なのか?。
朝鮮半島にはどんな文化があったのか?は考証すれば、・・・・日本に伝授するほどの文化などを培う能力が朝鮮人には皆無であった事は、数々の資料が物語っている。

例え朝鮮半島由来でも、それは支那が源泉であり、半島は通過点の役割を果たしただけである。通過点はあくまでも通過点であり、原点ではなくて、日本国の文化は支那の影響が濃いが、それも遠い、遠い昔の事で化石の如きと言える。


日本国の文化が豊かに成ったのは朝鮮半島の影響ではなくて、支那大陸文化の影響と断言できる!。
日本文化が支那の影響を受けて、日本人の独特の感性で咀嚼して大和文化へと昇華させた概要を要約すると・・・


◼︎【聖徳太子が示した大和朝廷と支那歴代王朝との外交の真髄】:

七世紀初頭、大和朝廷は小野妹子を二回目の遣隋使として派遣した。朝廷が隋の皇帝に宛てた国書は 、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、 恙つつがな きや」の書き出で始まっている。この国書は推古天皇が隋の 煬よう帝だいに宛てたものだが、実際は摂 政・聖徳太子の書として有名である。当時の隋王朝は、南北朝時代の乱世を鎮め、漢以来の一大帝国を作り上げていた 。一方、大和朝廷は、冠位十二階や憲法十七条を定め、文明国としての体裁を整えつつあった。そのため聖徳太子も、国 造りにかなり自信をもっていた事が覗える。

朝鮮三国の王朝は隋帝国に敬意を表し、皇帝から王位を授かっていたが、・・・聖徳太子の外交姿勢は毅然とし気骨あるもの、大和朝廷は隋王朝と対等の立場で国書を出した。
 有史以来、支那皇帝は中華帝国の天子で、周辺国の王朝は配下の王という立場にあった。五世紀頃までは 、わが国も支那王朝と冊封関係を結び、朝貢していた。
 聖徳太子は旧来の主従関係を転換、日本天皇対中国皇帝という対等な外交関係の樹立を目指し、これが成果を挙げて、・・・爾来、日本の朝廷は支那歴代皇帝と 対等の立場で外交関係を結ぶようになった。

聖徳太子は仏教の普及、振興にきわめて熱心だった 事もあり、大和朝廷は、インドで誕生
した仏教を積極的に導入することにより、中華思想圏からの脱出を意図した高度な対支那外交戦略だった可能性が非常に高い。
 大和朝廷は支那の優れた文明、文化を導入する姿勢には変化をみせず、七世紀中葉から九世紀中葉まで、十数回遣唐使の派遣が続けられ!、・・・遣唐使のメンバーの中に阿倍仲麻呂や空海、最澄など有名人の名前がある。

十九世紀後半、日本は明治維新を断行 、「 脱亜入欧」という文明開花を旗印に大胆な近代国家建設に着手した。中華思想の本家であり、権力争いで王朝が目まぐるしくかわり、文化の進展(王朝が変わる毎に破壊)が止まっていた支那や、古臭く屋台骨が朽ち果てていた支那の属国である朝鮮には逆立ちしても出来ない国家事業だった!と言える。


⟪朝日新聞社長(当時)木村伊量の特大世迷い言!⟫⇒⇒⇒ ❝朝鮮半島の影響なしには日本の文化が豊かにならなかった!と考える。そのような面で、韓国は日本の兄のようだ!

此れに呼応して!・・・

❮韓国・鄭首相の噴飯物の言!❯⇒⇒⇒ ❝法律の構造や制度の場合、日本が私たちに習いにきて“兄の国”と呼ぶほどであり、多方面で私たちが日本に先んじている!

日本国の文化が朝鮮半島の影響を受けて豊かになった証拠は皆無である!・・・

元来、文化などが培われない貧困な土壌の朝鮮半島で宗主国の1000年間も隷属した国の文化などは無きに等しく、日本国に影響を及ぼす事など絶対にない!・・・



参考文献:
【聖徳太子が示した日中外交の真髄】:



0 件のコメント: