ポトマック通信 大物の不可解な発言
ワシントンで4日に開かれたヘンリー・キッシンジャー氏の講演を聞きに行った。言わずと知れたニクソン政権の大統領補佐官(国家安全保障問題担当)、フォード政権の国務長官だ。中国への接近を図ろうと、1971年に中国を極秘訪問し、翌年の電撃的なニクソン訪中を実現した立役者である。
90歳の高齢。当初は10月に予定されていた講演が、体調不良のため延期されたこともあり、期待が強かった。だが、首をかしげる部分が少なくなかった。
例えば、尖閣諸島(沖縄県石垣市)に関する「日本は1895年に、中国からこれらの諸島を取った」というくだりがそうだ。
日本外務省の公式見解を借りれば、「尖閣諸島は、1895年5月発効の下関条約第2条に基づき、わが国が清国より割譲を受けた台湾および澎湖諸島には含まれていない」のである。
中国が設置した防空識別圏についても「(是非は)論じない」としながらも、「世界には44の防空圏がある」と付け加えた。容認を示唆した発言だとの受け止め方もあった。
キッシンジャー氏といえば、1971年の日本との沖縄返還協定調印に際し、尖閣諸島の施政権返還をも決定した当事者である。それだけに、正確で慎重な発言が求められる。(青木伸行)
産経ニュース(2013.12.20 03:04 )
筆者考:
かつてはニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官、国際政治学者として敏腕、辣腕を欲しい侭にして、米国政界の重鎮として存在感を長年間に亘り誇示してきた、さしものヘンリー・キシンジャーも寄る年波には勝てず老醜を曝け出しては頓珍漢(媚支那/反日・毀日)な発言を近来は連発している。
かつてはニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官、国際政治学者として敏腕、辣腕を欲しい侭にして、米国政界の重鎮として存在感を長年間に亘り誇示してきた、さしものヘンリー・キシンジャーも寄る年波には勝てず老醜を曝け出しては頓珍漢(媚支那/反日・毀日)な発言を近来は連発している。
キッシンジャーの痴呆的な発言は歴史的な裏付けが皆無で、此れが国際政治学者の肩書きを持つ人物なのか?と信じれぬ程の欺瞞に満ち溢れており!、・・・己の感情(反日)を恥じも外聞もなく移入しているのには、怒りを通り越して哀れさが誘われる。
特に過去15年間は痴呆的(度外れた支那密着⇔媚態)な発言を繰り返している。
✦【尖閣諸島(沖縄県石垣市)に関する「日本は1895年に、中国からこれらの諸島を取った】・・・
✦【中国が設置した防空識別圏についても「(是非は)論じない」としながらも、「世界には44の防空圏がある」⇔容認を示唆】・・・
★【尖閣は米国巻き込まず日中だけの問題に キッシンジャー氏「最も切実な願い」】:
日本側に「合意」があったとした上で、尖閣について米国を巻き込まず日中間だけの問題にとどまることが「最も切実な願いだ」と述べた。
「合意」は、1978年の日中平和友好条約締結時のトウ氏による領土問題棚上げ提案を指しているが、領土問題は存在しないとする日本側は、合意はなかったとの立場だ。
ワシントンでのシンクタンクのイベントで会場からの質問に答えたキッシンジャー氏は日中が「結論に至る過程結論に至った際」のいずれも、米側の積極的な関与はなかったと指摘。「米国は(尖閣の)主権などの問題で、何らかの立場を取るべきではない」と訴えた。
✦【アジアにおけるアメリカと中国⇔相互イメージと米中関係の未来】:
ヘンリー・キッシンジャー
フォーリン・アフェアーズ リポート 2012年3月号
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201203/Kissinger.htm
強固な中国が経済、文化、政治、軍事領域で大きな影響力をもつのは、北京にとっては、世界秩序に対する不自然な挑戦ではなく、正常への復帰なのだ。むしろアメリカは、現状の問題を想像上の敵のせいにしてはならない。米中はともに相手の行動を、国際関係における日常として受け入れるだけの懐の深さをもつ必要がある。
以上の様に、近来のキッシンジャーは過去の栄光の輝きを失い、単なる「反日/毀日」に執念を燃やし続ける特亜人(特に支那人)の感性に侵された「陋醜・老醜」の塊!と成り果てたようです。
以下に記する!、・・・
日本側に「合意」があったとした上で、尖閣について米国を巻き込まず日中間だけの問題にとどまることが「最も切実な願いだ」と述べた。
「合意」は、1978年の日中平和友好条約締結時のトウ氏による領土問題棚上げ提案を指しているが、領土問題は存在しないとする日本側は、合意はなかったとの立場だ。
ワシントンでのシンクタンクのイベントで会場からの質問に答えたキッシンジャー氏は日中が「結論に至る過程結論に至った際」のいずれも、米側の積極的な関与はなかったと指摘。「米国は(尖閣の)主権などの問題で、何らかの立場を取るべきではない」と訴えた。
✦【アジアにおけるアメリカと中国⇔相互イメージと米中関係の未来】:
ヘンリー・キッシンジャー
フォーリン・アフェアーズ リポート 2012年3月号
http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/201203/Kissinger.htm
強固な中国が経済、文化、政治、軍事領域で大きな影響力をもつのは、北京にとっては、世界秩序に対する不自然な挑戦ではなく、正常への復帰なのだ。むしろアメリカは、現状の問題を想像上の敵のせいにしてはならない。米中はともに相手の行動を、国際関係における日常として受け入れるだけの懐の深さをもつ必要がある。
以上の様に、近来のキッシンジャーは過去の栄光の輝きを失い、単なる「反日/毀日」に執念を燃やし続ける特亜人(特に支那人)の感性に侵された「陋醜・老醜」の塊!と成り果てたようです。
以下に記する!、・・・
✦【尖閣諸島の日本返還巡る米の録音記録】:一部抜粋
1972年5月、沖縄本島などとともにアメリカから日本へ返還された当時はキッシンジャー氏はまっとうであり、・・・返還を巡り、ニクソン大統領と安全保障担当のキッシンジャー補佐官、国際経済担当のピーターソン補佐官の3人取り交わした録音記録は興味深い物があります。
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger)
1923年5月27日生まれ(ドイツ)、ユダヤ系米国人。
米国ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官、国際政治学者。
第56代 アメリカ合衆国国務長官(任期=1973年9月22日 – 1977年1月20日)
第8代 国家安全保障問題担当大統領補佐官(任期=1969年1月20日 – 1975年11月3日)
※【尖閣諸島の日本への返還に賛成はキッシンジャー補佐官!】・・・
✦賛成の理由【“返還しなければ日本が自分のものだと思っている島を、繊維を巡る交渉をまとめるために台湾に与えるように見られてしまう”/尖閣諸島を含めた沖縄をアメリカの統治下に置くことを決めた1951年のサンフランシスコ平和条約に触れ、“条約に関して具体的な境界線を宣言したとき、われわれは尖閣諸島を含めたが、それに対し異議は出なかった。その時点で話に決着はついている!”】
驚きました!・・・
反日,親支那とばかり思っていたヘンリー・キッシンジャーが沖縄返還の際に、尖閣諸島を台湾(当時、米国は中国の正統政府として外交関係を持っていた)の要求を蹴って強くニクソン大統領(当時)に日本国に返還するように進言していたとは!。
例えキッシンジャーが反日的思考を有していても国際条約(サンフランシスコ平和条約)に抵触する非常識な進言は出来なかったようで!・・・内実は反日思想は個人的な感情であり、此れを沖縄返還の際に移入できずに尖閣諸島をサンフランシスコ平和条約で合意された事を忠実に守る国際通念は有していたキッシンジャーでした。その後の氏の日本国に対する分析、考察、予想は悉く外れており!、・・・名声、上り詰めた地位に反しているは皮肉な物と言える。
1923年5月27日生まれ(ドイツ)、ユダヤ系米国人。
米国ニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官、国際政治学者。
第56代 アメリカ合衆国国務長官(任期=1973年9月22日 – 1977年1月20日)
第8代 国家安全保障問題担当大統領補佐官(任期=1969年1月20日 – 1975年11月3日)
※【尖閣諸島の日本への返還に賛成はキッシンジャー補佐官!】・・・
✦賛成の理由【“返還しなければ日本が自分のものだと思っている島を、繊維を巡る交渉をまとめるために台湾に与えるように見られてしまう”/尖閣諸島を含めた沖縄をアメリカの統治下に置くことを決めた1951年のサンフランシスコ平和条約に触れ、“条約に関して具体的な境界線を宣言したとき、われわれは尖閣諸島を含めたが、それに対し異議は出なかった。その時点で話に決着はついている!”】
驚きました!・・・
反日,親支那とばかり思っていたヘンリー・キッシンジャーが沖縄返還の際に、尖閣諸島を台湾(当時、米国は中国の正統政府として外交関係を持っていた)の要求を蹴って強くニクソン大統領(当時)に日本国に返還するように進言していたとは!。
例えキッシンジャーが反日的思考を有していても国際条約(サンフランシスコ平和条約)に抵触する非常識な進言は出来なかったようで!・・・内実は反日思想は個人的な感情であり、此れを沖縄返還の際に移入できずに尖閣諸島をサンフランシスコ平和条約で合意された事を忠実に守る国際通念は有していたキッシンジャーでした。その後の氏の日本国に対する分析、考察、予想は悉く外れており!、・・・名声、上り詰めた地位に反しているは皮肉な物と言える。
最終的にニクソン大統領はキッシンジャー安全保障担当補佐官の意見を取り入れたが!・・・矢張り経済と安全保障では、安全保障の方が国に取っては優先事となるは必然です。
悲しい事に時代が下るにつけ、支那経済発展は世界が瞠目する程で今では日本国を追い抜いて世界第二位の強大な物と成り!・・・現支那政府は※『サンフランシスコ平和条約は無効(中華民国・中華人民共和国は招待されなかった)』などと喚き “尖閣は支那の固有の領土!” と狂った様に主張しているが、日本国は支那との戦いに敗れてはおらず、・・・米国に敗れただけです。
サンフランシスコ平和条約は連合国(勝者である米国)と結んだ条約であるからにして、戦勝国と認められていなかった中華民国・中華人民共和国は招待されずは当然だった。
参考記事
大東亜戦争当時は支那は国家の形態を為しておらず国際的に認知されていた政府は存在してはいなかった、況してや台湾は日本国であり、台湾人は日本人と認識されたいた。
サンフランシスコ平和条約は連合国(勝者である米国)と結んだ条約であるからにして、戦勝国と認められていなかった中華民国・中華人民共和国は招待されずは当然だった。
これ等の歴史認識を鑑みると!・・・現支那政府の「尖閣は我が領土!」の主張は噴飯物で片腹痛い!となる。
参考記事
✦【尖閣諸島の日本返還巡る米の録音記録】
http://phoenix1945.blogspot.ca/2013/06/blog-post_12.html
筆者註:残念ながら、録音記録の動画はNHK配信であり、何故か!、現在は削除されています。
筆者註:残念ながら、録音記録の動画はNHK配信であり、何故か!、現在は削除されています。
0 件のコメント:
コメントを投稿