悔しい! 刺身も相撲も桜も「世界に知られた日本文化」は中国がルーツだった=中国メディア
サーチナ(2018-01-28):http://news.searchina.net/id/1652424?page=1
海外の人から「日本を代表する文化とは何か」と尋ねられたら、何を挙げるだろうか。着物や懐石料理、障子や畳など、衣食住について紹介する人もいるかもしれない。しかし、中国メディアの今日頭条はこのほど、今日において日本を代表する文化の多くは「日本生粋のものではなく、ルーツは中国にあるものばかりだ」と主張する記事を掲載した。
記事は、中国人にとっては「もともと中国が発祥であるのに、現代では日本の文化」と認識されているものが多々あることが我慢ならないようで、たとえば、西洋の外国人が「盆栽は日本の文化」と認識していることは不満であると指摘。そして、悠久の歴史を誇りとする中国からすると、日本はあらゆる文化を中国から学んだのに、後にそれらを自国の生粋の文化としていることに対して「受け入れがたい感情が存在する」と論じた。
続けて、すでに日本の文化として世界に浸透しているものとして「刺身、相撲、桜、和服、下駄、畳」を挙げて、それぞれ中国が起源の文化であると主張し、中国人としてはこれらの文化が日本文化として世界に浸透してしまっていることに不服を感じると論じた。例えば、刺身については、中国「商、周の時代の文献に中国料理として存在していたとし、唐の時代多くの高貴な人々が好んで食していた記録が残されている」と指摘した。
日本の多くの文化の源が中国にあることは周知の事実ではあるが、日本に伝来してから現代に至るまでの間に日本の風土の中で育まれ、保存され、定着したゆえに日本の文化と称しても虚偽にはならない。しかし、海外から評価される中国のイメージが中国人の抱いているものとは異なり、自らが誇る悠久の歴史ある文化のイメージを「日本に奪われてしまった」という感があるのかもしれない。
中国には非常に多くの世界遺産があることから分かるように、貴重な文化や遺産が数多く存在している。急速な経済発展によって中国は目まぐるしく変化しているが、多くの文化が急速に失われつつあるのも事実だ。中国の人びとがこうした貴重な文化の価値を知り、育んで行くことを期待したいところだ。
ブログ管理人考:
大中華(支那)が情けなくも、
小中華化(朝鮮)している!〜、
朝鮮人の持病(劣等感の裏返し)である『何でも朝鮮半島起源説症候群!』に侵されて、支那人も負けずに『日本文化は支那起源説!』を唱えは始めた!・・・
現今、国際社会で注目を浴びて、年々賞賛と共に拡散されている日本文化の全ては支那で発祥したものである!との不満を爆発させている支那人!・・・余程に口惜しい!と見える。
日本文化のルーツは支那!〜、
盆栽のルーツは支那であるに拘らず!〜、
国際社会では日本の文化と認識されているのに、大きな大きな不満を表明!・・・
日本の盆栽が国際社会で認識されてのは、海外に積極的に進出して展示会を開く、加えて日本人独特の繊細な感性が受け入れられたからである。
刺身は!〜、
支那『商、周の時代の文献に支那料理として存在していたとし、唐の時代多くの高貴な人々が好んで食していた記録が残されている』と指摘!・・・
古代は何処の国でも魚を生で食べていたが、支那は特に淡水魚が主だったの寄生虫の害に悩まされ自然と食べなくなった。好んで食されていたならなぜ、現在に引き継がれなかったのか?。
生の魚を食べていたから!〜、
と言って刺し身は支那が発祥は無理筋である!・・・
日本では刺し身が登場したのは!~、
『鈴鹿家記』応永6年(1399年)6月10日の記事に「指身 鯉イリ酒ワサビ」とあるのが刺身の文献上の初出である。(ウィキペディア引用)
相撲!〜、
相撲の起源としては、古事記(712年)や日本書紀(720年)の中にある力くらべの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説があげられる。
相撲はその年の農作物の収穫を占う祭りの儀式として、毎年行われてきた。これが後に宮廷の行事となり300年続くことなる。
多くに歌人に愛でられた桜!~、
平安末期の西行法師が、『花』すなわち桜を愛したことは有名である。彼は吉野の桜を多く歌にしており、特に『願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ』の歌は有名である。
秀吉は徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人(茶道に通じた人)、連歌師たちを伴い、総勢5千人を引き連れ訪れて吉水院(吉水神社、奈良・吉野山)を本陣とし、盛大な花見の宴を催し、ここには5日間滞在し、そのとき、歌の会、茶の会、お能の会なども開いて豪遊したといわれる。
桜は世界各地に自生、分布しており、どこぞの国は起源などとは言えぬもの!〜、
日本の象徴は美しい桜と富士山である。富士山を、桜を愛でて多くの歌人が和歌を詠み、一般人は花見の宴で日々の生活に彩りを添える。
此れが連綿として日本人の間に引き継がれて文化、伝統が築き上げられた。支那の文化ではなくて日本の文化です。
着物は、長い歴史の中で受けつがれ、育まれてきた世界に誇れる「日本の伝統文化」です。
縄文時代から身に付けてきた衣装は時代の変化ともに、時代時代に適合した物に変わってきた。
支那服と和服を見て、何処に共通点があるのか?、・・・着物が支那発祥とは冗談は程々にして貰いたいものですね!。
下駄の登場!~、
足の保護や水田・湿地での沈み込みを防ぐためため使われたとみられる木版が、弥生時代の登呂遺跡(静岡県)からも出土している。
同様な履物は20世紀まで使われ続けた地域があり、「田下駄」と呼ばれた。西洋靴が機能・機動性に優れ下駄に取って変わったが、今でも愛用している者が見られる。靴が普及するまで、貴人が履いた沓(くつ)よりも、庶民は草履と下駄を多く用いた。
支那には『纏足』と言われて忌まわしき伝統があり、
此れは子供、特に女の子に足を強制的の発達しないような仕掛けをして、沓を履かせた歴史を持つ支那が『日本の下駄は支那起源!』、と恥ずかしげもなく声高に主張するとは、・・・朝鮮人に勝るとも劣らない支那人に成り下がったようです。
畳の歴史!~
畳は、世界に類がない日本固有の文化であり、… 畳の原点は古代から存在する。
古代の畳は、莚(むしろ)・茣蓙(ござ)・菰(こも)などの薄い敷物の総称であり、使用しないときは畳んで部屋の隅に置いたことから、動詞である「タタム」が名詞化して「タタミ」になったのが畳の語源とされる。
現代の畳に近づくのは平安時代に入ってからであり、厚みが加わるとともに部屋に据え置いて使うようになり、大きさの規格化が進められている。(ウィキペディア引用)
日本の多くの文化の源が中国にあることは周知の事実ではあるが!〜、
日本に伝来してから現代に至るまでの間に日本の風土の中で育まれ、保存され、定着したゆえに日本の文化と称しても虚偽にはならない!・・・
日本人は国際社会に向かって『我が国起源!』などと喚き事は一切しない!・・・
海外から評価される支那のイメージが支那人の抱いているものとは異なり、自らが誇る悠久の歴史ある文化のイメージを『日本に奪われてしまった』と逆恨みを抱いている観がある。支那の悠久の歴史は王朝が代わる度に前王朝の、人も文化財も破壊された歴史であり、連綿とは続いてはいない。
現王朝の共産党王朝が建国されてから!〜、
世界的に認識、尊敬される支那独特の
文化は生まれてはいない!・・・
少数民族(チベット、ウイグル、内蒙古)の虐殺、人権蹂躙、民族淘汰が、・・・共産支那王朝が築いた恐ろしい文化である。
これでは日本文化に嫉妬して『支那起源説』を喚き散らすのは当然ですね!。
全く以って哀れな支那人です!!!・・・。
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