正式に州になりかけた地域、カナダとの国境を越えなければアクセスできない米国の地点、税金をめぐる領土紛争など、様々な要素が今日の国の境界線を形作って来ました。ここでは、おそらくあなたが知らなかったであろう、領土に関する10の興味深い事実をご紹介します。
1)ワシントン州ポイント・ロバーツ:
北緯49度線付近で発生した事故:
まさにそれが現実なのです。
1818年の英米条約に基づき、北緯49度線がカナダとアメリカ合衆国の領土を分断したからです。1846年にはこの線が西へ延長され、国際国境委員会によって正式に承認されました。
然し、ツァワッセン半島の小さな先端部が、この線のすぐ南側に突き出ていました。それ以来、地元住民は国境の特異な状況の中で暮らしています。
然し、ツァワッセン半島の小さな先端部が、この線のすぐ南側に突き出ていました。それ以来、地元住民は国境の特異な状況の中で暮らしています。
陸路でワシントン州の他の地域に行くには、カナダを通過し、パスポートを提示し、帰りも同じことを繰り返さなければなりません。
2)自由の女神像:よくある誤解:
と聞いてみましょう。面白いことに、どちらの答えも厳密には正しいのです。
像自体はニュージャージー州の海域に立っていますが、リバティ島は法的にはニューヨーク州の飛び地です。これは1664年にヨーク公が行った土地譲渡に遡りますが、その文書はあまりにも曖昧で分かりにくかった為、両州間の協定が締結されるまで決着がつきませんでした。ニュージャージー州は水域と水没地を取得しましたが、像自体はニューヨーク州が所有しています。
しかし、実際には連邦政府が国立公園局(NPS)を通じてこの場所を管理し、警備や維持管理を行っています。
しかし、実際には連邦政府が国立公園局(NPS)を通じてこの場所を管理し、警備や維持管理を行っています。
3)フランクリン州:設立に失敗した第14の州:
州政府から軽視されていると感じ、独立を決意した!・・・
彼らはジョン・セビアを州知事に選出し、独自の通貨を発行した。連邦議会から正式な州として承認されるまであとわずか2票というところまで迫った。
やがて事態は緊迫し、ノースカロライナ州は軍隊を派遣。
やがて事態は緊迫し、ノースカロライナ州は軍隊を派遣。
地元住民の間で小規模な内戦が勃発した。1789年、フランクリンの夢は潰え、この地域はテネシー州の一部となった。
4)ケンタッキー・ベンド:
ケンタッキー州の中に場違いな場所があることに気づくでしょう!・・・
それがケンタッキー・ベンド、別名ニュー・マドリッド・ベンドと呼ばれる、フルトン郡にある小さな半島で、ケンタッキー州の他の地域からほぼ完全に隔絶されています。この奇妙な状況は、1811年から1812年にかけてこの地域で発生した一連の大地震の結果です。これらの地震は非常に激しく、ミシシッピ川が数時間にわたって逆流したことで有名です。
地震が収まった後、川はケンタッキー州ではなくミズーリ州とテネシー州に囲まれたこの小さな土地を迂回する新たな流路を形成しました。現在そこに住む9人の住民は、故郷のケンタッキー州に行くにはテネシー州を通らなければなりません。
5 )デゼレット州:実現寸前までいった帝国:
1894年、モルモン教の開拓者たちがデゼレット州の設立を提案した際、まさにそのようなことが起こりそうになりました。その領土は、現在のユタ州、ネバダ州の大部分、アリゾナ州とコロラド州の一部、そしてサンディエゴを含むカリフォルニア州沿岸部の広大な地域に及んでいました。
もし正式に成立していれば、独自の港を持ち、西部を完全に支配する強大な勢力になっていたでしょう。然し、ワシントンD.C.は、一つの集団がこれほど広大な領土と権力を持つことを快く思わず、領土を縮小しました。そして最終的に、今日私たち(アメリカ人)が知る州が誕生したのです。
もし正式に成立していれば、独自の港を持ち、西部を完全に支配する強大な勢力になっていたでしょう。然し、ワシントンD.C.は、一つの集団がこれほど広大な領土と権力を持つことを快く思わず、領土を縮小しました。そして最終的に、今日私たち(アメリカ人)が知る州が誕生したのです。
6) 無法地帯『ノーマンズランド』:
もし2つの政府がある土地について、単に『あきらめて』しまったらどうなるか、考えたことはありますか?1806年から1821年にかけて、現在のルイジアナ州西部にあたる一帯には、文字通り『ノーマンズランド』と呼ばれる土地がありました。
この領土の一部を所有していた米国とスペインは!〜、
国境線について合意に至らず、武力衝突を避ける為に
その地域を『中立地帯』と宣言したのです!・・・
しかし、この計画は裏目に出ました。法的な規制がないため、この地域はすぐに西部の無法者たちのお気に入りの場所となってしまったのです。
つまり、そこに潜伏する脱走兵や山賊は、法的には手出しができない存在だったのです。この紛争は、1819年のアダムズ=オニス条約によって解決され、サビン川が正式に法的境界として定められました。
7)インディアン・ストリーム共和国:
その原因は税金です。カナダとアメリカの双方が課税しようとしていた為、…
住民たちは二重課税を強いられる事になったのです。
1832年、住民たちは《どちらの国にも税金を払う必要はない》と宣言し、…
『インディアン・ストリーム共和国』という独自の国を樹立しました。
彼らは独自の憲法と議事堂を擁して4年間にわたり存続しましたが、1836年、民兵隊がその土地を奪還すべく係争地へ進軍してきました。
最終的にこの土地がニューハンプシャーに帰属すると定めたウェブスター・アッシュバートン条約が1842年に締結され、領土争いと二重課税の問題は完全に解決されました。
いつの世でも、税金は住民の頭痛の種!ですね。
日本国民は重税に喘いでいますが、いつ反乱をおこすか?
起こさないでしょうね!。大和民族は世界でも稀なお上には従順な民ですから。
『政官天国』の日本です。
8)ノースウェスト・アングル:1783年の地図作成上の誤り:
地図製作者たちは完全に誤った地図を使用しました!・・・
彼らはミシシッピ川の源流が実際よりもはるか北にあると思い込んでいたのです。その誤りのせいで、ミネソタ州の一部が国内の他の地域から切り離される形となりました。今日に至るまで、「ノースウエスト・アングル(Northwest Angle)」は、米国本土48州の中で北緯49度線より北に位置する唯一の場所となっています。
ポイント・ロバーツと同様、そこを訪れるには巨大な湖を横断するか、カナダ国内を車で通過しなければなりません。
ワシントンD.C.の地図を見ると!〜、
一部が欠けていることに気づくでしょう!・・・
当初意図されていたような完全な正方形の形はしていないのです。もともと首都は、メリーランド州とバージニア州から土地を割譲して作られた、一辺10マイルの正方形(ひし形)の区域でした。
然し1846年、事態は緊迫します。アレクサンドリアやアーリントンを含むバージニア州側の住民たちは、連邦政府がこの地区で奴隷制を廃止するのではないかと懸念していました。奴隷制は彼らの経済の根幹を成すものだったからです。
彼らはバージニア州にその土地を『返還』するよう請願して成功を収め、…
その結果、首都の形状は永遠に変えられる事となりました。
10)国連本部:国際領土:
ニューヨークのマンハッタン・ミッドタウン、
イースト川沿いにある国連本部を訪れてみてください!・・・
18エーカー(約7万3000平方メートル)の敷地へと続くゲートをくぐれば、そこは法的にはアメリカ合衆国の外ということになります。
パスポートの提示は不要ですが、そこは国際区域であり、独自の法律や警備部隊、さらには独自の郵便制度さえも備えているのです。つまり、ニューヨーク市という大都会の真ん中にありながら、法的には『空白地帯』のような場所なのです。
参考文献:
■【There's a country within
the US that was created to avoid double taxation】:
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