2022年9月15日木曜日

世界各地にひっそり!と佇む廃墟 幽玄の世界へと誘っている!

 人間が消滅しても母なる自然は残る!〜、

  そして母なる大地が人間に
   取って代わると状況は変幻する!・・・
だから、廃墟は怖く見え、人間が地球上からいなくなったあとのことを予見しているのかもしれない。
(場合によっては、怨霊が残るかも)



廃墟は怖いけど、それだけじゃない!〜、
     視点を変えてみよう!・・・
自然は何事にも耐えられるし、乗り越えられるというのは、ある意味では素晴らしい事ではないだろうか!
長い間放っておくと、地球は不思議と再生してくれる。

廃墟は不気味なのか、美しいのか?!〜、
おそらく両方の要素が含まれているので、
   あなたが決めることにしましょう!・・・
そして、ホラー好き、自然好きのお友達とシェアするのをお忘れなく。

#1)ホウトウワン村 グーチー島:⬇︎

支那の長江(揚子江)沿いにある廃村『ホウトウワン』。
 かつては漁師町として栄えたが、1990年代に資源が枯渇し始めると、住民たちは家具を置き去りにして大陸へ移っていった。
 しかし、1990年代に資源が枯渇すると、住民たちは徐々に本土に移っていき、家具も置き去りにされるようになり、大自然が家々を緑で覆い尽くした。現在では、島民は数人しか残っておらず、人気の観光地となっている。

#2)ロス島(南極ロス海にある):⬇︎

ここは、歴史に彩られた島である。インドのアンダマン諸島に位置し、イギリス政府、東インド会社によって占領され、第二次世界大戦中には日本にも占領された時期がある。現在は、インド軍の小さな基地があるが、英国の流刑地の行政本部として使われていた頃の遺跡が残っている。商店、パン屋、墓地、プール、長官官邸などがある。
これらの建物はかなり立派なもので、1941年の地震で壊滅的な被害を受けた後、放棄されただけである。

#3)ロマーノ岬のドームハウス
      (米国・フロリダ州):⬇︎

フロリダ州ロマーノ岬沖のカクサンバス島付近で、奇妙な光景が出現する。海から突き出たドーム型の屋根がいくつも並んでいる。
これは、引退した石油王のボブ・リーが1980年代初頭に建てたモダンなビーチハウス『ケープ・ロマノ・ドーム・ハウス』の残骸。
リー氏は、6つの部屋がつながったドーム型の家を、太陽光発電と流水システムで水を供給する完全な自給自足型として建設した。
1992年、ハリケーンによって内部は壊滅的な被害を受けたが、頑丈なたコンクリート構造は失われることなく、家族と共に住み続たが、…
この家はビーチの浸食の犠牲となり、現在は180フィート沖合に建っている。
2017年には、2つのドームが海に崩れ落ち、この家は現在、岩礁として機能し、多くの海洋野生動物が生息している。

#4)1984年冬季オリンピック ボブスレー競技場
        (サラエボ):⬇︎

1984年の冬季オリンピックの為に、サラエボ市はボブスレーとリュージュのトラックを建設した。その後、数年間はワールドカップ競技に使用されていたが、1992年、ユーゴスラビア戦争の巻き添えとなった。サラエボ包囲戦の際、ボスニア・セルビア人勢力がこのトラックを砲撃陣地として使用し、その結果、トラックが一部破壊された。

 その後約10年間、トラックは落書きで覆われ、大胆なバイカーたちに利用されていたが、2014年6月、修復が始まった。
現在も修復は続いているものの、夏のリュージュのトレーニングなどに利用されており、トラックが完全に廃墟になったのではない。

#5)奈落の底のキリスト
 (地中海、サンフルットゥオーソ沖):⬇︎

この水没したブロンズ像には、海面上昇の犠牲となったなど、何か悲劇的な歴史があると思われがちだが、この像と他の3つの像は、実は意図的に海に落とされたもので、… 1954年に高さ8フィートの『深淵のキリスト』の原型が地中海に投下され、それを見た他の芸術家たちが感銘を受け、それに倣った。グレナダのセントジョージズと、フロリダキーズ国立海洋保護区の沖合にもあり、スキューバダイビングに最適である。

#6)マロヴォ湖教会
   (北マケドニア共和国):⬇︎

聖ニコラス教会は、1850年に近隣のマケドニアの町の為に建てられ、1953年、教会はマブロヴォ湖に沈んだが、これは意図的なものだった。当時、町は新しい発電所のために湖を必要としており、教会は使われなくなっていたのである。21世紀に入ってからの干ばつで、湖の水位が下がり始めると、教会は半分だけ、そして完全に姿を現した。現在はマブロヴォ湖国立公園の一部、人気の観光地となっている。

#7)ミランダ城(ベルギー):⬇︎

ミランダ城は、ベルギーにあるネオ・ゴシック様式の城である。
1866年、フランス革命の影響で移転してきたリーデケルケ=ド=ボーフォール家の依頼で、建築家エドワード・ミルナーによって建てられた。建設は1907年に完了した。
 第二次世界大戦中、城は一時期ナチスに占領されたが、その後奪還された。50年代から70年代にかけては、子供たちの孤児院や病弱な子供たちのキャンプとして使われた。そのため、『ノイジー・キャッスル 騒がしい城』と呼ばれるようになった。
 しかし、維持費がかさみ、1991年に廃墟となった。30年近く放置されたままだったが、やがて政府によって損傷が激しいと判断され、2017年に取り壊された。

#8)SS Ayrfield(豪州):⬇︎

かつてオーストラリアの巨大な港と貿易の拠点であったホームブラシ湾は、無責任な企業による有毒廃棄物によって汚染された。
 現在、周辺の街は活気を取り戻したものの、湾は危険なまま殆ど
手つかずの状態で、漁業禁止令やボートや遊泳の健康勧告が出されている。 湾内に浮かぶこの100年前の廃船はSSエアフィールド号で、1972年に産業が衰退し、そのまま放置された多くの廃船の一つ。
現在では木々や植物が船を覆い尽くし、手つかずの湾の真ん中に浮かぶ森のような存在になっている。

#9)キルヒャーン城(スコットランド):⬇︎

キルヒャン城は、スコットランドのアーガイル・アンド・ビュート州にある15世紀の建造物。1450年にコリン・キャンベル卿によって建てられ、その後代々キャンベル一族の手に渡り、幾度も改修を重ねながら、戦時中は兵舎として使用されるなど、様々な役割を果たした。

 1760年、激しい嵐の中、雷と風によって城は大きな被害を受け、塔の一つが逆さまに中庭に落下し、現在もその状態が続いている。
この災害の後、城はキャンベル家によって放棄され、キャンベル家は最近、新しい土地に引っ越した。この城は何百年もの間、放置されていたのである。
 現在、この廃墟はスコットランド歴史環境局の管理下にあり、夏の間はツアーに開放されている。

#10)イタリア・クラコ:
⬇︎

この町がモンテドーロと呼ばれるようになったのは、ギリシャ人が住んでいた頃で、最初の入植は紀元前8年にさかのぼる。クラコと呼ばれていた最も古い記録は、西暦1060年、カトリック教会の大司教に属していた時のものである。その後、町の所有者は何度も変わったが、1861年のイタリア統一で一件落着し、約30年間は順調であった。

 その後、1963年に大きな地滑り(町のインフラが原因と思われる)が起こり、町は避難を余儀なくされ、残った住民のほとんどが丘の麓の谷に移り住んだ。1972年には洪水が発生し、再定住の可能性はなくなった。1980年、地震で廃墟と化した。
 現在、ゴーストタウンは無人であるが、2004年の『キリストの受難』をはじめ、多くの映画の舞台となっている。

#11)トルコ・カヤコイ村:⬇︎

以前はLebessos(リーベソス)、Lebessus(リーベサス)と呼ばれていたこの村は、トルコのフェティエにある。14世紀から1922年のギリシャ・トルコ戦争でギリシャ人とトルコ人が追い出されるまで、アナトリア・ギリシャ人が平和に暮らしていた。
 1923年、彼らは帰還を禁じられ、公式に放棄された。現在、カヤキョイ村は博物館として、また歴史的なモニュメントとして機能しており、通りでは行商人が商品を売っている。さらに、一部の家屋は修復され、現在も人が住んでいる。
 2014年、トルコ政府は、今後49年間にわたり、ホテルや観光宿泊施設など、人気観光スポットとしての地位を生かした村の開発を行う計画を発表した。

#12)The Valley of the Mills
       (製粉所の谷):⬇︎

イタリア・ソレント近郊の切り立った崖の間に、『製粉所の谷』と呼ばれるValle dei Muliniがある。13世紀には、この巨大な割れ目を流れる小川で水車を回す製粉所が作られた。その後、製材所、刃物工場、女性の洗髪所などが徐々に増えていった。
 20世紀初頭まで、この谷はイタリアの工業地帯として繁栄していたが、小麦粉の製粉は近隣のパスタ工場に移行し始めた。
その後、製粉業者が次々と撤退し、1940年には完全に廃墟となり、自然の緑が残るようになった。

#12)サンティアゴ神殿(メキシコ):⬇︎

メキシコのチアパス州にある、450年の歴史を持つローマ・カトリック教会で、別名『ケチュラの神殿』とも呼ばれている。
この教会は、7年間続いた北米での天然痘の流行により、放棄された。

 1966年、マルパソダムの建設からネザフアルコヨトル貯水池が完成した。その結果、廃墟となった神殿は完全に水没してしまった。
2002年、貯水池の水位が下がったときに再び姿を現し、地元の人々は水がない間にパーティーを開く為にこの寺院を利用した。

 その後、2015年を含め、ときどき出現している。