2022年7月18日月曜日

統一教会 ロシアでも蠢動 その手口と衰退の理由は?・・・

安倍晋三元首相銃撃事件を受け!〜、
   世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に
        注目が集まっている!・・・


その統一教会!〜、
   実はロシアでも活動していた事は
        あまり知られていない!・・・

どのようなアプローチでロシア社会に浸透!〜、
       なぜ衰退していったのか?!・・・

             アレクサンドル・ドヴォルキン

正教会・聖チハノフスキー人文大学の宗教学教授で、ロシア宗教・宗派研究センター協会会長のアレクサンドル・ドヴォルキン氏に話を聞いた。
 ドヴォルキン氏は、ロシアにおける分派・カルト宗教研究の第一人者であり、…
現在も、家族のSOSに応じ、カルトに入信した人を救出する活動を行なっている。

統一教会は1980年代からこっそり活動を始めていたが!〜、 
ソ連でペレストロイカが始まると、堂々と布教活動をするようになった!・・・
 1990年には統一教会創始者の文鮮明(ムン・ソンミョン)が、ソ連の国家元首であったミハイル・ゴルバチョフ氏と面会。
 クレムリンの敷地内にあるウスペンスキー大聖堂で、統一教会の儀式を行なった。ウスペンスキー大聖堂はロシア正教会の重要な教会であるから、現在では到底考えられないことである。
さらに文鮮明は『統一教会はやがてロシアで国教として受け入れられるだろう』とま大言壮語したという。

ドヴォルキン氏が語る処によれば!〜

◼︎〚ソ連の国家元首が、現役の一国のトップとして一番最初に文鮮明に
  会ってしまった。周囲の人々のプロ意識がなかったとしか思えない〛、・・・

◼︎〚統一教会はまず、莫大な資金を注ぎ込んでロシア教育省と太いパイプを
 築いた。学校の教師らをロシア南部・ビーチリゾートのサナトリウムへ旅行に
   連れていき、…そこでセミナーをやったりビデオを見せるなどして、
          啓蒙活動を展開した〛、・・・

◼︎〚統一教会は、ソビエト人のメンタリティというものをあまり理解できて
  いなかったと思います。無料でビーチに行きたいから行っただけ、戻って
  来てからは何もしないという人が多かったのですが、…それでも強く
  感化された人もいて、ひとクラス丸ごと、生徒を統一教会の儀式に
  連れていった担任の先生がいました。それをフランスのテレビ局が
  取材していたので、私はよく覚えています〛、・・・

► 統一教会はロシア語で
  『私の世界と私』という教科書を作った!〜

この教科書はロシア全土のおよそ一万の学校で採用され!〜、
 特にカルムキヤ共和国では、当時の首長と関係を築き、
        共和国内の全ての学校が採用した!・・・
カルムキヤといえばロシアの中でも数少ない仏教国である。
 統一教会は一応キリスト教系の新宗教である筈だが、… ドヴォルキン氏は、
    統一教会はキリスト教とは全く関係ないと否定する。

◼︎〚ロシアは多民族の国ですから、統一教会は地域によって、自分たちの主張を
  変えていました。カルムキヤでは仏教徒に、イスラム教の地域ではムスリムに
  対し、それぞれ耳ざわりの良いことを吹き込んでいたわけです。また、最初は
  ロシア正教会の聖職者が統一教会のセミナーに参加することもありました。
  文鮮明は、色々な宗教の代表者を自分たちのイベントに招くことを
  好んだからです。しかしロシア正教会の方は、これはおかしいと気づき、
  行くのをやめました。日本では山上徹也容疑者のように『2世』の悲劇が
  注目されがちだが、ロシアでは、親の意に反して、子どもが入信して
   しまうケースが目立ったという〛、・・・

◼︎〚霊感商法や寄付などで日本が統一教会の資金源になっている事は
  有名ですが、 ロシアの場合は、90年代から2000年代にかけては市民が
  寄付できるほどのお金を持っていませんでした。
  ロシアにおける手口はこうです。若い信者は、縁もゆかりもない他の町に
  引っ越しさせられ、アパートの一室に押し込められて集団で生活します。
  朝から晩まで路上に立って、通行人に施しを求めます。
  大体は、冷たくされるわけですね。でも、信者は、その冷たくされる
  事こそが、試練だと捉えています。狭い部屋に戻ると、一番寄付を
  集められなかった人が罰を受けます。そんな中でも、他に友達や頼れる
  人がいないので、信者の信仰の心は強まり、自分たちは正しい事を
   しているという気持ちがさらに高まるのです〛、・・・

 統一教会は、米国と日本のメディアに大きな影響を及ぼしたが!〜、
     ロシアではその試みはうまくいかなかった!・・・

ドヴォルキン氏は!〜、
✦〚特に統一教会が盛んに活動した90年代は、私有財産という概念が誕生したばかりで、社会の何もかもが瞬く間に変化し、盗みや殺人も日常茶飯事だった〛、・・・
と振り返る。そこへ乗り込んでいくのはリスクが大きすぎた。
注いだ活動資金の額に比べると結果が見合わなかったため、文鮮明は徐々にロシアへの関心を失っていった。

 統一教会が衰退したのは、他にもいくつかの要素が重なったためだと指摘する。
例えばゴルバチョフ財団は、長きにわたり統一教会の資金で運営されてきた。
 しかしゴルバチョフ氏は、西側では人気があるが、ロシアでの人気はさほどない。ゴルバチョフ財団は、統一教会が望むような影響力を持てなかった。
『投資』する人物を読み違えたということだろう。

オウム真理教』がロシアで有名になった事が!〜、
 統一教会の活動にも大きな
        影響を与えた事は否めない!・・・

オウムの危険性がクローズアップされた事で、統一教会もそれと同列で、危ない存在ではないかと、社会全体が危機感を抱き始める切っ掛けとなった。
それ以外にも他のカルト宗教がどんどん出現しそれだけ競争も激しくなり、統一教会の衰退は、2012年の文鮮明の死去とそれに伴う家族間の継承権争いによって決定的となった。 
 90年代というロシアが最も混乱した時期と、統一教会の全盛期が重なったことは、不幸中の幸いであり、… ロシアがもっと安定した時期に彼らが入り込んできていたら、より大きい影響を及ぼす存在になっていたことでしょう!・


参考文献:
■【ロシアでも暗躍した統一教会、その手口と衰退の理由は?ロシアのカルト研究家に聞く、知られざる過去】:

https://jp.sputniknews.com/20220716/12027220.html