2015年1月27日火曜日

【日の丸技術】⇔ 戦時中、B29撃墜用に幻の電波兵器開発!・・・


B29撃墜へ電波兵器開発「旧海軍実験所」跡取り壊しに悲痛な声…「電子レンジ技術の起点。日本の産業遺跡の面も」




大井川の河道拡幅工事のため、取り壊し工事が始まった「第二海軍技術廠牛尾実験所跡」=15日、静岡県島田市牛尾





強力な電波兵器でB29を撃墜しようと、大戦末期に旧日本海軍が研究を進めた静岡県島田市牛尾の「第二海軍技術廠牛尾実験所」。平成25年から市教委による発掘調査が行われ、直径10メートルのパラボラ反射鏡を据え付ける架台などが発見されたが、大井川の治水工事のため取り壊しが始まった。貴重な戦争遺跡が失われることを危惧し、保存を求めてきた地元有志からは「一部でも遺跡を保存すべきだ」という声が上がっている。

 「ガガガガッ」。15日午後1時ごろ、重機の先端に付けられた破砕機がコンクリート製の基礎に突き刺さると、実験所電源室の跡地は次々と崩れていった。「70年も残っていた遺跡なのに、あまりにもあっけない最期だ」。「牛尾実験所跡遺跡を守る会」共同代表の臼井利之さん(68)はそう言って唇をかむ。崩れた基礎の中から姿を現したのは、か細い2本の鉄筋。臼井さんは「通常ではあり得ないもろい構造だが、戦時中で物資が不足していたのだろう」と往時に思いをはせる。

 実験所の跡地が残る牛尾山周辺は、隣接する大井川の川幅が約300メートルと狭く、数十年前から洪水の危険性が指摘されてきた。河道拡幅工事を行う国土交通省静岡河川事務所によると、遺跡を含む牛尾山を掘削し、150メートルほど川幅を広げる計画だという。

 しかし、5年ほど前に地元の郷土史研究会が地中に埋もれた遺跡の存在を確認し、平成25年に市教委が発掘調査を実施。直径10メートルのパラボラ反射鏡を据え付け可能な高さ約4メートルの架台2基や、約500平方メートルの電源室の基礎などが発見された。臼井さんらは遺跡の保存を求める署名活動を行い、昨年11月に市長に3163人分の署名を提出。同12月には、市議会でも治水工事と遺跡の保存を両立する工法の採用を訴えたが、採択されなかった。

レーダーなど、旧日本海軍が開発した電波兵器に詳しい東京工業専門学校の河村豊教授によると、牛尾実験所では地上の高射砲から発射した砲弾にマイクロ波を照射し、B29のそばで起爆させる研究を進めていたという。河村教授は「反射鏡の架台部分も見つかっており、実用化に向けて相当程度の研究が進んでいたのでは」と分析。「電波兵器の研究は、戦後電子レンジの技術にも応用された。実験所は戦争遺跡であるだけではなく、日本の産業遺跡という側面もある」と遺跡の重要性を指摘する。臼井さんは「2メートルでも3メートルでもいいから、遺跡の一部を残してほしい。当時につながる『場』を維持していくことが必要だ」と話した。

産経ニュース(2015.1.25)



                                        


筆者考:

米軍が誇る、当時最強の重爆撃B29 を撃墜しようと、研究開発を重ねていた強力電波兵器!・・・。

完成して!、見事に空の要塞と言われた、無敵の爆撃機B29 を撃墜する事は敗戦で夢と潰えたが、戦後に電子レンジに応用された『日の丸技術!』・・・。


1944年(昭和19年)、大日本帝国海軍は海軍技術研究所と島田実験所(現島田理化工業の前身)にてマイクロ波を照射して航空機などを遠隔攻撃するための研究をおこなっていたが、・・・初の実験対象はサツマイモで、焼芋となった。
 その後、5mの距離からウサギを殺すことにも成功したが、それ以上の大型化が困難となる。大和型戦艦から撤去した副砲の旋回部分を利用してパラボラアンテナを設置する工事も行われたが、兵器として実用化されることなく終戦を迎えた。
 開発者の一人、中島茂はマイクロ波でコーヒー豆を炒る機械を製作して東京のコーヒー店に納入し糊口をしのいだ』。だが、この電子レンジが商品化されることはなかった。

✦筆者註【中島茂】:

中島 茂(なかじま しげる、1907年〈明治40年〉 - 2006年〈平成18年〉)は、日本の電波技術者。マグネトロンやレーダ、超音波魚群探知機の開発に貢献した。1930年(昭和5年)、日本無線に入社。1931年(昭和6年)頃からキャビネティ・マグネトロンの研究開発に着手し、1934年(昭和9年)からは海軍技術研究所との共同研究の末、1939年(昭和14年)に完成させた。しかし「レーダーの電波を出して敵を見つけて、その敵を攻撃するなんてことは夢にも考えないバカげた戦い方である」として研究は中止されてしまった。なお、この時開発されたマグネトロンは1年後にバーミンガム大学が開発したものと構造がよく似ており、1992年(平成4年)にドイツ博物館で開催されたレーダー開発史のシンポジウムで中島が紹介したところ、ヨーロッパの研究者から盗作ではないかと疑われたが、後に日本独自の技術であることが証明された。

筆者が若い頃(18〜20代前半)に務めていた会社は戦後に創立された若い会社で、社長は電波技術者、海軍技術研究所に勤務していた方でした。
面白い社長で、発想力が驚くほどに豊かで、種々の発想を持ち、・・・当時(1961年)、ゴルフボールにチップ(極小発信機)を組み込み、ボールを見失った時に受信機によって
ボールの所在を探知する機器を開発していました。筆者は社長に特別に目をかけられて、一緒に回路設計などに携わりました。今となっては懐かしい思い出です。

日本人はともすれば欧米人に比較して発想力が劣る!と、散々に不当な評価(ソフトバンクの孫や小沢一郎などが態々南朝鮮に出向いて)を得ていましたが、・・・どっこい!、日本人の発想力の豊かさは欧米人に優るとも劣らず!と声を大にして言えると思います。

唯、残念な事に企業(特に大手)の経営陣の資質が劣質で、多くの若く才能ある人材を育てる能力がなく、海外に雄飛されて仕舞うか、或いはあたら貴重な芽(才能)を潰して埋もれさせて仕舞う場合が余りにも多い事に、筆者散々に目にして来ています。
何と勿体無い事か!。

世には才能が有りながらも、之を活かす事が出来ず、・・・膝小僧を抱えている若者が数多存在します。

日本政府は!・・・外国人留学生支援金や不逞外国人への生活保護や外国人学校(朝鮮、韓国、中華学校)への助成金停止、ODAの見直しで、予算を捻り出して!、・・・埋もれている才能を発掘して開花させる機関を設立するべき!と筆者は数年来主張していますが、海外居住の身では何らの人的資源も、資金もなく、単なる狼の遠吠えで終わっています。
無力さが肌身に感じる筆者です!!!・・・。