朝鮮人労働者の苦しみ後世に 京都・ウトロに訪問者続々
朝日新聞デジタル/編集委員・中野晃(2016年5月14)
飯場跡を見学する在日コリアンや日本人の一行=京都府宇治市、 ☛ ☛ ☛
在日の韓国・朝鮮人が暮らす京都府宇治市のウトロ地区。今年に入り、韓国や日本国内から訪れる人が相次いでいる。なぜなのか。
太平洋戦争中、国策の京都飛行場建設に動員された朝鮮人の労働者らが敷地の一角で生活した。もとの地名は「宇土口」だったが、地域の人々が呼んだという「ウトロ」が戦後に定着。敗戦時には約1300人がいたとされ、今も地区(約2・1ヘクタール)には55世帯・約130人が暮らす。立ち退きを求められたが、2011年までに韓国政府系財団の出資や寄付金などで一部の土地を買収。宇治市、京都府、国が公営住宅2棟を建てることが決まった。
住宅建設や周辺の整備に伴い、「飯場」跡も残る建物の取り壊しが早ければ6月にも始まる。「記録や記憶に残したい」。そう考える人たちが次々と足を運ぶようになった。
著名タレントのウトロ訪問が韓国の人気テレビ番組で放映された昨秋以降、韓国からは修学旅行生や数十人規模のグループがたびたび訪れる。2月には釜山の東亜大建築科生ら12人が路地で写真を撮影したり、巻き尺で建物の寸法を測ったりした。ジオラマを作り、釜山でウトロの変遷を紹介する展示会を開くためだ。
学生らに話をしたのは姜景南(カンギョンナム)さん(90)。母と朝鮮半島南部の泗川(サチョン)から父がいた大阪に来たこと。戦争末期、空襲から逃れてウトロにたどり着いたこと。飯場跡のバラックで暮らし、子ども6人を育てたこと。チャ・ユンジョンさん(21)は「在日の歴史を学べました。おばあさんたちが懸命に生活してきた痕跡がなくなるのは残念」と話した。韓国からの訪問客の案内役を務める南山城同胞生活相談センター代表の金秀煥(キムスファン)さん(40)は「住民たちも、また来たなあと喜んでいます」と話す。
今月上旬には韓国KBSテレビのクルーが訪れ、俳優のユン・ユソンさんが住民らと交流する様子を撮影した。在外コリアンを紹介する特集番組で、プロデューサーのキム・アリさんは「撤去が始まれば風景が変わる。記録しておくのは歴史的にも意味がある」と話した。
国内からも訪れる。3月には、福岡などの在日コリアンと日本人の計5人が来た。北九州市の在日2世の裵東録(ペトンノク)さん(72)は「八幡にあった朝鮮人集落を思い出しました。私もこんな家に住んでたけん」。案内した「ウトロを守る会」の斎藤正樹さん(66)は「戦争が終わると動員された朝鮮人は見捨てられ、地区の人々は貧困に苦しんだ。ウトロはその歴史を伝える貴重な教材です」と語る。(編集委員・中野晃)