2024年2月1日木曜日

史上最も血が流れた戦い‼・・・

 1月27日、史上最も多くの死者を出したとされるレニングラード包囲戦の終了から80周年を迎えた。

包囲戦が続いた約3年間はロシア民衆史において最大の悲劇に数えられ、… 毎年、人々は犠牲者を悼んで花を手向ける。

独ソ戦中の1941年9月8日、ナチス・ドイツ軍は!〜、
  ソ連第2の都市レニングラード(現:ロシア・サンクトペテルブルク)の包囲を開始した!・・・
戦いは872日にわたって続き、ドイツ軍による砲撃や飢え、病気などが原因で、人口250万人のうち40万から150万人が命を落としたとされる。
戦線に赴く兵士や包囲される中で生き抜く市民の姿を、写真でお届け致します。

#1)レニングラード包囲中に撮影された写真
   (レニングラード包囲・防衛博物館より):⬇︎

#2)爆撃で破壊された建物(1942年1月撮影)⬇︎

#3)解放後の街に繰り出す人々。建物の壁には『市民の皆さん!砲撃の際、通りのこちら側はとても危険です』との注意書きが残る(1944年撮影)⬇︎

#4)聖イサアク大聖堂の前で、ドイツ軍に よる夜間空襲の迎撃に備える高射砲隊(1941年11月撮影):⬇︎

#5)レニングラード戦線で戦闘に参加する、
  アンドレイ・ボンダレフ大佐率いる
      第168狙撃師団の兵士たち
       (1941年11月撮影):⬇︎

#6)レニングラード市上空に浮かぶエアロスタット
      (1941年10月撮影):⬇︎

#7)ドイツ軍の砲撃で破壊された学校で行われた
    青空教室(1943年10月撮影):⬇︎

#8)建物の屋上で防空任務にあたる兵士
      (1942年8月撮影):⬇︎

#9)住宅管理局の地下室で熱湯の配給を
    受け取る市民(1942年2月撮影)⬇︎

#10)包囲中の市中心部ネフスキー通りの様子
                          (1942年9月):⬇︎

#11)イリヤ・グラズノフによる絵画
          『子供の頃の記憶 レニングラード封鎖』
                   (2004年)の複製画:⬇︎

#12)ドイツ軍による空襲後の
   レニングラード市の通り(1942年5月撮影):⬇︎

#13)聖イサアク大聖堂近くの菜園で
      キャベツを収穫する女性(1942年撮影):⬇︎

#14)ドイツ軍の砲撃で負傷し、
           レニングラード市の病院に入院する
         子どもたち(1942年11月撮影):⬇︎

#15)市内を流れるグリボエードフ運河の
                    堤防で訓練を行う消防隊:⬇︎

#16)レニングラード市上空を飛行するの
        ソ連I-16戦闘機(1941 - 1942年撮影):⬇︎

#17)レニングラード市から避難する子どもたち
                   (1942年10月撮影):⬇︎

#18薪を準備する市民(1943年撮影)⬇︎

#19)病院で負傷した赤軍艦隊の
                    兵士に食事を与える看護師:⬇︎

#20)突破後のレニングラード戦線と
        ヴォルホフ戦線の会合(1943年1月撮影):⬇︎

参考文献:

■【史上最も血が流れた戦い レニングラード包囲解除から80年】:

https://sputniknews.jp/20240127/17889048.html