2014年5月27日火曜日

慰安婦問題を捏造した朝日元記者!⇔ “沈黙のカーテン!”に身を隠し、嘯く・・・“デマを流したのは私ですが、それが何か!”

当事者も否定した「日本軍連行」報道、日本外交歪めた元朝日記者、今も沈黙

平成4年1月16日からの首相、宮沢喜一の韓国訪問直前のことだった。
 「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を中央大教授、吉見義明が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」
 慰安婦募集の強制性を認めた翌5年8月の官房長官、河野洋平の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返る。そして「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは、次のようなものだ。
 3年12月に、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす。
 朝日新聞はそれに先立つ同年8月11日付朝刊(大阪版)の植村隆の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」で、こう書いていた。
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」
 大きな反響を呼んだ記事ではこの女性は匿名となっているが、実は金学順だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「キーセン(朝鮮半島の芸妓(げいぎ)・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。
 記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事は歪曲(わいきょく)だといえる。その上、植村は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあった。
 そして冒頭の外政審議室元幹部の証言通り、朝日は宮沢訪韓5日前の4年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する。
「慰安所 軍関与示す資料」「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」「部隊に設置指示」「募集含め統制・監督」「『民間任せ』政府見解揺らぐ」「参謀長名で、次官印も」
 記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」という解説記事もあり、「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」「人数は八万とも二十万ともいわれる」と、いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている。
 だが、吉見が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」という文書は実際には「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの」「不統制に募集し社会問題を惹起(じゃっき)する恐れあるもの」「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるもの」など、悪質な業者には気をつけろという通達だ。
 少なくとも、強制連行とは何の関係もない。現代史家の秦郁彦は「もともと明らかになっていた文書で、朝日の記事が出る2週間ほど前に会った吉見は『近々この資料が朝日で出る』と言っていた。朝日は宮沢訪韓のタイミングを狙ったのだろう」と振り返る。
宮沢内閣は事実関係の確認・検証より事態の沈静化を優先させた。官房長官、加藤紘一は2日後の13日の記者会見で「事実を厳粛に受け止めたい」「このような過ちを決して繰り返してはいけない」と謝罪談話を発表した。
 16日に訪韓した宮沢は大統領、盧泰愚(ノ・テウ)との会談で「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。
 まず「謝罪ありき」であり、この姿勢が河野談話へとつながっていく。
 本紙は植村が現在勤務する札幌市内の北星学園大学に取材を申し込んだが22日までに回答はなかった。
 朝日新聞広報部は本紙の「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた。
 「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」
 「全体像」が何を指すかは不明だが、慰安婦問題は朝日があおりたてた結果、国際問題化したことに変わりはない。なかでも朝日が作り上げた“事実”を利用したのが北朝鮮だった。(敬称略、肩書は当時)
産経ニュース2014.5.23 13:49 )
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140523/plc14052313490023-n1.htm
                                           
筆者考:
 「朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を中央大教授、吉見義明が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった」

 慰安婦募集の強制性を認めた翌年1993年、の河野洋平官房長官の談話作成に関わった内閣外政審議室の元幹部はこう振り返り、「一連の流れをみると意図的な動きを感じる」と付け加えた。一連の流れとは!・・・。

✦《平成4年(1992年)1月16日からの首相、宮沢喜一の韓国訪問直前!》⇔《朝日新聞が、慰安婦問題で政府の関与を示す資料を中央大教授、吉見義明が発見したと報じたことで、政府内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった》⇒《朝日は宮沢訪韓5日前の1992年1月11日付朝刊1面トップで、次の6本もの見出しを立てた特大記事を掲載する》・・・

特大記事 :

「慰安所 軍関与示す資料」
「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」
「部隊に設置指示」
「募集含め統制・監督」
「『民間任せ』政府見解揺らぐ」
「参謀長名で、次官印も」
記事本文とは別に「多くは朝鮮人女性」の解説記事もあり!、・・・

「約八割が朝鮮人女性だったといわれる」
「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」
「人数は八万とも二十万ともいわれる」

いずれも事実と異なる根拠不明の説明を加えている!・・・「反日/売国・朝日新聞社」が全力を挙げての壮大な「偏向・捏造まがい」の記事を垂れ流して宮沢喜一首相(当時)の南朝鮮訪問に大きな影を落とした。

中央大教授、吉見義明が発見したという「軍慰安所従業婦等募集に関する件」・文書!・・・

✦「軍の威信を傷つけかつ一般市民の誤解を招くおそれあるもの/「不統制に募集し社会問題を惹起(じゃっき)する恐れあるもの」/「募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取り調べ受けるものなど、悪質な業者には気をつけろという通達だった!
 此れを切り貼り日本国を毀損するに都合よき勝手に、朝日新聞社の主筆の主観を反映させた偏向記事を垂れ流した。

1992年1月16日に訪韓した「事勿れ主義、無作為の権化⇔宮沢喜一首相(当時)」は南朝鮮大統領、盧泰愚(ノ・テウ)との会談で!、・・・“最初に罪を認め謝罪ありき!”⇔「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」と8回にわたり謝罪し、慰安婦問題の調査と真相究明を約束した。

真相の解明をする処か!、・・・『最初に謝罪ありき!の宮沢内閣の卑屈な姿勢が平成5年(1993年)8月4日に発表された河野談話へと繋がった!』と断言できて河野洋平だけを責める訳には行きません。 宮沢喜一は既に鬼籍に入り糾弾は出来ない!。 河野談話が出された時の首相であり、・・・談話を認めたのは政権の最高責任者である宮沢喜一首相(当時)を国会招致して喚問する事は不可能である。
 此れらの事情で安倍政権が河野洋平の国会喚問に踏み切れぬ!と推測できる。



✦《朝日新聞は平成3年8月11日(1991年)日付朝刊(大阪版)の植村隆の署名記事「元朝鮮人慰安婦 戦後半世紀重い口を開く」!、・・・「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(中略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」。大きな反響を呼んだ!》⇔ 事実は!・・・記事ではこの女性は匿名となっているが、実は金学順だった。金が女子挺身隊の名で連行された事実はない。裁判の訴状で金は「キーセン(朝鮮半島の芸妓・娼婦)学校に3年通った後、養父に連れられて中国に渡った」と述べている。

 記者会見やインタビューでは「母に40円でキーセンに売られた」とも語っており、植村の記事(『女子挺身隊』の名で戦場に連行されは歪曲(捏造)だと断言できる。

植村隆は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の娘婿でもあったので此れは!、・・・『Conflict of Intrests=利害関係の矛盾)』となり、本来なら朝日新聞はこの記事を没にするのがジャーナリズの精神に殉ずるものである。 つまり詐欺師が被害者の如く装い「お涙頂戴の記事」を書くようなもの!、・・・これは公平、中立性が殆ど義務づけられているメディア界ではで絶対に許されぬ報道姿勢である。 日本のメディアはジャーナリズム精神などなどは皆無であり、偏向、捏造紛いの報道が世相を賑わしているは嘆かわしい事です。もっとも此れを許している国民の罪は大きい!!!・・・。

✦ 平成3年12月(1991年12月)、韓国の民間団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」を母体とし、弁護士の高木健一、福島瑞穂(社民党前党首)らが弁護人となって韓国人元慰安婦、金学順らが日本政府を相手取り損害賠償訴訟を起こす!・・・

※ 筆者註  金 学順(キム・ハクスン、김학순、1924年 - 1997年12月16日)は韓国人の元慰安婦。1991年に自ら元慰安婦として名乗り出て多くの証言を行った。各々の証言の真贋については議論のあるところだが、彼女が慰安婦であったことは確かとされている 。

裁判記録:

✦ 1991年12月6日に補償を請求して、東京地方裁判所に提訴。1次原告35人うち慰安婦は3名、他は元日本軍人および軍属、2次原告は1992年4月13日、元慰安婦ら6人。訴訟原告代理人は高木健一(弁護士)、林和男(弁護士)、福島瑞穂(弁護士)ら11人。

✦ 2001年に3月に東京地方裁判所は請求を棄却。この時点で金学順は死亡している。

✦ 2004年11月 最高裁も棄却。


本紙は植村隆が現在勤務する札幌市内の北星学園大学に取材を申し込んだが22日までに回答はなかった!・・・“私が慰安婦捏造しましたが、それがなにか?”、朝鮮半島人の妻に骨に髄までも感化された「ヒトモドキ・植村隆」はどこ吹く風で罪の意識などはさらさらない!。沈黙のカーテンに隠れ慰安婦問題を捏造したのは私ですが、それがなにか!と嘯いている。


 朝日新聞広報部は本紙の「一連の記事は今もなお正しい報道だと認識するか」との質問に対し、次のような回答を寄せた!・・・「従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません。お尋ねの記事は、そのような全体像が明らかになっていく過程のものです。当社はその後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています」
✦ “従軍慰安婦問題は最初から明確な全体像が判明したという性格の問題ではありません!” ⇔ “その後の報道の中で、全体像を伝える努力を続けています!”・・・
こう言い放つ神経は流石はチョウニチ新聞!、厚かましさは半島人も真っ青に成るほどです。 全体像を伝える努力をするなら、既に慰安婦の虚構は白日の下に去らされて朝日新聞の壮大な捏造と判明している。 此れに沿って日本国政府、国民に謝罪と、今からでも遅くはない、・・・全体像的な訂正記事を大々的に報道すべきであるが、骨の髄まで半島の感性に侵され、半島系の経営陣や社員に中枢を握られている朝日新聞では、「謝罪、訂正記事」は夢物語り!と言えるでしょう。