2014年5月19日月曜日

南朝鮮が最も目を背けるオーストリア正史⇔南朝鮮のアキレス腱!!!・・・

韓国が怯える!、オーストリア正史 戦争責任すり抜けられた理由:



ウィーンにある国連事務局。かつて第二次世界大戦の被害者に成りすまし、「連合国」を気取ったオーストリアはその態度を改めたが、韓国は今なお被害者を装い、歴史の捏造を続けて恥じない=14日(ロイター)


第二次世界大戦(39~45年)直後のオーストリアで、加害者が被害者に成りすます筋書きが、ぴったり!と当てはまる。


被害者に成りすまし:

 オーストリアは「ナチス・ドイツに併合された、ナチスによる最初の犠牲国」と、先頃まで言い張った。韓国の朴槿恵(パククネ)大統領(62)も「日本が加害者で、韓国が被害者」と、繰り返し強弁する。教科書では「対日戦争」を教えてもいる。

 オーストリアは「ナチス・ドイツに併合された、ナチスによる最初の犠牲国」と、先頃まで言い張った。韓国の朴槿恵(パククネ)大統領(62)も「日本が加害者で、韓国が被害者」と、繰り返し強弁する。教科書では「対日戦争」を教えてもいるが!、・・・史実は全く違う。近代に入り、朝鮮と本格的に戈を交えてはおらぬ。 10年に大日本帝國が併合し、日本と成った朝鮮は、欧州・植民地兵のようにではなく枢軸国・日本の将兵として大戦を戦った。

朝鮮人の軍人・軍属の数:

✦ 24万2000人以上!・・・
 志願兵の競争率は62倍強に沸騰した!・・・
 2万1000柱の英霊が靖国神社に祀られた!・・・

以上の様な歴史的な事実が峻厳と立ちはだかり!、・・・『反日の権化・南北朝鮮人』が最も行きたくない国は90年代以降、枢軸国側で連合国と戦った歴史を一転して認めたオーストリアである事は想像に難くない!。
朴 槿惠(パク・クネ)大統領がオーストリア訪問して例の如くの『告げ口外交 ⇔“歴史を正しく直視し、責任を取る姿勢を持て!”』を展開すると!、・・・これが木霊と化して自らに襲い掛かってしまう。

然し、反日はすでに宗教と化して
朴・槿惠(パク・クネ)大統領
の全身をスッポリ!と覆い、想像を遥かに超え常識では考えられぬ行動!・・・
オーストリアー南朝鮮・国交正常化50周年の2013年、南朝鮮政府は首都ウィーンで記念行事を催したが、何食わぬ顔で文化・芸術一色を前面にだしたものだった。
 3カ月後の9月、朴氏はベトナムを訪れた。ベトナム戦争(1960~75年)中、韓国軍はこの国で民間人や捕虜を大量虐殺し、多くの女性を陵辱したが、謝罪は皆無。日本に執拗に要求する「正しい歴史認識」とは何かを自覚し悩み「オーストリア症候群」や「ベトナム症候群」に苛まれる時代は来るのか?・・・ その日が到来した時に初めて名実ともに世界で通用する国となる。


南朝鮮とオーストリアの共通癖⇔[歴史/偉人の捏造」:

✦ オーストリアは38年、ナチス・ドイツが併合。独総統アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)を歓迎する国民も多かった。ドイツとして将兵80万人を動員し、30万人前後が戦死した。従って1945年のポツダム会談で、ソ連/米国/英国/フランスが墺全土とウィーンを、それぞれ分割統治する方針が決まる。4地区には軍政が敷かれ、各国の主権が保障された。

✦  オーストリアは55年に主権回復し永世中立国と成るが、ドイツのように国家分断の悲劇は回避できた。米英ソ首脳発信の《モスクワ宣言=43年》が影響している。宣言では、大戦中の残虐行為を戦争犯罪と指定し、主に独軍将兵とナチス党員を該当者と明記。その際、墺併合は無効と認定された。以来、オーストリアは宣言にすがり、万人単位のユダヤ人虐殺の暗部を隠蔽した。

 国連事務総長を経て大統領に就任したクルト・ワルトハイム(1918~2007年)の独軍突撃隊将校という軍歴が暴かれ、自身は残虐行為を否定したが、大統領再選(1992年)を断念。それでも、ユダヤ社会や国際社会は墺非難を高めていく。結局、首相がイスラエルを訪問し、初めて謝罪する。

✦ オーストリアの「連合国気取り」は終わった。ただ、ヒトラーを独生まれ、墺(1770~1827年)をオーストリア生まれと偽るオーストリア人が少なからずいるが、・・・実際は逆でヒットラーはオーストリア、ルートウィヒ・ベートーベンはドイツ生まれ。

✦ 「偉人の捏造」をする哀れな行為に、日韓併合に反対した初代朝鮮統監・伊藤博文(初代首相/1841~1909年)を暗殺した頓珍漢なテロリスト・安重根(アンジュングン)(1879~1910年)を英雄として、妄想歴史に特筆する南北朝鮮が浮き彫りにされる。


オーストリア同様に連合国気取りの南北朝鮮:

✦ 南朝鮮はオーストリアがやめた「連合国気取り」も現在の平然としている。韓国の教科書にも載るが、2013年9月の 《韓国光復軍》 創立73周年、韓国メディアは光復軍について講釈!・・・《英軍と連合して1944年のインパール戦闘をはじめ、45年7月までミャンマー(ビルマ)各地で対日作戦を遂行した!

※  韓国光復軍は40年9月、中華民国=国民党政権の臨時首都・重慶で立ち上がった朝鮮独立を目指す亡命政府=韓国臨時政府の武装組織。だが、動員計画は遅れに遅れ、創軍1年目の兵力は300人に過ぎぬ。米CIA(中央情報局)の前身で、レジスタンス活動を支援するOSS(戦略諜報局)協力の下、朝鮮半島内で潜入破壊活動を考えたが、日本降伏が先になった。 連合国気取りは蜃気楼のごとく!!!・・・

 45年8月15日、最後の朝鮮総督は日章旗を降ろし、太極旗掲揚を命じたのも束の間。9月、軍政施行に向け半島に上陸した米軍は太極旗を降下させ、再び日章旗を揚げさせる。以後3年間軍政を実施し、臨時政府樹立など論外であった。臨時政府の金九(キムグ)主席(1876~1949年)は個人資格で“故国”に帰り、光復軍も武装解除された。韓国は日本を打ち負かして独立したのではない。米国より棚ぼた式に独立を譲ってもらったけ!・・・此れを自伝で書き残している。

《何の役割を果たしていない》韓国が戦争責任をすり抜けられた最大の理由:

オーストリアのように“ユダヤによる追及の構図”がなかった幸運。ナチスと「喧嘩」しながらもユダヤ人を守った日本の役割は小さくない。だのに、韓国人は被害者たる“ユダヤ人”を装う。 

心配だったのは、この戦争で何の役割を果たしていないために、将来の国際関係においての発言権が弱くなること:

此の僻みがアメリカの占領統治を経て1948年に建国されてされた当時から現在まで、南朝鮮人の心底に淀み!、・・・ “僻み!”を払拭する為に狂気の一語に尽きる程の「憎日/毀日」のプロパガンダを国際社会で展開して戦勝国との印象操作を形振り構わぬ展開している。
 韓国外交官にとり墺駐在は出世街道とされる。国連の潘基文(パンギムン)事務総長(69)や金星煥(キムソンファン)・前外交通商相(60)らはいずれも駐オーストリア大使の経歴を持つ。南朝鮮国民からオーストリア正史を遠ざける功績が認められたのでは?と疑心暗鬼に駆られて仕舞う!。
SankeiBizの記事【韓国がおびえるオーストリア正史 戦争責任すり抜けられた理由】を参照、編纂しブログ更新記事に致しました。



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