2015年9月26日土曜日

海外から見る日本人の宗教観への理解は!?・・・

日本人の宗教観、海外と違うけど変じゃない?米メディアが探る日本人の心根
NewSphere(2015年9月22日)



お正月には神社に参り、結婚式はキリスト教の教会で挙げ、お葬式には仏教に則る。こういった、生活のなかにいくつもの宗教が混在する日本人の宗教観を、ユダヤ−キリスト教の一神教を基調とする欧米人は理解し難いと感じているようだ。その背景にあるものを、いくつかのアメリカメディアが探っている。

◆宗教が生活の一部として存在している日本
 クリスチャン・サイエンス・モニター紙(CSM)は、宗教と信仰が大部分において乖離している日本の状況について論じた記事を掲載した。同紙は、世界の宗教に関するニュースを幅広く取り上げている。

 CSMはまず、調査会社WIN/Gallup Internationalが発表した信仰心に関する調査結果を引用し、日本は62%もの人が信仰はないとしているにもかかわらず、多くの人が寺社仏閣などに参拝している日本の状況を説明する。つまり、ある参拝者が述べるように「神社にお参りするのは、宗教を信じているのとは別」であり、宗教が生活の慣習の一部として存在しており、「聖と俗が分かちがたい状況にある」ということだ。

 その理由の1つとして、CSMは日本人の神社へのお参りが現世利益主義的な側面が強いことを指摘する。明治神宮に飾られた絵馬には、さまざまな願いごとが書かれている。病気治癒や職場での昇進に、嵐のコンサートのチケットまで。宗教は、個人の信仰としてあるわけではなく、絵馬に書かれたように「願いごとがすべて叶いますように」と祈るためにある、というわけだ。

 またCSMは、2013年の伊勢神宮の式年遷宮の年には過去最高の1400万人もの人を集めたことに注目する。その理由として、特に若い世代での参詣者の増加について、将来への不安が背景にあるのではと推測する。伊勢神宮の神宮司庁広報課員の音羽悟氏は、20年もの不況で多くの人が目的を失い、将来について不安に感じているため「スピリチュアルな癒やし」を求めている、と同紙に述べている。

◆八百万の神でもってして異国の神を受け入れる
 米公共ラジオ放送(PRI)は、日本の土着の信仰である、八百万の神を祀る「神道」に日本人の宗教観の背景を見出している。PRIに詳細を語っているのは、東京都の渋谷に位置する金王八幡宮の田所克敏宮司。彼の言によれば、「ある日、仏陀と呼ばれる神がアジア大陸からやってきた。その後、キリストと呼ばれる神が船でやってきた。すでにいた八百万の神にもう2つ加わった、というだけのこと」。田所氏はさらに、こういった日本人の受容性の高さを、天ぷらを使って説明する。もともと天ぷらはポルトガルから伝えられたものだが、日本人は受け入れ、文化の一部としている。

 田所宮司はさらに、次のように述べる。「人々は宗教を、何を信仰しているのかという観点ではなく、儀式の観点から見ている」。つまり、「この儀式(冠婚葬祭)はどう執り行うのか」が重要であるため、子どもが生まれれば神社にお宮参りし、結婚式はキリスト教の教会で挙げながら、問われれば即座に「仏教徒」と答える状況になっている、とPRIは論ずる。

◆荒ぶる神を受け入れ、内面の糧とする日本人
 しかし、この高い受容性が別の面で発揮されているのを、別のアメリカのメディアPBS(Public Broadcasting Service)が伝えている。ケンタッキー州にあるベリア大学のジェフリー・リチー准教授が、2011年の東北大震災に見舞われた人々が見せた忍耐強さを、宗教的観点から論じている。

 宗教学の准教授で、同大学のアジア研究プログラムの責任者であるリチー氏はまず、日本の『ゴジラ』やマンガ『アキラ』に見られるように、日本人の災禍に対する考えは、日本の伝統的な宗教文化に見られるような荒ぶる神としての姿に根付いている、と述べる。そして、本居宣長の『古事記伝』に記した「神(古事記伝では「迦微」)」についての論述を引用して、日本の神は善いものも悪いものもさまざまおり、その心も行いもとりどりであり、人の小さな知恵では計り知れないものだ、とする日本人の宗教観を示した。

 だからこそ震災が起きた時に、一神教のキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者が持つような「震災は神の裁きなのか」という問いではなく、「震災をどう受け止めるべきなのか、震災はどう自分の内面のためにあるのか」という問いを、伝統的な宗教観をもつ日本人は抱きがちになるのではないか、とリチー准教授は問いかける。


 西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ。(阿津坂光子)


                                                                                                                                                                                                             


筆者考:

キリスト教徒!、〜
ユダヤ教徒!、〜
回教徒!、〜
一神教を崇拝する者には日本人が持つ宗教観などを理解できる筈がない!・・・。

米国メデイアが日本人の宗教観を理解しようと掘り下げたが、・・・如何に日本人が自然との調和(畏敬、感謝の念)が昇華して此れが日本人の宗教観となった事を日本に生まれ肌で感じなければ、理解する事は不可能である。

日本人の宗教観は日本古来の神道に根差したのであり、・・・宗教とは言えずに観念(自然との調和を優先)の世界にあるものと言える。
農耕民族、特に稲作で季節ごとの農耕作業期間内での〜、『苗つくり』⇒『雨季を待ち田園を鋤く』⇒『田植え』⇒『草取り』⇒『収穫』⇒『乾燥、脱穀、保存』と自然の暦と相談して村人が協力し合う意識が芽生えた。
村人の連帯を強固にする為に四季折々!〜、種々の行事が神社でも催され、此れは自然に対する畏敬と感謝の念に源があった。
八百万の神が神道の根源と言えて、謙譲と強調の意識が日本人の宗教観へと昇華した!と言えると、筆者は思います。

一神教!〜、
ユダヤ教、キリスト教、回教徒の異教徒のに対する熾烈な攻撃や残忍さは、・・・歴史を紐解くと一目瞭然である。
✦ 獲物を捕獲して食する肉食動物の中に存在する神!・・・
 ❝食うか食われるか!❞、攻撃性があるだけ様々な戒律が必要となる。


✦ 『母なる・自然』に依って育まれた植物を食する『草食動物・日本人!』の中にある観念!・・・
観念の世界だけに、日本人は神社仏閣を訪れ願掛けをする。
此れは、・・・『❝病気や不幸に見舞われた悩みを持つ!❞、❝幸せになりたい切ない願いを持つ方々!❞』の一種の精神療法である。
日本列島津々浦々まで見られる地蔵様が典型である。

日本古来の宗教ではなく外来の仏教が日本人に受容されたのは、神道の寛容性があったからである。外来宗教の仏教も神道と交わり、見事に日本流に昇華して、瞬く間に日本全土に広がった。

現今の日本国は米国文化に汚染されて生活様式がすっかりと変わり、日本人らしさがすっかり消え失せて行くようですが!〜、
➤ ❮❮西洋の基準からしてみれば、信仰心がないように見え、また日本人の自覚としても宗教に対する信仰心はないとしている人でも、人智を超えたものを畏れ敬う気持ちが日本人の中にあることは、以上の3つの記事からは示されているようだ!❯❯・・・
 NewSphereの記事の締めくくりの此の下りは正鵠を射ているようです。
此れがまさに神道の奥深さを無意識に心の深奥で持ち続けている日本人であり、・・・宗教では無くて観念の世界に身を置く日本人は世界に例がない精神文化を創りあげた言っても決して過言ではない!と筆者は思います。


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