百田尚樹も尊敬する元零戦パイロットが安倍首相を批判!「戦前の指導者に似ている」と
要約:
「戦争ほど恐ろしいものはありません」
「私は、あなたたちに私自身の戦争体験を伝えたい。若い世代に、私と同じ恐怖を体験させないために」
講演会のあと、原田さんは「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに応じている。
「私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています」
「戦場でのかつての敵兵もまた、私たちと同じように父であり、息子なのです。彼らを憎んだり、知りもしないでいることはできません」
「戦争は人間から人間性を奪うのです。全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれることによって」
「私は気がつきました。戦争が、私を人殺しへと変えてしまった。私はそうありたかったわけではないのに」
人を殺したくない、そう思っていても、人を殺してしまっている──戦場の現実を知る当事者の言葉は、重い。記事には書かれていないが、原田さんの著書『最後の零戦乗り』(宝島社)には神風特攻のエピソードも記されている。
1943年1月、原田さんは霞ヶ浦航空隊に教官として着任し、海軍兵学校出身者3名を受け持つことになった。そのなかの一人が関行男大尉(2階級特進後、中佐)だった。初の神風特攻により、レイテ沖海戦で戦死した軍人である。そして、原田さん自身もまた、霞ヶ浦航空隊にいたころ、「参謀肩章を付けたお偉いさん」から特攻の志願を促されたことがあったという。
ガダルカナルでともに死の淵に立った戦友は、「命令されたら仕方がない。こうなったら俺は志願するよ」と言って、戦死した。原田さんは「俺はいやだ」と志願しなかったと書いている。
「安倍首相は必死で日本の戦争放棄を取り消そうとしたがっているように見える」、そして、「戦後の長い平和がひとつの達成であったということを忘れているように思えてならない」と。
積極的平和主義の名の下に、日本を再び「戦争ができる国」にしてしまった安倍首相。その口から常日頃飛び出すのは「有事にそなえて」「中国の脅威は予想以上」という国防論だ。そこからは、原田さんが語る「全くの他人を殺すか、殺されることを選ばざるをえない状況に置かれる」「戦争が、私を人殺しへと変えてしまった」という生々しい血の匂いと、背負うことになる罪の重さは、まったく感じられない。
原田さんはインタビューで、「安倍首相ら最近の政治家は戦後生まれだから、どんな犠牲を払ってでも戦争を避けなければならないということを理解していないのです」と語り、そして、こう続けている。
「その点で彼らは戦前の指導者たちと似ているんです」
戦後、眠れないほどの悪夢に苦しめられたと語る原田さん。夢のなかで彼が見続けていたのは、自分が撃墜したアメリカの飛行士たちの怯える顔だった。自身の戦争体験をようやく語れるようになるまでに、何年もの時がかかったという。
記事は、原田さんのこんな言葉で締めくくられている。
「私は死ぬまで、私が見てきたものについて語りたいと思う」
「決して忘れないことが子どもたち、そして子どもたちの子どもたちを戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」
安倍首相や百田に、その「恐怖」は想像もできないらしい。
(梶田陽介)
Livedoor News (2015年4月24日)
余りにも安倍首相に対して悪意に満ちたLivedoor News の記事で気分が悪く成りました!・・・。
梶田陽介(敬称略)が寄稿した記事は、以前(2015年4月11日)に拙ブログでも取り上げたNewSphere記事が元ネタになっているようです。
余りにも偏見(安倍首相に対する)に満ちた梶田陽介の記事を中和する為に、4月11日の拙ブログ記事に加筆して再度アップ致します。
◼︎【ニューヨーク・タイムズ紙(NYT)は、“最後のゼロファイター”こと、元ゼロ戦パイロットの原田要氏の戦争体験と反戦の願いにスポットを当てている。
◆“最後のゼロファイター”は語る。「戦争ほど恐ろしいものはない」】:
NewSphere (2015年4月10日)
天皇皇后両陛下の慰霊碑への献花は、ペリリュー島の戦いを生き抜いた元日本兵や遺族が見守る中で行われた。両陛下は列席した一人ひとりにお声をかけられたという。
NYT(ニューヨーク・タイムズ)は、そうした戦争経験者の中から、元零戦パイロットの原田要氏を取り上げている。同紙は原田氏を「かつては空のサムライと恐れられた19機撃墜の伝説の零戦パイロット」と紹介。98歳の今は講演会などで戦争体験を語ることで、不戦の誓いを伝える「ファイナル・ミッション」に就いているのだという。
「私は零戦のコクピットで戦争を戦った。そして、死に追いやった人たちの顔を覚えている」。原田氏は、撃墜するために接近した際に見た、敵パイロットの怯えた表情が脳裏に焼き付いていると語る。「彼らは父親でもあり、息子でもあった。私は彼らを憎んだわけではない。知りもしなかった。
戦争は、そうやって人間性を奪う」。同氏は戦後、かつては敵同士だった米軍パイロットと親交を温めているという。
そうした実体験から、「戦争ほど恐ろしいものはない」と原田氏は断言する。そして、ほとんどの戦友がこの世を去り、自身の健康状態も芳しくない中、戦争体験を語れる者がいなくなれば、日本は戦争のストーリー以上のものを失うと危惧する。
そして、現政権の憲法再解釈などの動きについては、「それを目指す政治家たちは戦後生まれだ。だから、なにを置いても(戦争は)防がなければならないということを理解していない」と語る。そして、安倍首相らは「我々の時代の戦前の指導者たちに似ている」と述べている。
筆者考:
戦争の是非はともあれ軍人であれば、戦いは避ける事は出来ず、敵軍の兵士を殺傷するのは当然の行為である!・・・。
❝ 殺すか殺されるかの極限状態!❞、・・・戦闘の最中に相手の表情を備に見極める余裕などは無い筈です。
❝人間性を奪う!❞、・・・人間性を奪うのでは無くて、種族保存の本能であり人間性などとを語るは、戦後のGHQに押し付けられたWGIPの罠に嵌まり、現在の価値観で語って居るに過ぎない。
❝ 私は零戦のコックピットから戦争を見ました。いまだに私が殺した兵士たちの顔はよく覚えています!❞・・・コックピットのなから眺めた戦争を、己の主観で語るとは、狭い空間で眺めた戦争論は所詮は狭量が入り込み、戦争の全体像を掴む事は出来ずに、全ての人々の共感、共鳴を呼び起こす事は出来ません。
筆者は原田要氏の『お花畑平和・論旨』には賛同致しかねます。
其れにしても腑に落ちないのは、・・・ゼロ戦闘機が米軍機を後ろから捕捉して銃撃を加えるとなるとコックピットからは米パイロットの顔は見えない筈です。
米戦闘機のパイロットの顔が恐怖に引きつるのは、・・・後ろからゼロ戦闘機に捕捉されて逃れられない状態の時しかありません。
前方からとは、理論的に考えられず、ならば側面からとなりますが、此れとて側面からの機銃掃射など不可能で、パイロットは恐怖に陥ることはない!と思われます。
❝原田要氏は己を英雄と錯覚して、高齢も加わって幻影を見たのでしょう!❞・・・
❝戦争ほど恐ろしい物はない!❞、・・・此れは当然で戦争の恐ろしさは東京大空襲や原爆投下で嫌というほど日本国民は知っており、何も原田氏の言を待つまでもない!。
原田要氏は!・・・『憲法再解釈の動きを、戦後の生まれだから何を置いても戦争は防がなければならない』・・・と牽制しては、特亜の意を汲んだ『嫌日/売国=日本国破壊分子の粗大マスゴミ』の宣伝塔に成り下がった観がある。
『安部首相は戦前の指導者に似ている』 ・・・戦前の指導者の誰なのか?、それとも全ての主導者を指しているのか?!。
『逝かれ・ブサヨ』が戦前の日本を全否定しているように、原田氏も同じ思考をもっているのか?。
其れにしても見事な自虐の檻の中の住民と成り果ています。
戦後に米国が日本国破壊を画策して制定した!、・・・違法占領憲法が齎した弊害で日本国が存続の危機に直面している現実には目を背けて、お花畑の論理を展開している。
筆者は1963年、20歳の時の初渡米(NY市)し2年間の滞在中に・・・商社員で特攻隊の生き残った(出撃待機中に終戦を迎えた)方の2人と知己になり、目を掛けて頂きいた個人的な経験があります。
一人の方は他界(病没30年前)、もう一人の方は存命(土浦予科練所属だったので、霞ヶ浦航空隊に教官とて着任した原田要氏に教えられた可能性が高い!)しています。
この方に今朝電話して、原田要氏をご存知であるか?を訪ねましたが、何せ現在は86歳の高齢で健康状態も思わしくなく、当時の記憶ははっきり思い出せなくて答えは得られませんでした。
此の二人の方にNY滞在中の2年間、みっちり!と薫陶されたお陰で『自虐の檻の中の囚人!』に成らずにすまみました。
二人とも記事にある原田氏とは雲泥の差で戦争の是非は兎も角も、日本国が存亡の危機に直面する時は躊躇せず再度、国の為!、愛する家族の為!、銃を取る!と力強く言っていました。
筆者は此の二人の方を尊敬して、翻ると原田氏は影が薄い存在でしか有りません。
現憲法を死守する事は、国を守るために銃を取ることすら出来ずに、座して国が滅亡する事を眺める事に成ります。
原田さんのこんな言葉で締めくくられている。
「私は死ぬまで、私が見てきたものについて語りたいと思う」
「決して忘れないことが子どもたち、そして子どもたちの子どもたちを戦争の恐怖から守る最良の手段なんです」
意味不明です!、・・・高齢故に理路整然と事象を語れないようです。
❝私は決して忘れない!❞、・・・何を忘れないのか?:
戦争の悲惨さをか?、空戦中にゼロ戦機のコックピットに中から見た米軍機のパイロットの凍りついた恐怖の表情なのか?、何れにしても恐怖感をいたずらに煽っているだけで、戦争を回避する具体的、建設的な意見は全くなしで!、・・・左巻き特有の絵空事を語っているに過ぎません。
『売国・日本国破壊メデイア』の寵児となり、得意満面!で、戦後に吹きこまれたお花畑の論理を語り!、・・・ピエロと化した観が呈している原田要氏で、老醜をさらけ出しており、『超弩級の反日米紙・NYタイムズ紙』のインタビューに嬉々として、応じる姿は哀れ!の一語に尽きる。