2015年11月12日木曜日

旧ソ⇔日本軍捕虜問題の世界遺産登録はロシアの喉元に刺さる棘!・・・

ロシア人専門家:ソ連における日本軍捕虜に関する問題は、ユネスコの管轄外
Sputnik日本 (2015年11月10日 )

ソ連における日本軍捕虜に関する文書を、ユネスコの世界遺産に登録しようとする日本の試みは、日本にとって不快な結果をもたらす可能性がある。ロシアの著名な東洋学者で歴史学者のアナトーリー・コシキン氏は、このような考えを表し、次のように語っている‐

「ロシアにおける日本軍捕虜についてだが、日本は彼らを軍事捕虜だとは認めておらず、抑留者と呼んでいる。その論理は、日本はソ連に対して戦争を宣言していないので、彼らは軍事捕虜ではないというものだ。彼らは東京の天皇の命令に従って、平和的に戦いを放棄したという。しかしこれは、ソ連軍との戦いにおける日本人の激しい抵抗を物語る映画やドキュメント写真によって否定されている。

寸評:
詭弁の極みである!〜、平和的に戦いは確かに放棄したが、此れは米軍に対してあり、然も米軍は『終戦の詔勅・天皇陛下玉音放送後』は日本軍への攻撃は停止した。
翻ってソ連軍は武器を置いた日本軍だけではなく一般人に対して仮借ない攻撃を反復した。武器を置いた日本軍が再度、武器を取りソ連軍に対して自衛の為、一般人を守る防戦せざるを得なかった。
激しい抵抗は当然である。
ソ連軍が攻撃しなければ、抵抗も無かった!。
日ソ不可侵条約を一方的に破り、然も敗色が濃厚になった大東亜戦争末期に突如として宣戦布告と言うよりはルーズベルトの要請を実行しただけで、卑怯な攻撃を開始、・・・然も一般人を数多殺戮したソ連には日本国を攻める資格は全くない!。
依って!〜、日本政府が『抑留者!』と表現する事にソ連(現ロシア)異は唱えられぬ。

この機会を利用して日本の皆さんに、日本ではほとんど誰も知らないことをお伝えしたい。戦争末期、日本政府は無我夢中になってソ連への譲歩に関するプログラムを策定した。これは、ソ連が米国と英国側で戦うのを防ぐためのものだった。プログラムには、南サハリンとクリル諸島の譲渡が含まれていた。ソ連指導部との直接会談、可能であればスターリンと直接会談するためのモスクワ訪問が計画された。この訪問の前に、近衛公爵とその相談役だった酒井鎬次(さかい・こうじ)中将が準備した文書 『ソ連政府との交渉原則(和平交渉の要領)』には、賠償として、日本兵が捕虜となり、彼らを労働力として使うことを日本政府が提案した項目があった」。

寸評:
戦ってもいなかった、然も米国と戦争中にソ連に賠償とは不可解です。
何れにしても、ソ連政府との『交渉原則(和平交渉の要領)』謎が多く検証が必要です。

ブログ主註:『ソ連政府との交渉原則(和平交渉の要領)』
 『近衞が和平派の陸軍中将・酒井鎬次の草案をベースに作成した交渉案では、国体護持のみを最低の条件とし、全ての海外の領土と琉球諸島・小笠原諸島・北千島を放棄、「やむを得なければ」海外の軍隊の若干を当分現地に残留させることに同意し、また賠償として労働力を提供することに同意することになっていた。ソ連との仲介による交渉成立が失敗した場合にはただちに米英との直接交渉を開始する方針』・・・

スターリンは、ポツダム会談の5ヶ月前に、ヤルタで当時のアメリカ大統領ルーズベルトと、ある密約をしていた。それは、ドイツが降伏した3ヶ月以内に、ソビエトは日本と戦争をする。その見返りとして、日本の持っていた満州その他、極東の領土や権益を得る約束がされていた。
 従って、ドイツ降伏後、スターリンの関心は極東に移った。アメリカの新大統領トルーマンにヤルタの密約を確認し、対日参戦の見通しをつける、それがポツダムに望むスターリンのねらいだった為に和平交渉は行われなかった。
 和平交渉がなかったのに、ソ連側が何故に交渉の要領が筒抜けになっていたのか?。
何れにしても!〜、『和平交渉綱領』はヤルタ会談でのルーズベルトとスターリンの密約の内容と全く同じであり、・・・和平交渉は綱領はソ連むけでは無くて、ソ連を介して米国と和平を目的で提案したものである。
 従って!〜、ソ連が『和平交渉綱領』の内容にある、草案に沿った軍事行動や日本軍を拘束して収容所に収監し、・・・強制労働に狩りだす事や、北方領土の簒奪(火事場泥棒!)行為は正当化は出来ぬ!。

コシキン氏が主張している事は!、❝盗人猛々しい!❞、・・・火事場泥棒を働いた犯罪人が『以前から火災にあった世帯主から物品供与の約束があったから無罪である!』と喚いているのに等しい物がある。

コシキン氏はまた、降伏後に日本兵が中国領内に残った場合、日本政府は、中国人が戦争犯罪に対して日本兵に復讐することも懸念したと述べ、次のように語っている‐

日本の将軍たちが、日本兵を中国からソ連に移送することを依頼した文書が存在している。ソ連への譲歩案には、『労働力が賠償として提供される可能性がある』と記されている。この文書を公表した米国の歴史学者ハーバート・ビックス氏は、ソ連経済復興のために日本軍捕虜を労働力として使用するために彼らを抑留するというアイデアは、モスクワではなく、天皇の側近の間で生まれたということになる、と執筆している。しかし日本では、この事を知る人はほとんど誰もいない』。

日本軍捕虜がソ連で抑留されていたとする時の悲惨な状況を再び提起する試みは、露日関係と関係しているという。コシキン氏は、次のような見方を表している‐

「日本は、ロシアから領土について譲歩を得ることはできないことを理解し始めたようだ。そのため私は、ロシアとの新たな対立の場が開かれたとしても驚かなかった。その一つが、ソ連における日本軍捕虜に関する文書を、ユネスコの世界記憶遺産に登録する試みだ。指摘したいのは、全ての軍事捕虜が、自分たちの置かれた環境を、非人間的で悲惨なものだとは認識しなかったことだ。ソビエト政権が、日本軍捕虜に対して人道的に接したというたくさんの証拠がある。日本軍捕虜には、当時のソ連軍の規範に従って食事が与えられた。すなわち、その食事は、一般のソ連人の食事のカロリーよりも高かったということだ。日本人には、彼らが慣れ親しんだ米、野菜、魚が供給された。ロシア外務省が日本側に対して、このテーマに関する対話は正式な政府間ルートで行うべきだと述べているのは、正当なことだ。しかしロシア外務省によると、日本側はそのような対話を避けるだけでなく、特にソ連のゴルバチョフ大統領と日本政府の名で署名された1991年4月18日の合意など、二国間文書の用語を大きく歪曲した。この合意では、捕虜を含む、戦争の結果による問題を、穏やかな雰囲気の中で、互いの立場を考慮して解決する必要性が規定されている。

もし日本政府が今後も同じような要求をするのであれば、ロシア政府には、同じくユネスコの関心を引くであろう日本の軍国主義の残酷さと非人間性を証明するたくさんの事実がある。しかし私は、これは正しい道ではないと考えている。ユネスコは、政治的戦いの場になってはならない。そうなれば、ユネスコの本質から外れてしまう」。

寸評:
➤ ❮❮日本の将軍たちが、日本兵を中国からソ連に移送することを依頼した文書が存在している!❯❯・・・
 一方的なソ連側の言い分であり、本当にこの文書が存在して居るのか!?は疑問です。存在しているなら!〜、この公文書を添えて日本政府に『日本軍捕虜問題世界遺産登録』に対して堂々と反対の意見をロシア政府は、日本政府だけでは世界に発信すべきです。
日本軍の将軍達!〜、文書に記されているなら、複数の将軍を仄めかしているが、それらの将軍たちの姓名を明かして欲しいものです。


『日本側が差し出した文書!』との主張は!〜。

関東軍参謀・草地貞吾の述懐によると、草地が関東軍総司令官・山田乙三と関東軍総参謀長・秦彦三郎の決定を受けて作成しソ連側に送付したものだとされているが、日本政府が正式に提出したものではなくて、関東軍総司令官・山田乙三偽造の独断であり、加えて
ソ連が偽造した疑いがもたれている。

➤ ❮❮ソビエト政権が、日本軍捕虜に対して人道的に接したというたくさんの証拠がある。日本軍捕虜には、当時のソ連軍の規範に従って食事が与えられた。すなわち、その食事は、一般のソ連人の食事のカロリーよりも高かったということだ。日本人には、彼らが慣れ親しんだ米、野菜、魚が供給された❯❯・・・
 此れは世紀の大虚言である!。
よくもまぁ!〜、億面もなく嘘八百が並べれらるものです!。

シベリア抑留は!〜、一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている。
 アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。

一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在でいうモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国、ヨーロッパロシア、ウクライナ、ベラルーシなどソ連の勢力圏全域や中華人民共和国に送り込まれていた。現在でも、それらの地域には抑留者が建設した建築物が残存している。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。

厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に背くものであった。
 ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、非人間的な行為に対して謝罪の意を表する』と表明した。(出典:ウイキペデイ)

ブログ主の父親は上記されているモンゴル・ホジスホラン(ウランバートルから東北100キロ離)のにソ連に依り強制的に抑留されて、母国の地を再度踏むこと無く不帰の人となり、無言の帰国となりました。
1999年3月7日、・・・遺骨収集団の方々の尽力により、ホジスホランの存在していた日本人抑留者の墓地が発掘され、ブログ主の父親の遺骨が発見され、日本政府から通達があり、現地で荼毘にされた遺灰を受領しました。

収容所で一緒で幸運にも生き長らえて無事に復員されてた方が、・・・ブログ主の母親の家を訪れて、無念にも収容所で病没した父親の遺髪と爪を持参してくれました。
この方の話では強制収容されていた約2000人の元日本兵の7割は、酷寒の中!、粗末な食事で体力を消耗して亡くなったそうです。
何処に『ソビエト政権が、日本軍捕虜に対して人道的に接したというたくさんの証拠』があるのか!?、あるなら証拠を提出して貰いたいものです。

➤ ❮❮もし日本政府が今後も同じような要求をするのであれば、ロシア政府には、同じくユネスコの関心を引くであろう日本の軍国主義の残酷さと非人間性を証明するたくさんの事実がある。しかし私は、これは正しい道ではないと考えている。ユネスコは、政治的戦いの場になってはならない。そうなれば、ユネスコの本質から外れてしまう❯❯・・・
 国連は常に政治的な戦いの場となり、理念は地に堕ちている!。
今更!〜、『ユネスコの本質から外れてい仕舞う!』などど宣うは笑止千万である。

本来ならロシアの外相が日本政府に『旧ソ⇔日本軍捕虜問題』の世界遺産登録への不満を通達するべきですが、・・・ロシアは表立って日本政府を恫喝は出来ぬので、ロシアの著名な東洋学者で歴史学者のアナトーリー・コシキン氏に意を含めて、言わせたのでしょう。
姑息な手段を取るロシアである。
其れにしてもアナトーリー・コシキン氏はとんでもない東洋歴史学者で、学者に有るまじき歴史を検証しないで不用意に妄想としか言えない内容の記事をメデイアに寄稿するものです。呆れて言葉がありまあせん!。



ブログ主考:

旧ソが為した世紀の大罪!〜
日本軍捕虜問題はロシアの喉元に突き刺さる棘!・・・

日本軍捕虜問題がユネスコ世界遺産登録されると、棘が益々と喉元を貫く!・・・
焦り、神経質になり、支離滅裂な理屈で強制収容を、詭弁を弄して正当化しようとしているは、真実が国際社会で明るみになるのを恐れている証である!・・・


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