2017年1月30日月曜日

【支那人風刺漫画家!】: 支那共産党は歴史の真実を嘘で塗り替えている!・・・

アパホテルを糾弾する前に中国共産党がやるべきこと
Newsweek(2017年01月25日)

中国共産党は、歴史の真実の上に数えきれないほど嘘を吐いている!〜、
南京大虐殺についても、2つの疑問が拭えない!・・・・




 最近、拙著『マンガで読む嘘つき中国共産党』(新潮社)が出版された。その本に詳しく描いたが、中国共産党は自らの統治の正統性を守るため、歴史の真実の上に数えきれないほど嘘を吐いている。

 日本軍が中国に侵入した時、国民党軍は主要な戦場で日本軍と直接戦ったが、共産党軍は戦いを避けて陝北などの農村根拠地で力を蓄えた。
 それだけでなく、こっそり日本軍と結託して、日本軍に国民党の情報を流した。だから49年の共産中国成立後、日本の友人が中国を訪問して謝るたび、毛沢東は謝る必要はない、むしろ日本が中国を侵略したことに感謝する、と語っていた。
 毛沢東は実際、日本の侵略に感謝していた。そうでなければ、共産党に権力を奪い取る機会はなかったからだ。

 更に興味深いのは、南京大虐殺の疑問点だ。私は最近、『毛沢東――日本軍と共謀した男』(新潮新書)の著者である東京福祉大学の遠藤誉特任教授に、この問題について話を聞いた。彼女によれば、毛沢東は彼の年表から判断するに一度も南京大虐殺を非難したことがなく、80年代以前は中国の歴史教科書も南京大虐殺に言及していなかった、という。

 はっきり覚えているが、私の小さい頃、中国の歴史教科書が南京について触れていたのは、「雨花台事件」だけだった。
 1949年に中華人民共和国が建国された後、南京の雨花台という丘に烈士の陵墓園が造られ、毛沢東は「国難に殉じた烈士万歳」と揮毫(きごう)した。南京大虐殺記念館の建設より30年以上も前のことだ。
 この間、南京市政府は雨花台で主に国民党によって殺された共産党員と共産党シンパを追悼していて、かなりの長期間、まったく南京大虐殺について宣伝していなかった。
 私はネット上で「雨花台」について調べてみたが、関係する資料は既に探せず、ただ雨花台が以前は刑場だったこと、国民党政府の統治時代に10数万人の共産党員とシンパがこの地で殺されたことが分かっただけだった。ここでも南京大虐殺と同様に、「10数万人」というぼんやりした数字しかない。
 中国では過去、精度の高い正確な人数の統計が存在したためしがない。これはおそらく、物事を徹底的に理解しようとしない中国人の欠点なのかもしれない。

 南京大虐殺のもう1つの疑問点は、共産党が討論や質問を許さず、常に被害者が30万人だと繰り返し強調するところだ。この数字は南京大虐殺記念館の石碑の上に刻まれてもいる。   しかし、現在名前を確かめることができるはっきりした被害者のリストには、1万615人の名前があるだけだ。

南京大学・南京大虐殺史研究所の張憲文(チャン・シェンウエン)所長によれば、本格的な統計作業が始まるのがかなり遅かったため、数十年前の被害者の情報を掘り起こすのは極めて困難だという。

 確かに数十年後に改めて調査することの難しさは理解できる。いかなる戦争や災害の被害者数もすべてはっきり調べなければならないはずなのに、どうやったらこのように厳粛な記念館の壁の上に30万人というはっきりしない数字を刻むことができるのか――物事の追求に厳格でまじめな日本人にしてみれば、そう思うのだろう。
 南京大虐殺記念館の陳列品や写真についても、日本の歴史学者は多くの間違いを発見している。

 このように様々な問題の中でも、特に共産党が断固として疑問を受け付けない態度は、日本の右翼にさらなる自信を与えている。
 南京大虐殺を歴史的事実と認める日本の歴史学者が中国を訪れ、中国政府と交流して調査を始めるのを望んでいるのに、中国政府はそれを拒絶し続けている。
 そのことが、元谷代表と彼の友人たちが南京大虐殺をデマである、と信じる結果につながっている。討論も調査も許さないのなら、事実そのものが怪しいではないか!という訳だ。

 実際、その真実について議論や質問が許されない中国の歴史はかなり多い。
 いくつか例を挙げてみよう。58年から62年にかけて起きた全国的な大飢饉についてだが、共産党はその研究を禁止しているため、学者は正確な統計データが入手できず、死者数は1650万人から6000万人まで定まらない。
 文化大革命も同様に研究が禁止されているので、正確な統計が不足し、死者数は100万人から2000万人までさまざまな説が存在する。共産党軍が国民党軍の支配する長春を包囲し、多数の餓死者が出た48年の「長春包囲戦」や、89年の天安門事件も同じだ。

 中国では研究が禁止されている近現代史の分野が多く、犠牲者数も多い。そのことは、南京大虐殺そのものより深刻だ。そして、共産党の南京大虐殺に対する疑わしい態度は、日本の右翼に対する世論の支持に貢献している。共産党は元谷代表を厳しく非難してボイコットする前に、自分たちの歴史をよく見直すべきだ――私はそう思う。



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ブログ管理人考:

辣椒(ラージャオ、王立銘)!〜、


風刺マンガ家。1973年、下放政策で上海から新疆ウイグル自治区に送られた両親の下に生まれた。文革終了後に上海に戻り、進学してデザインを学ぶ。09年からネットで辛辣な風刺マンガを発表して大人気に。14年8月、妻とともに商用で日本を訪れていたところ共産党機関紙系メディアの批判が始まり、身の危険を感じて帰国を断念。以後、日本で事実上の亡命生活を送っている。


支那に戻ると、身が危険であり、日本で亡命生活を余儀なくされている在日支那人の風刺漫画家の王立銘!〜、

母国共産党を痛烈に非難して、アパホテル・元谷 外志雄氏を擁護している。
矢張り支那人は南鮮人と違って事象を客観的に俯瞰的に捉えることが出来るようです。
 勿論夜郎自大(中華思想=選民思想)が大半を占める支那人の中では例外中の例外でしょうが、少なくて王立銘氏の様な支那人が存在する事が判明しただけで、嬉しくなります。

 日本軍が中国に侵入した時!〜、



✦ 国民党軍は主要な戦場で日本軍と直接戦ったが、八路軍(共産党軍)は戦いを避けて陝北などの農村根拠地で力を蓄えた!・・・

✦ 日本軍と結託して、日本軍に蒋介石・国民党の情報を流した!・・・



✦ 毛沢東は謝る必要はない、むしろ日本が中国を侵略したことに感謝する!と 度々言及していた!・・・

✦ 日本軍の侵攻がなければ、八路軍は権力を奪い取る機会はなかった!・・・



風刺漫画家の王立銘が指摘する南京虐殺の疑問点!〜

✦ 毛沢東は彼の年表から判断するに一度も南京大虐殺を非難したことがなく、80年代以前は中国の歴史教科書も南京大虐殺には言及なし!・・・

✦ 中国の歴史教科書が南京について触れていたのは、※『雨花台事件』だけ!・・・

※『雨花台事件』:1949年に中華人民共和国が建国された後、南京の雨花台という丘に烈士の陵墓園が造られ、毛沢東は「国難に殉じた烈士万歳」と揮毫(きごう)した。

✦ 南京市政府は雨花台で主に国民党によって殺された共産党員と共産党シンパを追悼していて、かなりの長期間、まったく南京大虐殺について触れてはいなかった!・・・

✦ 雨花台が以前は刑場で、国民党/蒋介石によって、10数万人の共産党員とシンパがこの地で殺された。ここでも南京大虐殺と同様に、「10数万人」というぼんやりした数字しかない!・・・

✦ 支那では過去、精度の高い正確な人数の統計が存在し事がなく、物事を徹底的に理解しようとしない中支那人の欠点なのかもしれない!・・・

✦ 共産党が討論や質問を許さず、常に被害者が30万人だと繰り返し強調しているが、数字は南京大虐殺記念館の石碑の上に刻まれているが、1万615人の名前があるだけだ!・・・

✦ 厳粛な記念館の壁の上に30万人もの不明確な数字を刻むことができるのか!・・・

✦  南京大虐殺を歴史的事実と認める日本の歴史学者が支那を訪れ、中国政府と交流して調査を始めるのを望んでいるのに、中国政府はそれを拒絶し続けているのは何故だ?・・・

まともな支那人である風刺漫画家の王立銘が抱いた疑問点は、・・・日本国民の大半が「南京虐殺は捏造!』とする疑問点と全く同じですね!。

王立銘がNewsweek Japanの記事で述べている事は何も目新しい事ではなくて、国を愛する識者の方々なら誰でも知悉して居る事で、なにも拙ブログに取る上げる程の事では有りませんが!〜、

特筆できるのは支那人が支那語で記事を執筆して、此れが北米でも、名が通っているニューズウイーク誌の、例え日本版としても、此れに掲載されたのは画期的な事でなので取り上げました!・・・

特に支那語版には多くの支那人の目に付く事は十分に考えられます。
日本人が執筆したならは条件反射で支那人は反発するでしょうが、・・・支那人が執筆したものと分かれば一考を余儀なくされる。

❝南京虐殺が架空のものだった!❞と疑心暗鬼に駆られる支那人が増える事は間違いなく、・・・シナ政府がアパホテルを不当で常軌を逸した非難攻撃は、藪をつついて蛇を出したようです。


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