2015年10月30日金曜日

背筋が凍る支那!、ガン村の不都合な真実!・・・


中国ガン村の惨状 あるボランティア女性の報告
大紀元日本 (2011年8月6日)



         ガンを患った女の子(唐米豌さん提供)

マレーシア在住の中国系女性・唐米豌さんは2002年からの7年間、中国のガン村で患者を支援するボランティア活動を続けてきた。2009年、彼女がガン村の惨状をまとめた文章を発表して以来、中国政府のブラックリストに載せられて、入国禁止となった。唐さんは、「この7年間、私は命の尊さを真に理解できた。そして、自分は以前どれほど贅沢だったか、どれほど浪費していたかを思い知らされた」という。

 以下は彼女が明らかにした内容の概略である。

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 中国の農村部を歩き回って7年間、私が最も驚いたのは、極貧村でもなければ、江西省での地震でもなく、ガン村の現状である。



⬅︎ ⬅︎ ⬅︎ ガン大量発症の元、汚染された唐白河

湖北省には唐河という河があり、河南省の区域に入ると唐白河と呼ばれた。川沿いには200か所以上の村があり、各村の世帯数は200余りで、人口は約1千人。そこの外資系企業の工場が汚水を川に垂れ流しているため、唐白河全流域がひどく汚染されている。沿岸の村の人々はその川の水で生活しているため、多くの村民が末期ガンを患っていた。

 医療チームの女性看護師は、一度その川の水で手を洗っただけで、指が腐乱しだした。

 医療チームに同行してガン村を訪れた初日に、一人の医者が私に告げた。「この子は末期ガンで、もう長くありません。半年以上体を洗ってないし、寝返りをさせてあげる人もいません。この子の髪の毛を洗ってあげましょう」

 私はこの子の体を引っくり返した。するとなんと、背中には本よりも大きな空洞ができている。私は老眼なので、目の前には白くぼやけているものしか見えなかった。
 メガネをかけてみて、びっくりした。寄生虫がいっぱいいるではないか!私は手袋をはめていたが、傷口に触れると、瞬く間にたくさんの寄生虫が私の両腕に這い上がってきた。そのとき、「もう死んじゃう!死んじゃうよ!」と思った。体が固まって思考力が止まった。逃げることもできなければ、叫ぶこともできない。この子を驚かせてしまうからだ。ただひたすら涙が止まらなかった。

 隣の看護婦さんは私を催促していた。「唐さん、早くしてください。早くしてね、まだたくさんの家庭で傷口の処理をしなければならないのだから」。私は涙を流しながら、手の震えが止まらず、傷口を処理していた。

 半年以上排便していないガン児童!〜

 傷口を処理し終わって、去ろうとしたとき、先ほどの医師に呼び止められた。「唐さん、まだ終わってないのよ。肛門から便を出してあげてください」

 「まさか!肛門から便を出すなんて!来る前には、そのような仕事内容を聞かされていない」と、唐さんは一瞬ムッと来た。それもそのはずだ。もし事前に聞かせたら、ここまで来なくなるかもしれない、と彼らも心配していたのだ。

 もう逃げ道がない。ここまで来た以上、髪の毛も洗った、傷口も処理した、最後は排便補助か。やるしかない。この末期ガンの児童はすでに何か月も水を飲んでいない。お金がないからだという。浄水は1口や2口しか飲めない。長期間水を飲んでいないため、排便は一層困難になった。考えてごらん、半年以上も排便していないんだから、そのお腹がどれほど大きいか。

 硬くて臭い便、どうしたらいいのか。以前、私はマレーシアで臨終間際の人への奉仕活動に参加していた。まあ、病院で歌を歌い祈ってあげる程度のものだった。肛門を開いてあげて排便補助するなんてありえないことだ。たとえ、やれと言われても、私は自腹で人を雇ってやるはず。しかし、ここではだれもやってくれない。自分でやるしかない。私は全身が固まったまま作業を始めた。それからの丸1日、ご飯が喉を通らなかった。

 


ガン村のお腹がふくれた女の子  ➡︎ ➡︎ ➡︎

その日の夜、私は心の中で誓った。明日は日が昇らないうちに早起きして逃げよう!

  翌朝になると、私はまた手押し車を押しながら出かけていた。昨晩の誓いはどこかに飛んでいたのだ。そして、自腹でたくさんの浄水を買ってきて、末期ガンの児童を持つ家を一軒一軒訪ねて、体を洗ってあげた。夜戻ってきたとき、髪の毛から足の裏まで体中が臭い。自分は本当にバカだ、誓いを忘れるほどのバカだ。明日の朝は絶対に早起きして逃げる!

 しかし、その翌朝になると、また誓いを忘れた。このように毎日誓って、毎日忘れるという日々が続いた。そのうち慣れてきて、麻痺してきた。不思議なことに、排便補助をしながら、マレーシアの民謡を歌うまでに余裕が出てきた。

 自分でも自分のことが分からなくなった。最初は震えながら、泣きながらだったが、最後は余裕すら出てきた。

 自腹で、ガン村でボランティア活動!〜

 あれ以来、私は月の半分は広東省の医療チームに同行してガン村でボランティア活動を続け、月の半分は東莞でアルバイトして生活費を稼いだ。

 医療チームの医師と看護婦は全員ボランティアだった。休みを取るのがなかなか難しいため、毎回、チームのメンバーが変わる。ただ、体を洗うのは必ず私だった。

 医療チームは広東省各区の医師と看護婦からなっている。彼らの環境は本当に厳しい。私もすごく感動した。なぜなら、一般の中国人は絶対に参加しない。ガン村のようなところのこのような重労動なんてありえない。正直にいうと、初めは私は騙されて連れて行かれたと思った。実際の状況を事前にまったく説明されていなかった。ただ、人助けのボランティアができるか、患者を支援したことがあるか、としか聞かれなかった。私はその場で参加したいと即答した。現場に着いて、現状をはじめて知ったのであった。

 傷口を処理するのはまだできるのだが、肛門を広げるなんて!だれでもできることではないと思う。初めは私もできなかった。強い決心で克服できた。そのときの慌てぶり、怖い感覚、臭い匂い、などなど。そのうち、慣れてきて当たり前のようになった。自分の適応能力が結構高いのに気づいた。以前記者や、新聞制作に携わったおかげだと思う。どこへでも出かけ、何でもやる、そして、冒険心をすこし培っていたからだ。

 最大の悲しみ:一粒のキャンディ!〜

 実は、私はこのボランティア活動を続けるのに躊躇はなかった。これらの子どもたちは成長する機会もなく、明日もないからだ。今日はまだ生きているのに、明日はもう死んでいるかもしれない。だから、彼らの夢を叶えてあげたいと思った。こどもたちの夢、理想、心の願いが何なのかを知りたかった。そして、私は一軒一軒の家庭を訪問した。その答えに私は驚いた。子どもたちは口を揃えて、「亡くなる前に一粒のキャンディを食べたい」と言ったのだ。50歳過ぎた私だが、娘が亡くなったときも、いろいろな天災事故に遭ったときにも、これほど悲しいと思ったことはない。

 マレーシアでは、すべての子どもにとって、一粒のキャンディはたやすいものだ。それが理想や、夢あるいは心の願いになるなんてありえない。しかし、これらの末期ガンを患った子どもたちはみんな、私に一粒のキャンディが欲しいと言った。この一件は私に強い衝撃をもたらした。私はこの子たちの夢を叶えてあげたい。心から喜んで叶えてあげたい。

 私は自分のお金でたくさんのキャンディを買ってきた。みんなに一缶ずつ配った。私の唯一の願いは、この子たちがこの世を去る前に、体を洗ってあげて、気持ちよく送り出してあげたい。そして、行く前に楽しそうにキャンディを食べてほしい。たかがキャンディだ。

 後に、ガン村に行く途中で強盗に遭い、脇腹を刺されてマレーシアに帰国して治療することがなければ、そして、中国政府のブラックリストに載らなければ、私はいまだにガン村でボランティア活動を続けているはずだ。

 強盗に遭い負傷して国に帰る!〜

 多くの人が、私のことを「婦人の仁」だと評した。あの2人の強盗は私を傷つけ、金を奪ったのに、私はなぜ、公安の事情聴取のときに、彼らを告発しなかったのか。なぜなら、私の金を奪い、私を傷つけたのは確かにこの2人だが、私の命を救ったのもこの2人だったからだ。出血が止まらない私をみて、この2人は泣き出した。泣きながら手押し車で私を村の保健所に運んだ。その後、村民たちがワゴン車で私を町の病院に運んだ。後1分でも遅れていれば、私は死んでいたのだ。

 後に、公安警察が事情聴取するときに、私はこの2人の強盗を知らないと答えた。実際には、彼らの家族にも子どもやお年寄りがおり、私が体を洗ってあげたり、浄水を買ってあげたりしていた。事件発生後、多くの人は私のことを「婦人の仁」だといい、彼らを刑務所に送り込むべきだと主張した。しかし、私の命を救ってくれたのも彼らなので、私はそれ以上追究しなかった。彼らは本当に貧しくて、どうしようもなく、理性を失い強盗を起こしたのだ。

 この一件の後、神様が私を助けてくれていると感じた。ガン村での体験を書いた「血染綿花地」(血に染まった綿花の地)が、第三回星雲文学賞で短編小説の特別優秀賞を獲得した。賞金の額は、私が当時奪われたお金と同額だった。神様が私にお金を返してくれたのだ。

 ガン村の子どもには明日がない!〜

 河南省のガン村では、植物がまったく生えなくなった。村民らは田植えができない。汚染された川の水で畑を灌漑できないからだ。だから、綿花以外は、野菜も米も、何も育てられない。

 実際には、ガン村のたくさんの写真を公表できない。恐ろしすぎるからだ。だれもがきっと怖いと思うからだ。

 ガン村のこどもたちはみんな、いきいきとしている。しかし、彼らには本当に明日がない。今日はまだ外で遊んでいるのに、明日は病床に倒れているかもしれない。

 彼らは本当に極貧だ。そのため、ガン村を離れることもできない。しかも、中国では引っ越したくてもその地の戸籍がなければ、引っ越すこともできない。マレーシアでは身分証明書を所持していれば、どこに住んでもいい。

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 オリンピックの盛大な式典と村人の命!〜

 唐さんは後にマレーシアのあるシンポジウムで、中国のガン村の状況を証言し、参加者の関心を集めた。多くの人はその場で泣いてしまった。ある参加者が、ガン村の村民には飲用の浄水がないのなら、なぜ現地政府は支援しないのか、と質問した。

 「この問題は胡錦濤または温家宝に聞くべきだ。私は答えられない。私が知る限り、現地政府は支援を行っていない。そのときはまさに、2008北京五輪の準備・開催の時期だった。政府はこの件を隠ぺいし、現状を公表するはずもない」と唐さんは語った。

 「私は中国のインターネットでこの現状を公表した。中国政府が、五輪開会式の一つの出し物にかけた費用をこのガン村に使い、医療のサービスをすこしでも提供すれば、大勢の患者がもうすこし楽に生きることができたはずだ、と。この書き込みは30分もしないうちに削除された。私が中国のどのサイトに情報を発信しても、すぐに削除されてしまう。30分以内に消える。だから、その質問については、温家宝と胡錦濤に聞くしかない。私は答えられない」

 外国人はガン村立ち入り禁止!〜

 シンポジウムでは、ある参加者が自分の体験を紹介した。それによると、彼女は30日間の観光ビザで中国を訪れていた。彼女は唐さんにこう質問した。「私は観光客の身分でガン村に入れますか」

 「あなたは入れない。村の入り口で遮断されるはず。絶対に入れてもらえない。外国人の身分だとばれたら絶対にだめ。私は流暢な広東語を話せるため、深セン市在住のおばさんと思われた。それでも行く先々の村では、まず町役場の許可をもらい、それから県政府の許可をもらわなければならない。そのようにして、毎回私は3か月間滞在できた」と唐さんは言う。

 「後に、外国人であることがばれてしまい、私は河南省でボランティア活動を続けることができなくなった。現地政府はガン村の情報を完全に封じ込め、外国人が入ることを絶対に許さない」

 中国を離れてから、唐さんはガン村の真相を本にまとめて発表した。彼女は依然として、中国で貧困者支援のボランティア活動を続けたいという。「しかし今、私は中国への入国が禁止されている。ブラックリストに載ったのだ」

 唐さんは外国人が見ることのできない、そして、多くの中国人が関心のない現実を図らずも見ることができた。彼女は、自分が目の当たりにしたのは氷山の一角に過ぎないという。「中国では一体、どれほどのガン村があるのか、知る術もない。控えめな統計でも、中国の農村部では3億人以上が安全な生活用水がない」という。




      ガン村の真相を本にまとめて出版した唐米豌さん(写真=楊暁慧)

。長年、新聞記者を務め、後に引退してボランティア活動に励んでいる。中国のガン村での7年間のボランティア活動を2冊の本にまとめて、2010年に出版した。また、講演などで中国の現状を積極的に訴えており、「自分は普通の中年女性であり、できることは限られている。しかも、まだよく行えていない。本を通して、国際社会の共感を呼び、善意的な行いを広げていきたい」という。 (記者・楊暁慧、翻訳編集・叶子)


                                                  


ブログ主考:



取り上げた記事は古いもので、2011年8月6日に大紀元日本で報道されたものです。
ブログ主は4〜5年前から、大紀元日本を定期的に訪問していましたが、此の記事は見逃して仕舞いました。

報道されてから4年以上も経ているのに記事へのアクセスが
今でも多く注目記事として上位にランクされています。

かなりの長文なので、要約して編集しようかなと思いましたが、詳細に支那のガン村の様子が記されているので、下手に要約すると、ガン村の報告を本にした唐米豌さん、記者の楊暁慧氏の訴えが損なわれる恐れがあるので、そのままで引用し拙ブログで取り上げました。

記事の中で見られるガンの魔手に侵された少女の画像は正視に耐え難く、胸が張り裂けるます。
世界第二位の経済規模、軍事力も毎年!毎年!〜二桁規模で拡大して予算の湯水の如くに費やす共産支那が、自国の環境汚染の改善には、農村の環境破壊には頬かむりをし、加えて情報管制をしいて、不都合な真実に蓋をする。
人類史上に出現した帝国の中で最も残忍非道であり、世界史上で特筆され、毒々しいドス黒い光芒をはなっている。

◼︎【最大の悲しみ:一粒のキャンディ!】:
胸が張り裂け、悲しいは話です。不幸な子供さん達の境遇に思いを馳せる悲しくて涙が零れ落ちます。

➤ ❮❮中国には200か所以上のガン村が存在するといわれている。私は広東省の医療チームに同行して、河南省の30か所のガン村を訪れていた。これらは皆外国人が立ち入り禁止の地域であり、一部の村の入り口には柵が設けられており、村に入っても勝手に質問したりしてはならない。むろん写真撮影は絶対禁止。ただ、中国人の顔を持つ私は真相を知ることができた❯❯・・・

➤ ❮❮マレーシア在住の中国系女性・唐米豌さんは2002年からの7年間、中国のガン村で患者を支援するボランティア活動を続けてきた。2009年、彼女がガン村の惨状をまとめた文章を発表して以来、中国政府のブラックリストに載せられて、入国禁止となった。唐さんは、「この7年間、私は命の尊さを真に理解できた。そして、自分は以前どれほど贅沢だったか、どれほど浪費していたかを思い知らされた」という❯❯・・・

こうして、地道に現地に赴いてガン村の被害者の世話をして、その体験を文章にして発表する唐米豌さんには頭が下がります。