2016年4月22日金曜日

心温まる『美容外科・高須クリニック』の熊本支援!・・・

熊本を支援の高須院長、批判的な声に「信用なんかいりません」 ヘリで物資輸送
ZakZak(2016.04.20)



熊本地震の被災地を支援するため、夕刊フジ連載コラムでもおなじみの美容外科医で「高須クリニック」の院長、
氏(71)が立ち上がった。自腹で調達した支援物資を載せたヘリコプター「高須ヘリ」が19日、東京・新木場のヘリポートから佐賀空港へ向けて飛び立った。夕刊フジは同日、準備作業中の高須氏を直撃した。

 「陸路は使えないが、ヘリで何回か飛べば、かなりの物資が送ることができる。できるだけたくさん被災地へ運びたい」と意気込む高須氏。自身も20日午前、羽田空港から空路で佐賀空港に到着。同空港を輸送基地に設定して、ヘリで被災地にピストン輸送を行う。調達したのは100リットル以上のミネラルウオーターや熊本の病院から要請を受けていた米、パン、オムツ類、タオルなど。

 高須氏は14日の「前震」が発生する直前まで熊本に滞在しており、地震発生時は福岡空港で羽田行きの飛行機内にいた。「熊本にあと1日いたら、ボクも被災者だった。人ごとじゃないんだよ」。その後、18日にツイッターで「ヘリで救援物資を直接被災地に届けます」と表明した。

 高須氏が取った行動は賛辞を呼ぶ一方、「高須院長は信用できない」と批判的な意見も上がるなど、ツイッター上で話題を呼んでいる。これに対して高須氏は「私財をばらまくだけです。信用なんかいりません」とキッパリ。夕刊フジにも「友人から、被害の少なかった天草市でもコンビニの商品が底をついていると聞いている。急がないといけないと思ったね」と胸の内を明かした。

 生活物資不足が深刻化する被災地では、支援物資が被災者の手元に行き渡らない事態も生じている。「ヘリをチャーターして物資を送ろうとしている人に向けて、見本を示すつもりでやっているよ」と高須氏。支援活動にかかった金額については「請求書が全部届かないと分からないね」。


 支援は要望を聞きながら続けていくという。


                                                   


ブログ管理人考:

粗大マスゴミが物味遊山の気持ちで!・・・
野次馬根性を丸出しで!・・・

特権意識の衣を身に纏い!〜、
 ❝そこ退け、そこ退け、庶民どもよ!ー❞、粗大マスゴミ様のお通りだい!❞・・・
被災者の方々が整列して給油所で順番を待っている最中、特ア人も真っ青になる程の ❝割り込み!❞ で平然と給油をする!・・・
 地元の方が食べ物さえ思うように手に入らずの状態なのに,これ見よがしに豪勢な弁当を見せびらかす ❝人に非ず!❞の忌むべきべき言動!・・・

傍若無人の悪行の数々!〜
 自衛隊、警察の救援隊の邪魔をする!・・・
報道ヘリを飛ばして自衛隊のヘリの飛行の妨げになる!・・・
 粗大マスゴミ・報道ヘリが騒音を垂れ流しては、被災者の方々を ❝ひとときの安眠!❞ から現実に戻して神経を逆撫でする!・・・

此等!〜、蛇蝎の様に忌み嫌われて当然である粗大マスゴミの所業を眺め、・・・一転して心温まるニュースにふれると、心が和みます。

◼︎【熊本地震の被災地を支援するため、美容外科医で「高須クリニック」自腹で調達した支援物資を載せたヘリコプター「高須ヘリ」が19日、東京・新木場のヘリポートから佐賀空港へ向けて飛び立った】:

➤ ❮❮高須氏が取った行動は賛辞を呼ぶ一方、「高須院長は信用できない」と批判的な意見も上がるなど、ツイッター上で話題を呼んでいる。これに対して高須氏は「私財をばらまくだけです。信用なんかいりません」とキッパリ!❯❯・・・


 参院選挙に出馬でするのか?❞❝単なる目立ち屋のパフォーマンス!❞ などと言い放つ捻くれた根性の持ち主が散見出来ますが、殆どの方々が賛辞をおくっているのは当然であり、・・・ブログ管理人も高須院長に熱烈な賛辞を贈る一人です!。

❝私財をばらまくだけです。信用なんかいりません!❞、なんと!、歯切れがよく豪快な気質が表れている言であり、尊敬せざるを得ませんね!。


公的職員による救出活動とか救援物資の搬送や、鉄道道路電気ガス水道等インフラの復旧作業が黙々と行われている中、・・・甚大な災害を被った被災者の方々が最もが不安を感じるのは世間から見捨てられてる!と疑心暗鬼に駆られる事だと思います。
高須克弥氏の行動は運んだ物資の量以上に世間の関心を被災地域に向ける功績が有ったと思うなぁ!・・・。

余談ですが!〜
高須氏の先祖は、代々医業に携わってきた戦国時代にあることをご存知ですか!?・・・

天下統一まであと一歩だった織田信長は、家臣の明智光秀の謀反によって京都の本能寺で自害に追いこまれた。この事態に慌てた武将のひとりが、そのときに堺にいた家康である。
 本能寺の変の直後、家康は愛知の岡崎にある居城へと帰路を急ぐはめになる。光秀に狙われる恐れがあったからだ。
家康が居城・岡崎城への帰路を急ぐ道中、・・・高須家の先祖の小四郎という人物がケガをした家康を介抱した逸話がある。
 その後、小四郎は家康から「高須」という苗字を与えられ、医業の家系として地域の人々の健康を守ってきたとされている。

現在、高須氏の寄付や出資が頻繁にニュースになる。最近は水不足に苦しむパラオへの支援を始めたようで、・・・時代は変われども、こうした精神は今もなお受け継がれていますね!。