2013年6月9日日曜日

ワシントン・古森義久 「靖国参拝は心の問題」

【信仰の自由が保障された平和主義の国家で民主主義的な選挙によって選ばれた政治指導者が、戦死者の霊を自分自身が信じる方法で追悼することが、平和への脅威や軍国主義への前進となるはずがありません】

 米国ワシントンのジョージタウン大学のケビン・ドーク教授は6月はじめ、日本の国会議員らの靖国神社参拝について語った。日本の文化やナショナリズムの歴史の研究を専門とする同教授の意見は、いわゆる「日本の歴史問題」への米国側の態度が決して一枚岩でないことを証していた。
 
 ドーク教授は2006年、当時の小泉純一郎首相の毎年の靖国参拝に中国などの反発がぶつけられたときも、参拝は自国を守るために戦死した先人の霊を悼む「人間の心の問題」だとして支持を表明した。
 
 今年4月下旬、靖国神社の春季例大祭に合わせ安倍政権の閣僚3人や超党派の国会議員168人が参拝したことで、政治家の参拝をめぐる論議がまた国際的な波紋を広げた。
 
 米国でもメディアや研究者の間から批判が起きた。オバマ政権は公式には沈黙したままだが、非公式には不満をもらす高官も存在する。ブッシュ前政権の高官たちがまったく日本批判の気配はみせなかったのとは対照的である。

 ドーク教授の見解がこの時点でまた注視される契機のひとつは安倍晋三首相自身の言明だった。首相は5月中旬、米外交雑誌「フォーリン・アフェアーズ」編集局長のインタビューに応じ、靖国参拝をやめるかと問われて、教授がすでに述べていた見解を引用して答えとしたのだった。

 「ドーク教授は南北戦争での南軍将兵が埋葬されたアーリントン国立墓地を歴代米国大統領が訪れたが、南軍がその保持のために戦った奴隷制の承認を意味はしないと言明しました。靖国参拝についても同じことがいえると思います」
 靖国にはA級戦犯の霊も合祀(ごうし)されたが、参拝はその霊の生前の行動への支持をとくに意味はしない、というわけだった。

 ドーク教授はこうした靖国参拝奨励論を「ヤスクニ=戦死者と日本の過去との戦い」(コロンビア大学プレス刊)という米国での近著でも明確に述べていた。日米英の識者たちの参拝への賛否両論をまとめた同書は、靖国についての英文ではほぼ唯一の総合的な本だとされる。
ドーク教授は筆者のインタビューに応じて、さらに見解を語った。

 「戦死者の追悼は人間の霊、そして生と死にかかわる神聖な行為であり、それを外部からの圧力でやめることは追悼する側の個人の尊厳を冒すことになります。日本の政治指導者が自国の戦死者の霊に弔意を表することは、日本のいまの外交政策や安保政策にはなんの関係もないでしょう」
 「日本の政治家の靖国参拝に対しては日本軍が最も大きい被害を与えたはずの東南アジア諸国からも、長い統治を続けた台湾からも非難は出てこない。日本非難を共産党独裁の正当性につなげる無神論の中国と、日本たたきを民族プライドにつなげる情緒的な韓国からしか参拝糾弾が出てこない点に注目すべきです」
 なお、秋田の国際教養大学で日本のナショナリズムの集中講義をするために訪日したドーク教授は今月6日、安倍首相を表敬訪問したという。(ワシントン駐在客員特派員)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130608/amr13060809060004-n1.htm


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筆者考:         



ケビン・ドーク 1982年米国クインシー大学卒業、シカゴ大学で日本研究により修士号、博士 号を取得。ウェークフォレスト大学、イリノイ大学の各助教授を経て、2002年 にジョージタウン大学に移り、同大学東アジア言語文化学部の教授、学部長とな る。日本での留学や研究も高校時代を含め4回にわたり、京大、東大、立教大、甲 南大などで学ぶ。 日本の近代史を基礎に日本の民主主義、ナショナリズム、市民社会、知的文化な どを専門とする。著書は「日本ロマン派と近代性の危機」(日本語版題「日本浪曼 派とナショナリズム」)など。




いやはや!~、驚きました。ケビン・ドーク氏を詳しく調べたいと思いインターネットを検索して可能な限り調べたが、望み通りの情報は得られず終い。
ジョージ・タウン大学の教授一覧には氏の名前は連ねてはおらず、生年月日、現職なのかは不明です。

インターネット検索中、彼方此方のサイトやブログに迷い込んで終い!・・・余りにも靖国神社参拝及びケビン・ドーク氏への激烈な非難が「宗教にのめり込んでいる」、「左側通行者=憲法を持ち出す」、中には「ジョージタウン大学の同僚教授」等などの人物から飛び出しているのが数多散見出来て如何に政治家(総理、閣僚)の靖国参拝が困難で複雑であるかが改めて認識されました。

これ等の靖国神社参拝反対の意見を整理して理論だった反論をするには、さらに種々の情報を収集し筆者の余り明敏ではない脳細胞を駆使して咀嚼しなければ成らず、・・・時間が掛かり過ぎるので後の機会にあらためて靖国神社参拝反対のブログ、サイト等を特集して機会があったら拙ブログにアップ致します。

殊更目に付いた『靖国神社参拝及びケビン・ドーク氏への非難、誹謗の意見』を抜粋して以下に列記いたしますが、判断は拙ブログの訪問者の方々に委ねます。

靖国神社参拝への非難、誹謗!・・・・

 靖国神社は戦没者と言わず、昭和殉難者と言うらしいが、あの中には実に二百数十万以上もの死亡した彼らの霊が「みたま」となって存在し続けている、とされる。毎年、「みたま祭り」が開催され、政治家も多数、提灯を奉献する。だが、キリスト教徒にとって「みたま(御霊)」といえばそれは三位一体(Trinitus)の一角を為す聖霊そのものであり、それ以外には全くあり得ない。三位一体とはキリスト教徒の究極の神概念であって同じ名前の二百数十万ものそれを靖国神社の中に見いだすことは全く不可能。キリスト教の本質的教えと必ず正面から衝突する以外にない。自称、カトリックであるらしいが、このシンプルな事実すらわからないドーク教授というお方はたいへん言いにくいことであるが、頭がお悪過ぎるのではなかろうか。
http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/51330138.html

米国ワシントンのジョージタウン大学のケビン・ドーク教授 レベル低っ♪『『第二十条 ○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない』を持ち出して!・・・ドーク教授の目に全く映ってないのが日本国民だということがお分かりですか?=手前を何様だと思っているのか?
http://hiroto1.seesaa.net/article/365642561.html

✦【アメリカよりみた「靖国問題」-ドーク氏に反論する=米国・ジョージタウン大学准教授(日本近代史)】・・・ 引用されているのは、ワシントンのアーリントン国立墓地に は奴隷制のために戦った南軍の将兵も埋葬されているが、歴代大統領が参拝するからといってそれが奴隷制に賛成しているという意味はない、同様に首相の靖 国参拝も東条英機ら戦犯の行為に対する賛成の表明になるわけではないというドーク氏の主張だ。だが、靖国に祀られている戦犯は内戦で戦ったのではない。し かも「日本軍」(官軍、皇軍)を相手に戦った国内外の兵士は靖国に一人も祀られていないのだから、ドーク氏の例えは正確ではない。[注1] 彼が主張しているすべての戦没者に対する尊重と弔意表明 の必要性という点は評価すべきものかもしれない。ただ、このような尊重は加害者の側が一方的に要求するだけでは決して実現することはない。アジア太平洋戦 争中に日本が侵略した国々の被害者が許す理由が十分にあると納得してはじめて、すべての日本兵を許し、すべての戦没者を同等に悼むことが可能になるのだ。日本国の心情も解せず、己の歪んだ思考を移入した醜悪な文面、左巻き学者の典型!と筆者の目に映る。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data12.html

靖国 神社、ケビン・ドークと井沢元彦】・・・ 宗教法人 である 神社 で 神道 を扱っている 神官 が 神事 を行う靖国 神社 が、 単なる慰霊の施設であろうはずがない 。しかもその歴史観は 大東亜戦争賛美一色 で染まっている

以上を列記したが!・・・此れ等を読み進む内に気分が悪くなったので、今日は此れで打ち切ります。
因みに筆者の父、叔父は大東亜戦争へ出征して不帰の人となり、靖国神社に祭られていますので、殊更に気分が悪くなりました、

最後に!・・・【戦死者の追悼は人間の霊、そして生と死にかかわる神聖な行為であり、それを外部からの圧力でやめることは追悼する側の個人の尊厳を冒すことになります。日本の政治指導者が自国の戦死者の霊に弔意を表することは、日本のいまの外交政策や安保政策にはなんの関係もないでしょう】、感銘深いケビン・ドーク氏の言葉!、靖国神社に祭られている父、叔父に思いを馳せて、父、叔父に代わりに深い感謝の念を捧げさせて頂ます。


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