2025年3月28日金曜日

現今の日本社会は!〜、
大きな『閉塞感』に覆われている!・・・

 現状を変えたいと願いながらも、1960年代~70年代のように、国家のあり方を論じ、まじめに政治運動をすることによって『社会を変える』事は、国民にとって現実的な興味を掻き立てない。
人々は心の中にそんな不平不満を募らせながらも、日々、懸命に生きている。

だが、昨今の閉塞感は我慢の臨界点に達しつつある。
長年にわたり、人々の不満が
      マグマのように溜まり!〜、
日本は噴火寸前の状態である!・・・
そんな中で行われたのが、2024年の東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選であり、… 人々はSNSを通じて、
これまでとは違うある種の熱狂した雰囲気を味わうことになった。


東京都知事選では、前広島県安芸高田市長の石丸伸二氏が!〜、
政策を訴えるというよりも、SNSを駆使して話題を集め、『石丸現象』を起こした!・・・
NHKから国民を守る党は!〜、
24人の候補者を擁立したが、初めから当選することは目指さず、その場をかく乱するかのような選挙戦を展開した!・・・
その後の兵庫県知事選では!〜、
      実際に〝有権者を動かす力〟も得た!・・・
国民民主党は衆院選で!〜、
ショート動画を駆使し、『手取りを増やす』事を訴え、
        若者の支持を広げた!・・・

     兵庫県知事選における斎藤元彦氏の街頭演説。
        「政策の吟味」はあったのか?

上述の選挙には共通点がある!〜、
それは❝合法的なテロリズム❞が行われたという事である!・・・

そもそも、民主主義は、政治家が勉強することは当然だが、有権者も政党や候補者の打ち出す政策を吟味し、実際に投票することで初めて有効に機能するものだ。言ってみれば、極めて地味で、まじめな議論、プロセスが必要なのである。

 だが、一連の選挙では、非常に残念なことだが、『自分たちの政策で社会を変える』というよりも、民主主義の制度を否定したり、揶揄したり、嘲笑したりすることで、他者を糾弾し、引きずり下ろし、人々がその事に拍手喝采を与えていた面が見受けられたのである。

 それはまるで、学校の先生が授業中、まじめに話しているのを生徒たちが嘲笑したり、隣の人とヒソヒソ話をするなどして、… 反抗の姿勢を示すといった光景に似ている。

 一般的にテロリズムとは、暴力によって現状を打破するものだが、彼らは選挙という民主主義のルールの間隙を突き、『まじめな雰囲気』そのものを揶揄し、嘲笑した。それが合法的なテロリズムというものである。SNSがその事態をさらに助長させたことは言うまでもない。
故に兵庫県知事選の投票率が前回よりも15ポイント近く上回った事や、期日前投票が過去最多になったニュースを素直に喜ぶ事ができないのである。

参考文献の執筆者の見解には違和感を感じます。
一方的な言い分であり側面を見渡してはいません。
加えて、投票した有権者(若者層)を未だ判断力も備わってはいない学徒が授業中に先生を嘲笑!、隣の席の学生とのヒソヒソ話に例え、上述の選挙をテロと決めつけているのは偏狭な捉え方!と言わざるを得ません何れにしても、今まで選挙に無頓着だった若者がどんな形にせよ政治に興味を持ち、投票所に足を向ける事を素直に喜ぶべきです。閉塞感に包まれている無惨な姿の現今の日本を打破するのに、…多少は行き過ぎていても必要なパワー!と言えるでしょう
日本の江戸幕末を俯瞰すれば一目瞭然です。

人を揶揄するという行為は!〜、
     誰しもが持つ、いわば『人間の性』である!・・・
然し、近年はSNSの発信力・拡散力と相俟って、明らかに行き過ぎている。

石破茂首相もそのターゲットとなった。
昨年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議時に、『おにぎりの食べ方が汚い』と批判が殺到したのである。
これは、人間の持つ嫌悪感を刺激する投稿である。
ただ、何の根拠もなく、遠回しに石破首相を生理的に嫌う『差別の始まり』とも言うべき出来事であり、決して看過すべきではない。

 勿論、こうした事は過去にもあった。
例えば、公園や駅などの公衆トイレには、他人の悪口や性的、暴力的な表現の落書きが数多く見られた。
決して落書きを肯定しているわけではないが、かつてなら『落書きするならトイレの中だけで』という一定のつつましさや暗黙のルールのようなものがあったし、誰もが気軽に落書きをするようなものではなかったと思う。

 だが、現在のSNS上には、一定のルールは存在しているようだが、人間の興味・関心を引きやすい刺激的な内容がXやYouTubeなどを通じて次々とアップされ、一瞬にして全世界に拡散するようになった。しかも、トイレとは違い、誰もが気軽に〝落書き〟できるようになった。

 しかし、こうした差別意識を多くの人が持ち始めることは、時代に暗雲が垂れ込み始めた時に出てくる典型的な現象でもあり、我々はこの事態を重く受け止める必要がある。

此処での文脈も偏狭な視野で社会現象(SNS発信力、拡散力)を捉えている。日本には町人文化が開花して江戸時代に『風刺、川柳』で、…お上(政府/幕府)嘲笑していた。これは正常な感覚であり、不満を蓄積させない最上の町人感覚であった。
石破のだらし無い座り方!おむすびの汚い食べ方を非難して何処が悪い!。一国の宰相たる人物が政府の威信、威厳を貶める行動を評価して何処が悪い!。石破政権の無能さに辟易している有権者(特に若者)が唯一無二の、多少は品の悪い雑言を放って何処が悪い!。
非難されたくなかったらは、政治家どもは襟を正すべきでしょう。
石破首相への非難を差別意識と捉える日本の学識者(大学教授)の知性の低さこそが日本を覆っている暗雲!と言えるでしょう。

                                               


何れにしても、日本の若者層が目覚め、問題はあるにしても、SNS上で選挙の候補者!、または既存の政治家!、政権!、を己の信条を披露、評価して投票所に足を向けるのは。今までになかった非常に良き潮流です。

若者が積極的に選挙の興味を持ち、投票所に足を運ぶ事は政界に激震が始まるでしょう。
既に、与党政権の特に自民党の支持が、高齢層を除いて釣瓶落として下降している、腐れ与党の立憲民主党も然り。これからは若者、中年層が日本を引っ張って行き、現在、日本が歩んでいる歪んだ軌道が正常になる可能性が芽生えて来ました。
嬉しい限りです。


参考文献:

■【羅針盤を喪失し、

    ”国家の漂流”が続く日本 今持つべきは正しい不安】:

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/36958



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