2013年9月4日水曜日

カタカナ語の増殖 アルベール・サロンさん、津田幸男さん、岡康道さん

紙面写真・図版
  
紙面写真・図版
アルベール・サロンさん
紙面写真・図版
津田幸男さん
紙面写真・図版
岡康道さんNHKのテレビ放送で分かりにくい外来語が多用されたとして、精神的苦痛を訴えた男性がいた。確かにカタカナ語は増えているが、今の時代なら当たり前……なのだろうか。
NHKのテレビ放送で分かりにくい外来語が多用されたとして、精神的苦痛を訴えた男性がいた。確かにカタカナ語は増えているが、今の時代なら当たり前……なのだろうか。 
■過剰な英語化、無味乾燥 「フランス語の未来」協会長、アルベール・サロンさん
 日本人の中に、英語を中心とする外来語の乱用に異議申し立ての声があることに勇気づけられる。私たちは、米国主導で英語が世界の言語の覇権を握ることに反対する活動を続けてきた。反米主義を掲げているのではなく、フランス語を守り、文化の多様性を守る闘いだ。
 私たちの活動の屋台骨になっているのは、1992年の憲法改正だ。欧州連合(EU)の設立を決定し、統一通貨ユーロの導入目標を定めたマーストリヒト条約をフランスが国民投票で批准承認した年だった。
 条約に合わせて改正されることになった憲法に、フランス語を守るための一文を加えようと国会議員に働きかけた。その結果、第2条に「共和国の言語はフランス語である」と明記されることになった。
 この憲法改正を下地に、94年には「フランス語の使用に関する法律」が制定された。消費者を守るため、広告や商品の取り扱い説明書などにフランス語の使用を義務づけ、テレビやラジオの放送でフランス語の使用が推奨されるようになった。
 それでも、英語の乱用は拡大している。私たちは今、「イーメール」を「クリエル」と言い換えるよう求めている。「ソフトウエア」に代わり、「ロジシエル」というフランス語が定着した前例もあるからだ。
 今年、オランド政権が大学教育に英語を積極的に採り入れるための法改正を試みた。担当大臣は、外国人にとってフランスの大学が魅力的であり続けるために必要だと主張した。外国人に高い学費を払わせることで学校経営を安定させたいとの思惑もあったのだろう。
 しかし、94年に制定された法律のおかげで、教育言語として英語を広めようという法案を骨抜きにすることができた。私たちは大学教育が「英語化」すれば、いずれ、初等教育にも広がりかねないと警告を発した。
 誤解してほしくないが、外国語を学ぶことに反対しているのではない。私自身、英語、ドイツ語、スペイン語など複数の言語を話す。外交官時代、英語で講演したこともある。
 問題なのは、他の言語をのみ込むような過剰な英語化の動きだ。一つの言語が他を支配することになれば、モノの考え方も単一になり、無味乾燥になってしまう。科学の分野でもフランス語や日本語、ドイツ語で考える人もいるからこそ、互いが刺激し合って大発見を導き出してきたのではないか。
 日本はフランスと異なり、戦後、憲法を改正してない。それだけに、憲法に「日本の言語は日本語である」と明記されるとしたら、日本人は計り知れない衝撃を受けることになるかもしれない。母国語を守ることこそが、国家の独立を守ることにつながると信じている。
 (聞き手・稲田信司)
     *
 35年生まれ。「フランス語の未来」協会の創設に参加し、仏語圏の関連団体と協力。仏国立行政学院を経て外交官となり、駐ドミニカ大使などを歴任した。文学博士。
 ■「言語法」で日本語を守れ 筑波大学教授・津田幸男さん
 外来語やカタカナ語の氾濫(はんらん)は目にあまる。日本人は、自分たちの言葉を大切にすることを忘れてしまったのでしょうか。これは誇りと威信の問題です。
 先日、全日本柔道連盟の新しい会長が会見で、「ガバナンス」という外来語を使っていました。なぜ日本語を使わないのか。日本のよき伝統を守るはずの、柔道界の最高責任者なら、日本語に言い換えるべきです。
 私は日本語防衛論を唱えています。日本人は外来語をあまりに無防備、無神経に取り入れ過ぎる。背景には「英語を使ったらかっこいい」という、日本人特有の英語信仰があります。日本人は英語を上に、日本語を下に見て、自分たちの言葉の威厳を自らおとしめています。
 氾濫の元凶は4者います。まず企業。商品名や社名、宣伝、看板に外来語が多すぎる。次に官公庁。難しいカタカナお役所言葉を全国にまき散らしています。日本の役所なら日本人が分かる日本語を使うべきです。
 三つ目が知識人や学者。本来、翻訳や言い換えを考えるべき立場なのに、それをしないでカタカナのまま使うとは、知的怠慢です。そして四つ目が、企業・官公庁・学者が使う外来語をそのまま流している報道機関。猛省すべきです。
 たしかに、カタカナ表記にすれば日本語として見なせるという考えもあります。しかし、アカウンタビリティーやコンプライアンスなどと言われても、日本語には聞こえません。
 私は外来語を全部やめなさいなどとは言いません。テレビやラジオのように、すっかり定着した外来語もあります。しかし、翻訳が大事です。翻訳により外国語の要素が薄まり、国風化できるし、人々にわかる日本語を作れるからです。
 しかし、現状は野放しです。洋画の題名も訳書の書名も外来語だらけです。なぜ「ライ麦畑でつかまえて」の新訳が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」になるのか。
 ちゃんとした日本語の単語があるのに、外来語を使うことも多い。たとえば、「モチベーション」。これは「やる気」と言うべきです。このままだと「やる気」という日本語が英語に置き換えられるかもしれません。
 外来生物の侵入で在来生物が危機になるのと同じです。無自覚で、あるいはいい気分で外来語ばかり使っていたら、いずれ日本語が丸ごと英語に置き換えられてしまうかもしれません。
 だから、野放しには反対です。まずは言い換えを奨励し、極力、日本語を使うよう促すべきです。
 それでもだめなら「言語法」の制定を検討すべきです。外来生物にはすでに「外来生物法」で対応しています。ことばについても日本語の威信と地位を守る「日本語保護法」などの法律が必要だと考えます。(投稿)
     *
 つだゆきお 50年生まれ。専門は英語支配論、言語政策。言語を権力や安全保障の観点から論じている。著書に「英語支配の構造」「日本語防衛論」「日本語を護れ!」など。
 ■取り込んで、面白がろう クリエーティブディレクター・岡康道さん
 1956年生まれなので、物心がついた時は家にテレビがあって、ニュース、ドラマ、アニメ、コマーシャル、アナウンサー、タレントなどカタカナ語があふれていました。カタカナ語の少ない日本語の世界を知らないからかもしれませんが、これまでカタカナ語を不快と感じたことはありませんでした。
 30年以上仕事をしている広告業界は元々、米国で発展した業種なので、英語に由来する言葉があふれています。キャンペーン、クライアント、コンテンツ、ターゲット、オリエンテーション、プレゼンテーション、トリガーなど、身の回りの言葉はほとんどカタカナ語です。これらの言葉の出自は外国語ですが、僕にとっては純然たる日本語の一部です。
 広告業界で言えば、かつてコピーライターに「文案家」という日本語を当てていた時期もありましたが、あまり普及しないまま、すたれてしまいました。言葉は生きものですから、使われなくなればおしまいです。逆に使われている言葉はそれなりの存在意義があるのです。
 明治時代に日本人は様々な外国語を漢字で言い表しました。例えば、英語の「freedom」の訳として「自由」という言葉を作った。自由は現在も使われており、あえてカタカナで「フリーダム」と表す人はいません。それは自由という言葉が非常に洗練されていて魅力があったからだと思います。広告業界でカタカナ語が多いのは、「自由」のような洗練された名訳がなかったからでしょう。
 独立して会社を起こした時、「小さくても巨船の針路を正す仕事をしたい」という思いを込めて社名を「タグボート」としました。「曳(ひ)き舟」でもいいのですが、それでは仕事があまり来ないだろうと思ったのです。
 言葉は日本人全体によって、日々ふるいにかけられていて、ダメなものは消え、魅力があるものが残っていくのです。「日本語を守れ」と、権力や権威を背景にして、言葉の使い方を統制するようなことをすれば、すごくよくないことが起きそうな気がします。
 「日本語を守る」と言っても、そもそも私たちが使っている漢字も中国から来たものだし、ひらがなやカタカナも漢字をくずしたり、漢字の一部を取ったりして作ったものです。日本語は元来、様々な言葉を外から取り込んで同化させてきた包容力の大きい言語です。
 カタカナ語は、出自は外国語でも本来の外国語の意味から離れて使われて、日本語の表現を豊かにする役割も担っています。「じぇじぇじぇ」のような方言を再発見して楽しむのと同様に、カタカナ語も新しい日本語表現として面白がって使っていけばいいのではないでしょうか。(聞き手・山口栄二)
     *
 おかやすみち 56年生まれ。電通勤務を経て、99年に独立。NTTドコモ、キヤノン、大和ハウス、サッポロビールなどのCMを手がける。
朝日新聞デジタル 
                                                         
筆者考:

「フランス語の未来」協会長、アルベール・サロンさん!・・・
 しかし、94年に制定された法律のおかげで、教育言語として英語を広めようという法案を骨抜きにすることができた。私たちは大学教育が「英語化」すれば、いずれ、初等教育にも広がりかねないと警告を発した・・・流石はフランス人の特性が見事にあらわれています。自国の言語に限りない誇りをもっているフランス人らしい論旨です。
問題なのは、他の言語をのみ込むような過剰な英語化の動きだ。一つの言語が他を支配することになれば、モノの考え方も単一になり、無味乾燥になってしまう。科学の分野でもフランス語や日本語、ドイツ語で考える人もいるからこそ、互いが刺激し合って大発見を導き出してきたのではないか・・・正論中の正論で反論する余地は全くありません。
母国語を守ることこそが、国家の独立を守ることにつながると信じている!・・・とかく、日本でカタカナ語を使い粋がっている自称識者の軽薄な輩に是非とも聞かせたい言葉です。
「言語法」で日本語を守れ 筑波大学教授・津田幸男さん!・・・
外来語やカタカナ語の氾濫(はんらん)は目にあまる。日本人は、自分たちの言葉を大切にすることを忘れてしまったのでしょうか。これは誇りと威信の問題です先日、全日本柔道連盟の新しい会長が会見で、「ガバナンス」という外来語を使っていました。なぜ日本語を使わないのか。日本のよき伝統を守るはずの、柔道界の最高責任者なら、日本語に言い換えるべきです日本人特有の英語信仰があります。日本人は英語を上に、日本語を下に見て、自分たちの言葉の威厳を自らおとしめています・・・母なる大地の日本国で生を受けて連綿と続く歴史、文化、伝統の祝福につつまれて育ったなら当然に美しい自国の言葉には誇りを持ち守るべきです。特に国民を啓蒙する立場に身を置く教育者ならこの姿勢は必須だ!と筆者は思います。
氾濫の元凶は4者!・・・(1)企業⇔商品名や社名、宣伝、看板に外来語が多すぎる/(2)官公庁⇔難しいカタカナお役所言葉を全国にまき散らしています/(3)知識人や学者⇔本来、翻訳や言い換えを考えるべき立場なのに、それをしないでカタカナのまま使うとは、知的怠慢です/(4)報道機関⇔企業・官公庁・学者が使う外来語をそのまま流している。
付け加えれば!・・・現今の政治家のカタカナ語の乱用は酷過ぎ、目に余る物がある。元々が余り知的水準が高いとはいえない政治家がカタカナ語を使うのは滑稽で噴飯物と言える。
外来生物の侵入で在来生物が危機になるのと同じです!・・・これは自然界の摂理と言え、例えば植物はある一定以上の外来種が繁殖すれば地元で自生していた種(在来種)はいずれは絶滅する。人種⇔言語も自然界の一部なら摂理からは逃れ得ません。
筆者がNYに住んでいた時(1963~1972年、足掛け6年間)に、友人たち酒場で杯を傾けながら酒の肴に悪態をついていた『ジューイッシュ・ウィード(ユダヤ人を雑草に例え)が蔓延ると人類共通(ユダヤ人以外)の価値観が破壊される!』が思い起こされます。
取り込んで、面白がろう クリエーティブディレクター・岡康道さん!・・・
カタカナ語も新しい日本語表現として面白がって使っていけばいいのではないでしょうか・・・電通出身で経歴がメディア一筋では筆者にとっては異人種であり、氏の論旨は論外で言葉が有りません!。
余談となりますが!・・・
筆者が住むカナダ・ケベック州はフラン系によって開拓・開発された400年間の歴史を持ち、州民の約80%(年々減少している)はフランス系カナダ人が占めている。
多数派民族の驕りが気位を異常に高めているのと、英国との過去の戦いの痌を残しており!・・・、1982年にカナダが其れまでカナダ国の憲法の役割を果たしていた✥「BNA(ブリティシュ・ノースアメリカン・アクト」を破棄して新たにカナダ国憲法を制定した時に反発して憲法導入を拒否して批准には署名しませんでした。
故にケベック州民はカナダ国憲法の庇護下になく!・・・州政権は思いの侭(フランス系の有利=カナダ憲法無視)な法律を制定して少数民族を無視して即座に施行する事が可能です。
気位が高い!は、穿った見方をすれば、この気位の高さは英国人に対する劣等感(北米の「主権⇔統治」争いでフランスは英国に破れた事から起因)裏返しで鼻持ちならぬで!、他の英国系を含めて「フロッグ=蛙」の隠語で揶揄されています。
少数派住民の権利を無視してケベック州政府は1980年代初頭に《Language Bill103⇔言語法103》を成立させました。この言語法はケベック州の公式言語はフランス語だけ(他州は英語、フランス語の二重公語)となりました。
この言語法の影響力は凄まじいもので!・・・英語の道路標識は消えて仕舞い、レストランに拠っては英語メニュウなど無い所も有ります。駅やバス・ターミナルなどに設置されている自動切符販売機器の使用説明、パンフレット類の文書の英語では記されていない!。たとえ英語表記が許されても英語文字はフランス文字の半分のサイズでなけれならず(言語法86)、で視力の衰えた筆者はメガネを使用(遠視が進み小さい文字は判読困難)する不便さには往生しています。
州政府は新たに言語警察官機関を設置して違反に目を光らす(物差しで文字の大きさを測りサイズが半分を超えると罰金を課す)・・・これが民主主義国家なのか?とは信じられません!。移民の子女たちは二重公語のカナダの住民でありながら教育を選ぶ権利はなし、英語系の公立学校に入学したくても叶わず、強制的にフランス公立学校に入学させられる。
ここまでしてフランス語(ケベック州語)を守る理由は!・・・英語の海に囲まれている小国のケベック州は絶え間なく英語の波に侵食されている状態では何としても、なりふり構わずでフランス語を守らなければならぬ!、悲壮さは理解できますが、度がすぎると醜悪としか言い様がありません!。
この自国語を守るに必死になっているカナダ・ケベック州を眺め、目を我が母なる国日本に移すと!・・・愕然!とするほどに英語の侵食が進んでいる、戦前の全てを否定しただけではなくて、国そのものといえる言語も否定している観がある。
国が有るから言葉がある!・・・
言葉があるから国がある!・・・
国を失えば言葉も失う!・・・
言葉をうしなえば国も失う!・・・
自ら進んで自国の言語をなおざりにしては国を失いかけている日本国と自国語を必死に守り抜こう!としているケベック州!・・・鮮やかな対比です。