2013年8月14日水曜日

語り継げるのか「シベリア日本人抑留」 基金解散、慰霊祭中止へ…

旧ソ連が第二次世界大戦後、日本人約60万人をシベリアなどに抑留した問題で、慰霊祭などを政府とともに行ってきた財団法人「全国強制抑留者協会」(全抑協)が資金難で存続の危機に直面している。助成してきた国の基金が解散し、行政の支援が停止しているためだ。元抑留者の平均年齢は90歳を超え、多くが他界している。間もなく戦後約70年となる今も、十分に明かされていない抑留の実態をどう解明し、いかに次世代に伝えていくかが問われている。(黒川信雄)
■数年で資金枯渇
 「シベリア抑留では60万人もの人間が拉致されたのに、教科書でもあまり触れられていない。歴代内閣は抑留問題に真剣に取り組んでいない」。元抑留者で全抑協会長の相沢英之元衆院議員(94)は政府の取り組みに疑問を投げかける。
 抑留経験者らで組織する全抑協は平成元年に発足。慰霊祭のほか、抑留体験の聞き取りや展示会など問題の風化を防ぐ活動を主導してきた。
 しかし、活動資金を実質的にまかなってきた総務省所管の「平和祈念事業特別基金」の解散が22年に決まり、23年度から国の助成が一切受けられなくなった。基金は今年4月1日に解散。残る資金を取り崩して活動しているが、「おそらく3年後には資金が完全に枯渇する」(吉田一則事務局次長)。総務省には7月に予算申請したが、前向きな回答は得られていないという。
■ロシアは謝罪
 埋葬地調査や遺骨収集事業は厚生労働省が実施しているが、慰霊祭は「政府として実施する予定はない」(総務省大臣官房総務課)としており、全抑協の活動の一部は中止に追い込まれる見通しだ。
 全抑協はソ連やロシアに、抑留について文書による公式謝罪と、当時の強制労働に対する賃金補償を求めている。抑留は旧日本兵らの本国帰還を求めたポツダム宣言の規定(第9条)に違反しているため、「補償はロシアが支払うべきだ」との立場からだ。
 ロシアのエリツィン大統領(当時)は平成5年に訪日したさい、この問題で謝罪した。また、日ソ共同宣言(昭和31年)では両国とも賠償請求権を放棄しており、「全抑協の要求の実現は困難だ」という意見もある。
 しかし、個人の賠償請求権は放棄されておらず、相沢会長は要求実現に向けて「政府、そして与党自民党がこの問題を取り上げなくてはならない」と主張する。
■「補償は区切り」
 一方で、賠償請求権は日ソ共同宣言で放棄したとし、ソ連での強制労働の賃金支払いを日本政府に求めてきた団体もある。「全国抑留者補償協議会」だ。
 元抑留者への給付金支払いなどを定めた「戦後強制抑留者特別措置法」(シベリア特措法、平成22年6月成立)で、日本政府による国家補償は実現したとし、23年5月に解散した。
 これに合わせて同年4月、同協議会の関係者らは抑留実態の調査活動などを続けるとしてNGO「シベリア抑留者支援・記録センター」を設立。シンポジウムや行政への法整備の働きかけなどを行っている。
 補償協議会の元事務局長で、現在はセンターの代表世話人を務める有光健氏(62)は、補償協議会はソ連寄りだったのでは、との質問に、「(死亡した抑留者の)名簿や情報を入手するには、ソ連に対し、ある程度友好的な姿勢を取らざるを得なかった」と答えた。補償問題はシベリア特措法で「区切りがついた」とし、「今後は抑留の実態解明への協力をロシアに強く求めていくべきではないか」と主張している。
     ◇
 【日本人抑留問題】 昭和20(1945)年8月、日ソ中立条約を破って対日参戦したソ連軍が日本降伏後、満州や樺太などから日本軍将兵や一般邦人ら約60万人を連行し、シベリアなど旧ソ連各地の収容所に抑留した。2~11年にわたって森林伐採や鉄道敷設などの強制労働を課され、飢えや寒さ、重労働による衰弱で死亡した人数は約5万3千人(厚生労働省推計)にのぼる。ソ連崩壊後、抑留を指示したスターリンの指令文書が発見された。収容所では共産主義を礼賛させ、親ソ派に転向させるための洗脳教育が行われた。抑留体験者には宇野宗佑元首相らがいる。
産経ニュース(2013.8.8 10:25 )
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筆者考:


         シベリア抑留

シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、終戦後武装解除し投降した日本軍捕虜らを、ソ連が主にシベリアに労働力として移送隔離し、多数の人的被害を被らせた枢軸国側人の抑留と奴隷的強制労働に対する日本側の呼称。
一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在でいうモンゴル中央アジア北朝鮮カフカス地方バルト三国などソ連の勢力圏全域に送り込まれていた。
厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言レーニンに背くものであった。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した。

                 犠牲者数

日本側の調査による死者名簿には約5万3千人が登載されている。ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している
従来死者は約6万人とされてきたが、実数については諸説ある。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州・樺太・千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。
アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。

   抑留された各地に建立された現地慰霊碑
       
✦【ロシア】・・・
エラブガ(2000年)クラスノヤルスク (2000年)チェルノゴルスク(2001年)
ニジニ・タギル(2001年)ケメロボ(2006年)ノボシビルスク(2007年)
ビイスク(2007年)オレンブルグ(2008年)アルチョーム(2010年)

✦【ウズベキスタン共和国】・・・
タシケント(2003年)

✦【グルジア共和国】・・・
トビリシ(2010年)

この他に民間人(遺族)や現地の方々に依って建立された慰霊碑があるが、正確な名称と建立された数は不明。
(以上ウイキペディア引用)    



9月6日(木曜日),玄葉外務大臣は,ロシア・ウラジオストクAPEC閣僚会議出席後にハバロフスクを訪問し,13時35分(現地時間)から約10分間,平和慰霊公苑にてシベリア抑留者の慰霊碑に供花及び黙祷を行いました。我が国の閣僚がハバロフスク平和慰霊公苑を訪問し供花を行うのは,今回が2回目です。

【平和慰霊公苑】・・・
1995年9月,第二次世界大戦後にシベリア等の地域において死亡した約55,000人の日本人抑留者を慰霊するために,日本政府が国の事業として「日本人死亡者慰霊碑」を建立し,また,同慰霊碑に隣接する15,000㎡の敷地に財団法人「太平洋戦争戦没者慰霊協会」が建設したもの。
日本人シベリア抑留者の慰霊施設としては最大の慰霊公苑。

2003年に小泉純一郎内閣総理大臣が同公苑を訪問し,同じく平和慰霊碑に供花している


【数年で基金が枯渇】

元抑留者の平均年齢は90歳を超え、多くが他界している。間もなく戦後約70年となる今も、十分に明かされていない抑留の実態をどう解明し、いかに次世代に伝えていくかが問われている。(黒川信雄)

「シベリア抑留では60万人もの人間が拉致されたのに、教科書でもあまり触れられていない。歴代内閣は抑留問題に真剣に取り組んでいない」。元抑留者で全抑協会長の相沢英之元衆院議員(94)は政府の取り組みに疑問を投げかける。

 
抑留経験者らで組織する全抑協は平成元年に発足。慰霊祭のほか、抑留体験の聞き取りや展示会など問題の風化を防ぐ活動を主導してきたが!・・・総務省所管の「平和祈念事業特別基金」の解散が22年に決まり、23年度から国の助成が一切受けられなくなった。基金は今年4月1日に解散。現在は残る資金を取り崩して活動している。

戦後、筆者の父は蒙古・首都ウランバートルから東部100キロはなれた町・ホジルボランの捕虜収容所で抑留され!・・・峻烈な気候風土!、過酷な強制労働!、粗末な食事!などで体力を消耗して他界しました。

厚生省が抑留先の蒙古で亡くなった方々の遺骨収集を実施(1998年)してホジルボラン埋葬地で489柱を収集しました。この489柱の中で身元が確認できたのは僅か200柱!・・・幸いにも筆者の父が肌身につけていた印鑑から身元が判明して、DNA検査の結果で筆者の父親ある事が確認されました。

筆者の父は群馬県出身であり、県庁内でモンゴル抑留者の遺骨伝達式(1999年3月6日)が執り行われ、筆者の姉、叔父が出席して遺骨を受け取りました!。・・・出征以来半世紀越えて、無言の帰国、家族との再会!と成りました。
 過酷な強制労働で疲弊しながらも、抑留先では何の価値もない、使い道のない印鑑を失くす事無く肌身離さず身につけていたとは!・・・もしもの事(死)を想定して印鑑から身元が判明できるように、切ない願いだったのだ!、余ほど日本に帰り、家族に会いたかったのでしょう。
此れを思うと筆者は涙が零れます。

厚生省の調査によると!・・・大東亜戦争後にモンゴルに抑留された日本人は1万4千人で此のうち1千700人(死亡率12,1%)が帰国する事なく死亡したと記録されていますが!・・・筆者の父と同じホジルボラン収容所に抑留されていた方で、幸いに生き長らえて復員した方が我が家を訪れ筆者の父親の遺髪と爪を持参してくれました。
 此の復員された方の話では、抑留されていた日本人のやく70%が死亡したそうですが!・・・70%は余りにも多く信じられません!。
 このようにシベリア抑留の暗い闇は殆どが解明されては居ません。

総務省所管の「平和祈念事業特別基金」の解散が22年に決まり、23年度から国の助成が一切受けられなくなった】・・・これは民主党政権下で為された「仕分け」の結果なのでしょう。
日本政府は外国人への生活保護費支給する血税の浪費は即座に中止して!、・・・この予算を『戦後旧ソに依って虐殺された日本人やシベリア抑留の暗黒の歴史を掘り下げる』に回すべき、これが国としての務めです。