安倍晋三首相は21日、米共和党の重鎮で、国防予算に強い影響力を持つマケイン上院議員と首相官邸で会談し、米国側の予算計上が滞っている在沖縄海兵隊のグアム移転事業について、予算確保に協力を求めた。
首相は会談で「日米同盟の発展に尽力いただき感謝する」と表明。マケイン氏は「アベノミクスという言葉ができ、日本経済の再生で多くのことが成し遂げられている」と評価した。
これに先立ち、小野寺五(いつ)典(のり)防衛相もマケイン氏と防衛省で会談。マケイン氏は米軍普天間飛行場(沖縄県宜(ぎ)野(の)湾(わん)市)の名護市辺野古への移設について「プロセスを前に進める決定を(仲井真弘(ひろ)多(かず))沖縄県知事に出してもらうことを期待している」と述べ、海兵隊のグアム移転と関連する普天間移設計画の進展に期待感を表明。小野寺氏は「政府一体で環境整備の努力をしている」と応じた。
さらに、マケイン氏は尖閣諸島(同県石垣市)周辺での中国の挑発活動に言及し「(中国は)この状況の平和的な解決に一切、貢献していない」と批判。同氏はこの後、訪中を予定していることから、「中国側に対話と交渉で臨むよう説得したい」と語った。
その後、都内で記者会見したマケイン氏は、首相と集団的自衛権の行使容認について意見交換したことを明かし、「日米同盟を強化するものだ」と評価した。また、尖閣について「(中国と)議論すべき性質のものではない」と述べ、日本支持を改めて強調した。
産経ニュース(2013.8.21 12:14)
4年ぶり来日 「大義に尽くすことが最大の満足」
猛暑の日本を自ら希望して訪問した。来日したのは2009年4月以来。08年の米大統領選では共和党候補としてオバマ大統領と戦った。敗れたものの上院軍事委員会筆頭理事として、今なお強い影響力を持つ。
「(毎年のように首相が交代した民主党政権下では)日本の政治環境は困難だったが、安倍晋三首相のリーダーシップの下、力強い政権ができている」
首相との会談を終えた後の感想だ。
小野寺五典(いつのり)防衛相からは日本が降伏文書に調印した戦艦ミズーリの甲板に立つ祖父をとらえた写真をプレゼントされた。
「うちは4代続けて海軍勤務です」と、小野寺氏に家族のことを話し始めた。横須賀を母港とするイージス艦「ジョン・S・マケイン」は、祖父と父にちなんで名付けられた。
「ベトナム戦争で投獄されたとき、父は状況を知らなくて心配した」という。1967年10月、海軍パイロットとして北ベトナムの軍事拠点を空爆中に撃墜されパラシュートで落下したところを捕まり、5年半捕虜として過ごした。
首相らとの会談後、日米学生会議に参加する日米の学生約70人に講演した際、当時のことを質問された。
「ベトナム戦争では米国内でも反対論が強く、復員兵はよい扱いを受けなかった。恥ずべきことだ」と、それまでの温和な表情を一変させた。
これからの日米同盟を支える学生たちに、公のために尽くすことの重要性を説き、こう強調した。
「自分の利益を超えた大義のために尽くすほど人生で満足するものはない」(有元隆志)
筆者考:
ジョン・マッケイン氏の側面!・・・
ジョン・マッケイン氏はベトナム戦争中に5年半もの苛酷な捕虜生活(捕虜収容所をホーチンミン・ホテルと言い換えて、陰惨な捕虜集所での虐待など過酷な生活を笑い飛ばす度量がある)を耐え抜いた。1980年代からマケイン議員は日本や日米同盟にも強い関心を抱いていたことは過去の言動が是を如実に物語っている。
当時のマケイン氏が述べた日本観や日米同盟観からすれば、2008年の大統領選で発表した外交政策での日本に関する見解もごく自然にみえる。安倍晋三前首相の推進した「価値観外交」や「自由と繁栄の弧」への賛同、そして日米同盟の強化も、マケイン氏のそのころ主張と同じ範疇(はんちゅう)といえる。
当時、上院軍事委員会のメンバーとして活動していたマケイン氏は、日米貿易摩擦が激化するなかで米国議会にあいついで出された日本を標的とする一連の貿易関連法案にはすべて反対していた。自衛隊のFSX(次期支援戦闘機)の問題でも、議会の対日強硬派による「日本たたき」の動きを厳しく非難していた。その理由は明らかに安全保障面での米国にとっての日本の効用を重視するからだった。
ソ連共産党体制の崩壊が明白となった1990年6月、日本側の一部に「ソ連の軍事脅威がなくなれば、米国は日米安保条約を必要としなくなる」という観測が生まれたことを提起すると、マケイン議員は次のように答えものだった。
「ソ連の脅威が減っても、なくなっても、米国の政権は共和党、民主党の別なく日米安全保障の利害合致の基本的枠組みは絶対に保持すべきだと考えるだろう。議会の貿易問題での対日強硬派でさえ『日米安保は要らない』という意見はまったく持っていない」
「アジアにはソ連の脅威以外にも日米防衛協力を必要とする不安定や変動の要因が多い。中東やペルシャ湾での異変、朝鮮半島の危機、そして中国の動向などがそれだ」
だからマケイン議員は日本に対し日米同盟の強化策としての防衛の増強や負担の増加を強く求めた。このころ日本に在日米軍経費の全額を負担することを要求する法案を提出していた。イラクのフセイン政権のクウェート軍事占領への対抗策としての米国主導の湾岸戦争が起きると、マケイン議員は日本の具体的な貢献を求め、なんの行動もとらない日本を激しく批判した。
「フセインの侵略を阻止する必要は欧州の同盟国も、ソ連も、アラブ諸国も認識し、米国の行動への支援を明確にしているのに、日本だけがその決意が不明だ。日本政府の形だけの支援表明は世界中の軽蔑(けいべつ)と、米国の敵愾(てきがい)心の対象以外のなにものでもない」
「日本が米国の友邦であること、世界各国との経済的相互依存を続けることを欲するならば、国際国家にふさわしい姿勢をとらねばならない。世界でも最も柔軟な憲法の陰に逃げこんだり、少数の海運労働者の抗議を口実にしたりして、なんの行動をとらないままでいることはもうできない」
このへんの日本への期待表明となると、「穏健派」という描写が当てはまるとは思えない。
しかし、当時も日本が防衛力強化の措置をとることや、自衛隊を海外に送り出すことには、「軍国主義の復活」という類の反対論が日米両国の一部にあった。
この点にはマケイン氏は次のように答えていた。
「日本の軍事大国化説や軍国主義復活説には根拠がない。むしろ逆に私は日本の消極的平和主義の方が問題だと思っている」
この言葉は当時もいまも、ニューヨーク・タイムズの日本論評社説に象徴されるような日本不信や日本警戒の路線とはコントラストを描く。日本は日米同盟の強化にも、自国の「普通の安全保障」の整備にも、国際社会への安保貢献にも、もっと具体的な行動をとってほしい、という思考だろう。
もし日本がこうした期待に応じられないという場合のマケイン議員の批判はきっとまた鋭く、険しい言辞となるだろう。「穏健」というイメージとはおよそ異なる姿勢が予測される。
以上の側面は!マッケイン氏は日本国を真のパートナーとして日本国が大きく飛躍する事を1980年代から望んでいた事になる。
マッケイン氏は日本国の抑止核にも理解を示しており!・・・【2003/02/17、毎日新聞夕刊】米共和党のマッケイン上院議員は16日のFOXテレビで、北朝鮮の核開発問題に関連して「中国が問題解決に迅速に取り組まなければ、日本は核武装するしか選択肢がなくなる。日本には国民を守る義務がある」と述べ、朝鮮半島の危機が解消されなければ日本は核武装せざるを得なくなるとの認識を表明した。
2008年の米大統領選で抜群の政治資金調達能力を発揮、更に米国メディアや芸能人の8割以上の支持(大応援団)を得たバラク・オバマに破れ去ったことは今でも記憶(歯軋りする思いの悔しさ!=筆者マッケイイン氏の勝利を望んでいた)が生々しくに残り!、・・・悔しさ感情が筆者について回っている。
マケイン氏は尖閣諸島(同県石垣市)周辺での中国の挑発活動に言及し「(中国は)この状況の平和的な解決に一切、貢献していない」と批判
都内で記者会見したマケイン氏は、首相と集団的自衛権の行使容認について意見交換したことを明かし、「日米同盟を強化するものだ」と評価した。また、尖閣について「(中国と)議論すべき性質のものではない」と述べ、日本支持を改めて強調した。
知韓派”の米上院委員長ロバート・メネンデスが訪韓中に発した『米国が奴隷制度を克服したように、日本も過去認めてこそ自由に。米国は中国に挑戦せず(【中央日報】2003/08/20』・・・は流石は民主党上院議員は共和党の重鎮のジョン・マッケイン氏と比すとミスみすぼらしく見える、薄汚い印象が強い。
マッケイン氏は日本訪問のあと支那を訪問する。・習近平との会談の結果は?、興味深深ですが、東京での記者会見で発した言に頭にきている習近平はマッケイン氏と会うことを拒否するかも知れません!。なにせ夜郎自大は支那人の特質なので。
参考記事
共和党マケイン氏の“真剣な”日本観