2018年3月11日日曜日

東日本大震災7年 蘇る宮城・イチゴ農家!・・・


【歩む地域 集う力 東日本大震災7年】 宮城・イチゴ 農業復興支え恩返し

日本農業新聞(2018年03月10日)https://www.agrinews.co.jp/p43494.html

 海岸から1キロほど、海が見渡せる宮城県気仙沼市階上地区。津波被害を受けた水田の一部に建つイチゴハウスの扉が開いた。「お邪魔します」。元気な声が響く。

 声を掛けたのは、JA南三陸営農販売課1年目の宮岡茜さん(23)。農業の復興に携わるため、2017年4月、南三陸町に移住した。

 津波でハウスが流されるなど壊滅的な被害を受けた同地区。17年度は10戸が1・8ヘクタールで栽培する。震災前の半分ほどの規模で、国の交付金などを活用してハウスを建設。別の品目からイチゴで営農再開した人もおり、宮岡さんは栽培技術向上などを支援する。

 「移住直後は寂しくて、地元に泣いて電話したこともあった。今は、友人もできて、仕事も楽しい。ずっとこの町にいたい」と笑う。

 宮岡さんは神奈川県出身。高校卒業直後の13年3月、ボランティア活動で同町を訪れた。想像以上の被害が目の前にあった。津波で壊れた建物や線路、木の高い場所にあるはずのないブイが引っ掛かっていた。

 衝撃を受けた一方で、ボランティア活動では地域の人の温かさに触れ、感動した。漁師の家で昼食をごちそうになったり、再び同町を訪れた時には「お帰り」と抱き締められた。家族のように接してくれた。「被災して本当はつらいはずなのに、親切に接してくれた。地域の人々が大好きになった」と宮岡さん。

 東京農業大学を卒業後の就職先に選んだのが、同町だった。JAの農業復興・担い手サポート班に所属する。

 同地区でイチゴ20アールを栽培する佐藤友郁さん(28)も、宮岡さんを頼りにする一人だ。震災前にブロイラー1万2000羽を飼養していたが、震災で鶏舎が半壊し、廃業。14年度からイチゴで営農を再開した。

 ハウスの温度や湿度、二酸化炭素の環境データや生育状況を基に電照時間などを宮岡さんが提案。「一緒に考えて提案してくれるので納得でき品質も上がっている。来てくれる回数も多く、別の農家のデータも聞け参考になる」(佐藤さん)。資材購入の補助金があるか尋ねると、その日のうちに調べて電話で情報を教えてくれ、JAの金融担当者を紹介してもらったこともある。

 宮岡さんを指導する、JAの後藤宗明班長は「気配りができ、復興に携わりたいという強い気持ちがある。自らできることを探して勉強し、仕事をしている。農家に良い影響を与えてくれるはずだ」と期待する。

 南三陸町の人口は、18年2月末で1万3207人と、震災前の11年2月末と比べ25%減った。その中で、同町に移住する人が増えている。南三陸町移住支援センターを開設した16年8月以降、同センターを経由して17組24人が移住した。移住者や地域住民との交流により、新たな取り組みが生まれている。

 「南三陸が大好き。移住者の目線を持ちながら、農業復興に役立ちたい」。宮岡さんは揺るぎない信念を持つ。

                                                  


遅々としている東日本大震災復興!〜、
しかし、被害からの復興の足音が、
        力強く聞こえてくる!・・・
若者たちが、移住して地域の活性化に励んでいる!・・・
日本も捨てたものではありませんね!。


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