2023年3月13日月曜日

人と日本の犬が紡いだ絆の物語!・・・

キッと顔を上げ、空を見据える。
まっすぐで利発そうな面差しに!〜、
   歴史が育んだ人との良き
     パートナーシップが滲む!・・・
新型コロナウイルス禍で犬との距離がさらに縮まったことに加えて、生物多様性の観点からも、天然記念物に指定されているような希少な種をはじめ、そのつながりは太さを増している。
   走れ、跳べ、ニッポンの犬たち!。

    新雪の中、走るよろこびをみなぎらせる北海道犬(北海道浜頓別町)

■ 人々の歴史に寄り添って:

南北に長い日本列島で、多様な環境の中、人との絆を深めてきた犬たちがいる。その姿に元気をもらおうと各地へ足を運んでみた。

「セタ! 追え!」。北海道のオホーツク海沿岸の浜頓別町。雪に覆われた酪農用の採草地に、エゾシカの足跡が延びている。それを指さし、防寒着に猟銃を背負った野田孝幸さん(60)が叫んだ。

言葉が終わる間もなく、黒の濃淡まだらの胴体と脚が、パウダースノーをきらめかせながら遠ざかっていく。その躍動に人の心も弾む。

生後まだ1年とたたない北海道犬のオス。名前の「セタ」は、先住民アイヌの人たちの言葉で犬を意味する。セタは野田さんと雪原の間を何度も行き来して、走る喜びをみなぎらせ、飼い主と仕事のできる時間と空間を満喫しているようだ。


          猟犬として修業中の北海道犬のセタ。
  主(あるじ)の野田さんの指示への反応はすばやい(北海道浜頓別町)

日本を原産とする純血種「日本犬」のひとつ北海道犬。長い間、アイヌの人々と生活をともにする中で、大きなヒグマと対峙し追い詰める勇猛さと賢さを身につけた。粗食にも耐え、氷点下で2桁になる屋外でも飼うことができる。

引き締まった顔貌と、弾力に富む背中や胴、そして力強い脚が特徴だ。昭和初期には絶滅が危惧され「天然記念物」に指定されたが、現在は愛好家の努力もあって、全国で1万匹前後がいるとみられる。

元自衛官で、現在は浜頓別町役場で地域おこしの仕事に携わる野田さんは、趣味の狩猟にうってつけの土地として、2年ほど前、この町に移住してきた。猟犬のDNAを秘める相棒のセタを愛情と厳しさをもって大切に育てている。

「飼い主にとても忠実ですが、その一方で、猟の現場などでは状況の変化に応じて、自分で考えて動ける面もあるんです」と野田さんは語る。早く一人前になって、縦横に北の大地を走り回ってほしいと願う。 野田さんのように北海道犬を愛する人たちは道内だけでなく東北から関東、北陸にも広がる。


    北海道犬保存会の展覧会場では、愛犬の調子やエサの工夫など、
        飼い主同士の話に花が咲く(埼玉県吉見町)

昨年11月、埼玉県吉見町であった「天然記念物北海道犬保存会」の北関東支部の展覧会。エサの工夫や暑さ対策でさまざまな声が聞けた。「ゆでたブロッコリーと鶏のささみ」とボディービルダー並みのメニューを用意する人も。工場用の扇風機や自作のミスト発生装置で暑さに備える飼い主もいた。

猟に出る機会は、かつてよりは少ないとはいえ、北海道犬と向き合う時間、人は煩わしい現代のしがらみから放たれ、しばし太古の静けさや自然への敬虔(けいけん)な気持ちを取り戻せるのではないか。そんな感想も持った。

オホーツク海から遠ざかること約3千キロ。沖縄県名護市の高台に赴くと胴長で足の短い2匹がさかんに尻尾を振って出迎えてくれた。宮城保雄さん(69)の飼う大東犬のオス「トラッキー」とメスの「ラッキー」だ。


        大東犬はオスがメスよりやや大きいのが特徴。
          独特の容姿が愛らしい(沖縄県名護市)

顔はスピッツにやや似ているのだが、耳は立ち、尾は巻き上がって、脚は少しガニ股だ。地面に近い場所を盛んに動き回る姿が、なんとも愛らしい。「日本犬」としては認定されていないものの、希少な種として立派に人間の役に立ってきた歴史を持つ。

明治期の文明開化とともに入ってきた洋犬と日本の種が交雑。120年ほど前から入植が始まった孤島の南大東島に持ち込まれて、その環境下で独自に育ったものらしい。「サトウキビ畑でネズミを追って走り回っていたため、特徴ある体ができたともいわれます」(宮城さん)

沖縄本島に住んでいる宮城さんは、2005年に新築のお祝いとして2匹の大東犬を譲り受け、ちょこちょことした動きの魅力のとりこになった。小さな体ながらパワーも秘め、人懐こい性質にもひかれた。

      宮城さんは、貴重な犬種を1頭でも多く増やしたい!と
          繁殖に力を入れている(沖縄県名護市)

ふるさとの大東島では絶滅の危機にあると聞き、宮城さんは繁殖活動にも取り組み、生まれた子犬を島の人に譲ったり、より多くの人に親しんでもらおうと沖縄県内の動物園にも寄贈したりしたという。動物に関心の深い秋篠宮さまにも名護市内の大学でご覧に入れたことも。

宮城さんは、少しでも頭数を増やしたいと、特徴が似た別の犬種との間で生まれた子を、また大東犬とペアリングする「戻し交配」と呼ばれる手法も試した。さまざまな努力を重ねてきているが、現在は10匹前後となり「人工授精も考えている」と話す。

サトウキビ栽培のため厳しい自然の孤島に入植した人々。彼らとともに歩んできた大東犬は、その小さな体に歴史をになっているともいえる。

希少な犬種を守る戦いは、人間の苦闘の記憶を絶やさない営みであるのかもしれない。

■ 固い絆を未来につなぐ:

おとなしく賢い。飼い主に忠実、そして勇敢。「ニッポンの犬」の
代名詞といえば秋田犬だろう。かつては猟犬として山野を駆けたが、現在はペットとして広く世界中で愛されている。

 その輸出のパイオニア的な存在が大阪市住之江区でショップを営む中川次太郎さん(79)だ。これまで海外に送り出した秋田犬は数百匹にも及ぶ。犬の審査員の資格も持ち、日本各地や欧州、アジア各国の秋田犬のクラブに招かれドッグショーに立ち会った。

やり取りした書類や犬の写真、海外に渡航した折の記録などを丁寧にファイリングし、店内に備えている。

 アラン・ドロンなど世界的な著名人も
       中川さんから秋田犬を譲り受けた(大阪市)

中でも目を引くのは1980年代に日本ツアー中だった米歌手、スティービー・ワンダーに親族を通じて子犬を手渡した時の写真。仏の俳優、アラン・ドロンの求めに応じ、日本の代理人にも譲渡。後日、あの端正な顔貌で犬を抱くワンショットが送られてきた。

 中川さんは四国の高校を卒業後、10年ほど海外航路の貨物船に乗り組み、遠くインド洋からアフリカまで航海した経験を持つ。
陸に上がってからは身内の飼っていた犬のかわいさにはまり、自らのなりわいとするまでに。「サムライのような秋田犬の風格に、とりわけひかれました」。熱心さが買われ、業界団体の幹部も歴任。ドッグショーなどで犬の魅力を引き立てる引率役、ハンドラーとしても活躍した。

「店のホームページを見た海外の方が、観光の合間に、ここへ来て、犬を連れて帰ったこともあります」。あまりのかわいさから、お土産にしてしまったということだろう。

   中川さんのショップで新しい飼い主を待つ秋田犬の子犬たち(大阪市)

コロナ禍で海外との取引はめっきり減ってしまったが、日本の魅力の伝道師としての秋田犬の魅力はあせてはいない。「一度、この犬種を飼った人は、他の種類に目移りしないんです」
 世界への発信と定着に、今後も力を尽くしたいと願っている。

一方、同じ猟犬として人との固い絆で結ばれ活躍しながら、今では自治体などが懸命な保護策で守ろうとする犬種もいる。

長野県川上村の川上犬だ。レタスの生産で名高い村のマスコット「レタ助」にもなっていて、あちこちの看板にイラストが描かれ来訪者を迎える。

前村長で、保存会会長でもある藤原忠彦さん(84)の自宅にお邪魔すると、オスの「栃風」とメスの「蘭(らん)」が2LDK並み広さはあろうかと思われるケージの中を俊敏に走り回っていた。オオカミのようないかめしい顔貌で、いっときもじっとしていない。

藤原さんによると、この地域ではかつてニホンカモシカの猟が盛ん。川上犬は標高の高い岩場を縦横に走り回る「岩駆け」を得意技に活躍した。

        
  オオカミの血を引くといわれる川上犬の動きは俊敏だ(長野県川上村)

柔らかい足裏の肉球に加え、今も時折、脚のやや高い位置に「狼爪(ろうそう)」と呼ばれる鋭い部位が目立つ犬が生まれるという。「岩から岩へ駆けていたころの名残といわれます」(藤原さん)

昭和初期にニホンカモシカが天然記念物となって猟への出番が少なくなり、村の主要産業も林業に転換。食糧難の戦中は軍からの撲殺令もあって、数匹まで激減した。しかし、関係者の努力で現在は村内に60匹前後、全国には約300匹がいるとみられる。

山深い村の歴史を体現する川上犬は生きた文化財ともいえる。
現在は長野県の天然記念物ともなり、体系の規格標準も設けられた。「ひとつの種を守るのは大変で、責任が重い。(うまくいかねば)この世からいなくなってしまうんだから」。藤原さんは、自らを鼓舞するようにつぶやいた。

実際、日本原産の犬には、この世から消え去った種類も多い。山形県高畠町でクマ猟に当たっていた高安犬もそのひとつだ。作家、戸川幸夫の「高安犬物語」は最後の1匹といわれた「チン」の生死を哀切をこめ描いている。

   昭和初期に絶滅した高安犬。複写の古い写真だけが当時をしのばせる
        (山形県高畠町観光協会提供)

その「チン」の在りし日がしのべるのは、現在、同町に残る複製の写真だけ。裏面には「昭和8年撮影」「昭和拾年拾月拾日死亡ス」とあるという。古き良き犬と人とのえにしの円環のひとつは永遠に失われてしまったかのようだ。繰り返してはなるまい。

   北海道犬琉球犬など他の日本犬に似た遺伝子構成を持つ甲斐犬

甲斐犬(かいけん)は、山梨県原産の犬の品種
昭和4年(1920年)に当時甲府地方検察庁に赴任した安達太助が発見し、昭和6年(1931年)に『甲斐日本犬愛護会』を創立。
昭和7年(1932年)日本犬保存会の初代会長斎藤弘吉、獣医師の小林承吉等が中巨摩郡芦安村(現南アルプス市)や奈良田村(後の西山村、現南巨摩郡早川町)に群生していた虎毛、立耳の地犬を調査し、発見した地方に因んで『甲斐犬(かいけん)』と命名、保存活動を開始した。 また、本来、日本犬の名は『◯◯犬(いぬ)』という呼称になるが、甲斐犬の場合は『◯◯犬(いぬ)』と呼ぶと『飼い犬(かいいぬ)』と誤解される可能性がある為、例外的に『甲斐犬(かいけん)』と命名される事となった。

元来、山梨県南アルプスの山岳地帯でイノシシやカモシカ、
などの獣猟、キジなどの鳥猟や、小動物の五目猟、それに伴う諸作業に使用されていた敏捷な犬。
飼い主以外の人間には心を開かず、唯一人の飼い主に一生忠誠をつくすことから一代一主の犬とも評される。

遠い時代から、私たち人間の暮らしを支え、今なお、安らぎや勇気をくれる相棒たち。その絆を絶やさず、次代へとつないで行きたいものですね!。

暗い世相を反映する嫌なニュースばかり…、
ならば!、心が和むペットの話題をネット散策。
拾った日本原産の犬をブログに取り上げました。

参考文献:
■【ニッポンのイヌの物語 歴史が紡いだ人との絆を感じて】:

https://www.nikkei.com/article/

           DGXZQOCD0297I0S3A200C2000000/


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